心の亀裂1
智美の行方が依然として分からない中、ベルヘイム軍は重い沈黙に包まれながら進軍を開始した。
航太たちの心は、智美の不在という深い傷に苛まれている。
朗らかな笑顔……
戦場での勇敢な姿……
仲間としての温もり……
それらが、まるで薄れゆく幻のように胸を締め付けた。
智美を失った痛みは航太たちの心に冷たい刃のように突き刺さり、癒えることなく疼き続ける。
進軍開始の直前、ホワイト・ティアラ隊の薄暗いテント内でゼークは粗末な簡易ベッドの上で目を覚ましていた。
智美が見つからなかったという報告を聞いた瞬間、ゼークの心は砕け散る。
ゼークの叫び声はテントの布を震わせ、まるで魂そのものが引き裂かれるかのように響き渡った。
「いゃあぁぁ! 私が、あの時に手を離してしまったから! どうして、私は……私は、しっかりと智美の手を握っていなかったの! 私が、守らなきゃいけなかったのに!」
ゼークの声は嗚咽と怒りに震え、瞳には涙と絶望が溢れていく。
自らの手を強く握りしめて泣くその姿は、後悔の念が滲み出ていた。
航太と絵美は、ゼークのあまりに深い自責の念に言葉を失う。
ただゼークの手を握り、震える肩を抱くことしかできなかった。
だが航太の胸にも、絵美の小さな肩にも……同じく智美を失った絶望感と、悲痛が渦巻いている。
その凍りついた空気を切り裂くように、一真の声が冷たく響く。
「智姉が死んだか生きているかは、まだ分からないよ。でも戦場じゃ、無数の命が散っているんだ。前にも言ったけど、遺体も見つけられない……どこで亡くなったかも、分からない。そんな兵士たちが、殆どなんだ。それに比べれば……智姉は捜索してもらった結果、死体が見つかってないんだ。まだ、希望はあるよ。捜索隊を出してもらえただけでも、感謝しないと」
一真の言葉は氷のように鋭く、感情を押し殺した機械的な響きだった。
その声の奥底には、誰も気づかぬ微かな震えがある。
一真自身が必死に押し潰そうとする、智美を失った悲しみの痛み。
表面上の冷静さは、まるで仮面のように一真の顔を覆っている。
その仮面の下で、一真の心は静かに軋んでいた。
しかし人は、表面しか見れない。
その心の奥を見るには、自らの心の余裕と……そして、その人を深く知ろうという気持ちが必要だ。
智美を失った喪失感が漂う場所で、そんな余裕はない。
ゼークは目を大きく見開き、驚愕と軽蔑が混ざった眼差しで一真を睨みつけた。
「希望……ですって! あの戦場で……ヨトゥンが湧いてくる様な、あの戦場で希望? あなた、智美がどんな思いで戦ってたか知ってるの? 傷付いた身体で、私の回復を優先した……自分より、他人を優先して守り続けた! もの凄く、深い傷を負っていた……血が止まらないぐらい、深い傷を負っていたの! それでも自分の傷じゃなくて、私の手当てを優先したんだよ! 一刻の猶予も……なかったのに。それを……何も知らないで、知った風な事を言わないで!」
ゼークの声は怒りに震え、テント内の空気を切り裂く。
その言葉は、一真の胸に突き刺さる刃だった。
航太は拳を握り締め、唇を噛んで耐える。
もし他の兵士がいなければ、航太はその場で一真に飛びかかっていたかもしれない。
絵美の小さな身体は震え、涙を堪えるように下を向く。
絵美の心は智美への想いと、一真への裏切られたような感情で引き裂かれていた。
一真の言葉は、確かに正論だろう。
戦場では多くの兵士が友や家族を失い、その遺体すら回収できない現実がある。
それは、事実。
テントの中にいる兵士たちの目は戦場で失ったものの重さを映し出し、一真の言葉に静かに頷いている。
だが航太や絵美にとって、それはあまりにも冷酷な現実だった。
智美は、ただの「兵士」ではない。
航太たちにとっては、ただの仲間ですらない。
共に異世界に来た幼馴染、そした共に死線を潜り抜けた家族のような存在だった。
一真の言葉は、その絆を切り裂く刃のように感じられ胸を抉る。
ゼークはまだ治療が必要だったため、ホワイト・ティアラ隊に残された。
航太と絵美は隊を離れ、馬に揺られながら荒涼とした戦場の道を進んでいる。
冷たい風が、頬を叩く。
遠くで響く軍馬の蹄の音が、航太たちの心の重さを一層際立たせた。
空はあまりにも青く、綺麗である。
まるで航太や、絵美の存在が……智美を失った事すら、世界にとっては小さな事と嘲笑われているかのように感じられた。
絵美が、震える声でポツリと呟く。
「カズちゃん……やっぱり、こっちの世界に来てから変わっちゃったよね。あんなに、冷たい表情……冷たい言葉、カズちゃんらしくないよ。心が、病んじゃってるのかなぁ……」
その声は風に散る花びらのように儚く、深い寂しさに満ちている。
絵美の瞳には智美の笑顔と、一真の冷たい表情が交錯して浮かんでいた。
「昔のカズちゃんだったらさ……智ちゃんのこと、もっともっと大切にしてたよね? 智ちゃん、戦場でいなくなっちゃったんだよ。それなのに、あんな言い方……」
絵美の言葉は自分の心を確かめるように、ゆっくりと紡がれる。
航太は馬の手綱を握る手に力を込め、抑えきれない苛立ちが声に滲む。
「まったくだ! あんなこと、わざわざ言わなくてもいいだろ! 捜索隊を出してもらえただけでも、感謝しろ……か。ふざけんなよ! 智美はオレたちの仲間って以上に、幼馴染で家族みたいなモンだろ! それを……何なんだよ!」
航太の声は、荒々しかった。
その言葉の奥には、智美を失った深い悲しみと一真への裏切られた想いが渦巻いている。
戦場での智美の勇敢な姿、笑顔が脳裏から離れない。
「航ちゃん、ファイト……」
風に乗って確かに聞こえた、智美の最後の声を聞いた瞬間……その時の事を思い出し、航太の心は締め付けられる。
ベルヘイム軍の兵士の中にはMyth Knightというだけで、新参者ながら幹部クラスに抜擢された航太たちを妬む者も少なくない。
智美の捜索を巡る不満は、兵士たちの間で静かに膨れ上がっていた。
家族や仲間を失っても捜索すらしてもらえない兵士たちの苛立ちは、一真の言葉によって多少は鎮火した様にも見える。
航太と絵美は、ベルヘイム軍を助けるために無償で戦っているに過ぎない。
軍の上層部はそれを理解し、智美のために捜索隊の派遣を決定した。
しかし、その意図を全ての兵士に伝えるのは難しい。
航太たちの心は、孤立感と疲弊に苛まれていた。
「もう、元の世界に帰っちまうか?」
航太は誰に言うでもなく、真っ青な空を見上げて呟く。
その声は、まるで空に吸い込まれるように虚ろだった。
「こんな思い、すんならよ……元の世界でくだらねぇテスト勉強でもしてた方が、ずっとマシだぜ!」
絵美は馬の揺れに身を任せ、魂が抜けたような声で応じる。
「そだね……智ちゃんを見つけ出したら、カズちゃんだけ置いて帰っちゃおうか。こんな世界、もぅ疲れちゃったよ」
絵美の声は、涙を堪えるように震えていた。
戦場の血と死……
仲間を失う痛み……
そんな事実が二人の心を蝕み、かつての希望を奪い去っていた……




