闇に飲まれる祈り
戦場の果てに、血と鉄と焼け焦げた肉の臭いが重く淀んでいる。
ランカスト隊とユングヴィ隊がようやく合流し、ヨトゥン軍を押し返し始めたその刻……薄暗い幕舎の中で、智美捜索隊の面々が重い腰を上げようとしていた。
遠くで響く剣戟の音と、断末魔のような叫びが幕を激しく震わせる。
まるで死神がすぐ傍で息を潜め、こちらを窺っているかのようだった。
その中心に堂々と立っていたのは、ランカスト隊の中隊長パシェード・シェルクードである。
「私は、捜索隊の指揮を預かるパシェード・シェルクードだ。新参者の素人が神剣に選ばれただけで幹部待遇とは、世も甘くなったものだ。だがMyth Knightを無事救出できれば、名誉と報奨金は確実だ。疲れてるだろうが、自分の利益のために真剣に探せよ?」
軽薄な笑みが浮かぶと、隊員たちの間からクスクスと嘲笑が漏れた。
その瞬間、絵美の胸の奥で何かが音を立てて壊れた気がする。
(ふざけないでよね! 戦いが始まった時は、煽てまくってたクセに!)
智美は、命を懸けて皆を守っていた。
水の壁を張り、火球の攻撃を防いでいた事を忘れたのか?
一人でも多くの仲間を救う為に、戦場で戦い続けたのに!
この嘲笑は、何?
智美の命など、最初からどうでもいいと言っているようにしか聞こえなかった。
唇を噛みしめると、血の味が広がった。
絵美は、シェルクードを射抜くような視線を向ける。
瞳の奥に宿る冷たい光は、抑えきれない怒りと溢れそうな涙を必死に堪えていた。
智美の笑顔が、ずっと脳裏に浮かび続ける。
あの、温かい手……
幼い頃からずっと一緒にいた、半身のような存在。
(智ちゃん、お願い! 生きていて!)
拳を強く握りしめ爪が掌に食い込む痛みすら、今は心地よい。
怒りを内に向けられていると、実感できていた。
怒りを爆発させれば、捜索が遅れる。
それだけは、絶対に避けなければならなかった。
そして、捜索は始まった。
しかしその歩みは酷く緩慢で、絵美の心をジワジワと削っていく。
危険区域には近づかず、隊員たちは他愛もない世間話を続けていた。
兵士たちの目は虚ろで、疲れ果てた顔には「もう十分戦った」という諦めが張り付いている。
兵達にとって、智美の捜索など二の次だった。
ただ、休みたい。
ただ、空腹を満たしたい。
ただ、生を感じていたい。
それだけだった。
突然、一人の兵士が地面に倒れた人影に駆け寄っていく。
「おい、しっかりしろ! ちくしょう! 今夜、一緒に飲もうって約束したじゃねぇか!」
引き裂かれるような、叫び声。
抱き上げられたのは、すでに冷たくなり力の抜けた遺体のようである。
動かなくなった友人であろう遺体を抱き、泣き崩れる兵士。
その光景を見た瞬間、絵美の息が止まった。
(もしも……もしも、あれが智ちゃんだったら? だめ、そんな訳ない……)
冷たい、身体……もう、二度と返ってこない温もり。
笑顔も、声も……朝の挨拶も。
想像しただけで、胸の奥が鋭い刃で抉られるような痛みが走った。
心臓が激しく鳴り、視界がぐらりと揺れる。
喉が締め付けられ、吐き気すら込み上げてきた。
(智ちゃん……こんな場所で、私を置いて行かないでよ! 航ちゃんもゼークも、待ってるんだからね!)
ゼークがアルパスターに助けられた付近の戦闘は、落ち着き始めている。
それでも、戦闘が続く危険地帯である事に変わりない。
捜索隊は当然のように、そこへ近づくことを拒んだ。
歩きながら絵美は歯を食いしばり、心の中で何度も叫ぶ。
行きたい……今すぐ、あの場所に行きたい!
たとえ危険だとしても、智美のいる可能性が高い場所へ……
その時、脳裏に航太の必死の声が蘇る。
『絵美まで行方不明になったら、どうするんだよ!』
その言葉が、絵美の足を地面に縫い止めた。
双子の絆を、信じたい。
智美がまだ生きていると、どこかで感じていたい。
もしも……が、心をゆっくりと容赦なく蝕んでいく。
数時間、虚しい捜索は続いた。
それでも智美の痕跡は、何一つ見つからない。
夕闇が戦場を覆い、冷たい風が死の匂いを運んでくる。
ほぼ一日をかけて捜索をし、捜索隊は成果もなく幕舎へと引き上げた。
時間が経てば経つほど、生存率は下がる。
その残酷な事実を、絵美は痛いほど理解していた。
だからこそ胸の奥に広がる黒い絶望を、どうしても抑えきれない。
幕舎に戻ると、血走った目をした航太と一真が待ち構えていた。
一真の頭には、ガーゴが不安げにしがみついている。
「みーちゃん、お疲れ様。捜索の方は、どうだった? って、あまり順調じゃなかったみたいだね」
二人は絵美の顔を見た瞬間、顔から希望の色が消え失せた。
「どうもこうも、ないよ!」
絵美の声は、怒りと悲しみと無力感で微かに掠れている。
「捜索は遅いし、隊長はふざけてるし……笑ってる奴までいた。あんな連中が探してるんじゃ、智ちゃんは絶対に見つからないよ! 最初から……探す気なんて、なかったんだよ!」
絵美の言葉を聞いた航太は机を叩きつけ、拳が震えるのを隠せなかった。
目には、悔しさと涙が滲んでいる。
一真は唇を強く噛み、ガーゴを抱き寄せながら小さな声で呟いた。
「智姉……まだ、小競り合いが続いてる区域にいるのかもしれない。心配だね……」
幕舎の中に、重く冷たく……息の詰まるような沈黙が落ちる。
「ミーしゃん……何で、そんなにイライラしてるでしゅか~? あの日……でしゅか?」
一真の頭から絵美の腕の中に移動したガーゴが、怯えた声で尋ねた。
絵美はガーゴを口元に引き寄せ、怒りを爆発させる。
「ガーゴ、聞いてよ! 捜索隊の隊長、私たちの事『神剣に選ばれただけで幹部になった』って馬鹿にしてたんだよ! 智ちゃんの力で、炎から守られた兵士だっていた筈なのに! もう……本当に、イライラする!」
怒りが、言葉となって迸る。
ガーゴは、まるで汗をかいているかのように縮こまった。
「わ、わかったでしゅ~、災難でしゅたね……ヨチヨチしてあげましゅね~。おー、ヨチヨチでしゅ~」
白い羽で、絵美の頭を撫でるガーゴ……そのコミカルな姿に誰も突っ込む余裕はなく、航太達は捜索隊への憤りで煮えたぎっていた。
「みーちゃん、大変だったね。でも……捜索隊の兵士だって、戦闘の後で疲れ果ててるなか智姉を探してくれた。戦場で行方不明になってしまう兵は、沢山いるんだ。ほとんどの兵は探してもらえる事もなく、帰って来ないってだけで戦死扱いにされてしまう。捜索隊を編成してくれただけでも、少しは感謝しないと……」
一真だけが、冷静に捜索隊の立場を慮う。
一真の言葉に、絵美は遺体を抱きしめ震えていた兵士の姿を思い出した。
それでも、胸の奥の怒りは消えそうにない。
「分かってるよ! でも、納得できる訳ないじゃん! カズちゃんは、智ちゃんが帰って来なくてもいいの? 他の兵士の事なんて、分かんないよ! 私達は数週間前まで、ただの大学生だったんだよ? それが戦場で、一人で取り残されて……どれだけ不安かなんて、簡単に想像できるじゃん!」
絵美の声は悔しさと無力感と涙で、震える。
自分達にとっては、関係のない戦争だ。
それでも人間の為と思い協力しているのに、なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのか?
自分達の意思で、部隊に入る事を志願した……だから、戦場で命を落としても文句は言えない。
頭では分かっていても、心がそれを拒絶した。
「おい、一真! 絵美の話を、聞いてなかったのかよ! 智美を……オレ達の大切な人を、真剣に探さなかったんだぞ! そんな奴らの肩を、持つんじゃねぇ!」
航太が一真の襟首を掴み、怒りを叩きつける。
その目は、まるで一真を殴りつけそうな勢いだった。
「分かってるよ! でも、仲間同士で争ってたって智姉は見つからない! それに少ない人数じゃ、広大な戦場を探すのは無理だよ。やる気があろうが無かろうが、今は兵達の力を借りるしかないんだ! それに兵達からしたら、智姉は他人だ。その他人の為に、探し回ってくれた人に感謝するのは当たり前だろ!」
一真の正論は、まるで冷水のように場を凍りつかせる。
航太は怒りに震えながらも、その正しさに反論できず力任せに襟首を離した。
行き場のない拳は、再び机が引き受ける事になる。
航太の怒りが籠った音が、幕舎に重く響く。
「オレだって、智姉を心配してない訳じゃないんだ……生きてて欲しいし、生きていてくれてるって信じてる」
一真が襟を正しながら、震える声で呟く。
誰もが、その言葉に目を伏せた。
「当たり前だ! 死んでて、たまるかよ! 絶対に生きてる! 智美だって、伝説のMyth Knightなんだ。簡単に、くたばる訳がねぇ!」
航太は、吠える。
その声は、まるで自分を鼓舞するようであった。
「そうだよ……オレたちが、信じなきゃ。くそっ、どうしてオレは……」
一真は俯き、握りしめた手を悔しそうに見つめる。
涙が溢れそうな瞳に、必死に力を入れる。
「私……夜が明けたら、絶対にもう一度探しに行く! あんな捜索じゃ、納得できない! 自分が納得できるまで、探して回ってやる!」
絵美は涙を拭き、興奮と焦燥に駆られていた。
夜の帷が落ち、戦場の闇は全てを飲み込む。
街灯も町の明かりもない冷たく暗い世界では、捜索を続ける術もない。
智美の無事を祈る切実な思いだけが、胸を焼き続ける。
戦場の静けさが、希望を嘲笑っている様に感じていた……
智美は、まだ生きているのか?
それとも冷たい泥の中に埋もれ、誰にも気づかれぬままなのか?
夜の闇は深く、希望の欠片すら飲み込んでいくようだった。




