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雫物語 Rewrite  作者: クロプリ
恐怖の炎
52/80

闇に飲まれる祈り

 戦場の果てに、血と鉄と焼け焦げた肉の臭いが重く淀んでいる。


 ランカスト隊とユングヴィ隊がようやく合流し、ヨトゥン軍を押し返し始めたその刻……薄暗い幕舎の中で、智美捜索隊の面々が重い腰を上げようとしていた。


 遠くで響く剣戟の音と、断末魔のような叫びが幕を激しく震わせる。

 まるで死神がすぐ傍で息を潜め、こちらを窺っているかのようだった。


 その中心に堂々と立っていたのは、ランカスト隊の中隊長パシェード・シェルクードである。


「私は、捜索隊の指揮を預かるパシェード・シェルクードだ。新参者の素人が神剣に選ばれただけで幹部待遇とは、世も甘くなったものだ。だがMyth Knightを無事救出できれば、名誉と報奨金は確実だ。疲れてるだろうが、自分の利益のために真剣に探せよ?」


 軽薄な笑みが浮かぶと、隊員たちの間からクスクスと嘲笑が漏れた。


 その瞬間、絵美の胸の奥で何かが音を立てて壊れた気がする。


(ふざけないでよね! 戦いが始まった時は、煽てまくってたクセに!)


 智美は、命を懸けて皆を守っていた。


 水の壁を張り、火球の攻撃を防いでいた事を忘れたのか? 

 一人でも多くの仲間を救う為に、戦場で戦い続けたのに!

 この嘲笑は、何? 


 智美の命など、最初からどうでもいいと言っているようにしか聞こえなかった。


 唇を噛みしめると、血の味が広がった。

 絵美は、シェルクードを射抜くような視線を向ける。

 瞳の奥に宿る冷たい光は、抑えきれない怒りと溢れそうな涙を必死に堪えていた。


 智美の笑顔が、ずっと脳裏に浮かび続ける。 

 あの、温かい手……

 幼い頃からずっと一緒にいた、半身のような存在。


(智ちゃん、お願い! 生きていて!)


 拳を強く握りしめ爪が掌に食い込む痛みすら、今は心地よい。

 怒りを内に向けられていると、実感できていた。


 怒りを爆発させれば、捜索が遅れる。

 それだけは、絶対に避けなければならなかった。


 そして、捜索は始まった。

 しかしその歩みは酷く緩慢で、絵美の心をジワジワと削っていく。


 危険区域には近づかず、隊員たちは他愛もない世間話を続けていた。

 兵士たちの目は虚ろで、疲れ果てた顔には「もう十分戦った」という諦めが張り付いている。


 兵達にとって、智美の捜索など二の次だった。


 ただ、休みたい。

 ただ、空腹を満たしたい。

 ただ、生を感じていたい。


 それだけだった。


 突然、一人の兵士が地面に倒れた人影に駆け寄っていく。


「おい、しっかりしろ! ちくしょう! 今夜、一緒に飲もうって約束したじゃねぇか!」


 引き裂かれるような、叫び声。

 抱き上げられたのは、すでに冷たくなり力の抜けた遺体のようである。

 動かなくなった友人であろう遺体を抱き、泣き崩れる兵士。


 その光景を見た瞬間、絵美の息が止まった。


(もしも……もしも、あれが智ちゃんだったら? だめ、そんな訳ない……)


 冷たい、身体……もう、二度と返ってこない温もり。

 笑顔も、声も……朝の挨拶も。


 想像しただけで、胸の奥が鋭い刃で抉られるような痛みが走った。


 心臓が激しく鳴り、視界がぐらりと揺れる。  

 喉が締め付けられ、吐き気すら込み上げてきた。


(智ちゃん……こんな場所で、私を置いて行かないでよ! 航ちゃんもゼークも、待ってるんだからね!)


 ゼークがアルパスターに助けられた付近の戦闘は、落ち着き始めている。

 それでも、戦闘が続く危険地帯である事に変わりない。


 捜索隊は当然のように、そこへ近づくことを拒んだ。


 歩きながら絵美は歯を食いしばり、心の中で何度も叫ぶ。


 行きたい……今すぐ、あの場所に行きたい!

 たとえ危険だとしても、智美のいる可能性が高い場所へ……


 その時、脳裏に航太の必死の声が蘇る。


『絵美まで行方不明になったら、どうするんだよ!』


 その言葉が、絵美の足を地面に縫い止めた。


 双子の絆を、信じたい。

 智美がまだ生きていると、どこかで感じていたい。


 もしも……が、心をゆっくりと容赦なく蝕んでいく。


 数時間、虚しい捜索は続いた。

 それでも智美の痕跡は、何一つ見つからない。


 夕闇が戦場を覆い、冷たい風が死の匂いを運んでくる。

 ほぼ一日をかけて捜索をし、捜索隊は成果もなく幕舎へと引き上げた。


 時間が経てば経つほど、生存率は下がる。

 その残酷な事実を、絵美は痛いほど理解していた。


 だからこそ胸の奥に広がる黒い絶望を、どうしても抑えきれない。


 幕舎に戻ると、血走った目をした航太と一真が待ち構えていた。


 一真の頭には、ガーゴが不安げにしがみついている。


「みーちゃん、お疲れ様。捜索の方は、どうだった? って、あまり順調じゃなかったみたいだね」


 二人は絵美の顔を見た瞬間、顔から希望の色が消え失せた。


「どうもこうも、ないよ!」


 絵美の声は、怒りと悲しみと無力感で微かに掠れている。


「捜索は遅いし、隊長はふざけてるし……笑ってる奴までいた。あんな連中が探してるんじゃ、智ちゃんは絶対に見つからないよ! 最初から……探す気なんて、なかったんだよ!」


 絵美の言葉を聞いた航太は机を叩きつけ、拳が震えるのを隠せなかった。

 目には、悔しさと涙が滲んでいる。


 一真は唇を強く噛み、ガーゴを抱き寄せながら小さな声で呟いた。


「智姉……まだ、小競り合いが続いてる区域にいるのかもしれない。心配だね……」


 幕舎の中に、重く冷たく……息の詰まるような沈黙が落ちる。


「ミーしゃん……何で、そんなにイライラしてるでしゅか~? あの日……でしゅか?」


 一真の頭から絵美の腕の中に移動したガーゴが、怯えた声で尋ねた。


 絵美はガーゴを口元に引き寄せ、怒りを爆発させる。


「ガーゴ、聞いてよ! 捜索隊の隊長、私たちの事『神剣に選ばれただけで幹部になった』って馬鹿にしてたんだよ! 智ちゃんの力で、炎から守られた兵士だっていた筈なのに! もう……本当に、イライラする!」


 怒りが、言葉となって迸る。

 ガーゴは、まるで汗をかいているかのように縮こまった。


「わ、わかったでしゅ~、災難でしゅたね……ヨチヨチしてあげましゅね~。おー、ヨチヨチでしゅ~」


 白い羽で、絵美の頭を撫でるガーゴ……そのコミカルな姿に誰も突っ込む余裕はなく、航太達は捜索隊への憤りで煮えたぎっていた。


「みーちゃん、大変だったね。でも……捜索隊の兵士だって、戦闘の後で疲れ果ててるなか智姉を探してくれた。戦場で行方不明になってしまう兵は、沢山いるんだ。ほとんどの兵は探してもらえる事もなく、帰って来ないってだけで戦死扱いにされてしまう。捜索隊を編成してくれただけでも、少しは感謝しないと……」


 一真だけが、冷静に捜索隊の立場を慮う。


 一真の言葉に、絵美は遺体を抱きしめ震えていた兵士の姿を思い出した。

 それでも、胸の奥の怒りは消えそうにない。


「分かってるよ! でも、納得できる訳ないじゃん! カズちゃんは、智ちゃんが帰って来なくてもいいの? 他の兵士の事なんて、分かんないよ! 私達は数週間前まで、ただの大学生だったんだよ? それが戦場で、一人で取り残されて……どれだけ不安かなんて、簡単に想像できるじゃん!」


 絵美の声は悔しさと無力感と涙で、震える。

 自分達にとっては、関係のない戦争だ。

 それでも人間の為と思い協力しているのに、なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのか?


 自分達の意思で、部隊に入る事を志願した……だから、戦場で命を落としても文句は言えない。

 頭では分かっていても、心がそれを拒絶した。


「おい、一真! 絵美の話を、聞いてなかったのかよ! 智美を……オレ達の大切な人を、真剣に探さなかったんだぞ! そんな奴らの肩を、持つんじゃねぇ!」


 航太が一真の襟首を掴み、怒りを叩きつける。

 その目は、まるで一真を殴りつけそうな勢いだった。


「分かってるよ! でも、仲間同士で争ってたって智姉は見つからない! それに少ない人数じゃ、広大な戦場を探すのは無理だよ。やる気があろうが無かろうが、今は兵達の力を借りるしかないんだ! それに兵達からしたら、智姉は他人だ。その他人の為に、探し回ってくれた人に感謝するのは当たり前だろ!」


 一真の正論は、まるで冷水のように場を凍りつかせる。

 航太は怒りに震えながらも、その正しさに反論できず力任せに襟首を離した。


 行き場のない拳は、再び机が引き受ける事になる。

 航太の怒りが籠った音が、幕舎に重く響く。


「オレだって、智姉を心配してない訳じゃないんだ……生きてて欲しいし、生きていてくれてるって信じてる」


 一真が襟を正しながら、震える声で呟く。

 誰もが、その言葉に目を伏せた。


「当たり前だ! 死んでて、たまるかよ! 絶対に生きてる! 智美だって、伝説のMyth Knightなんだ。簡単に、くたばる訳がねぇ!」


 航太は、吠える。

 その声は、まるで自分を鼓舞するようであった。


「そうだよ……オレたちが、信じなきゃ。くそっ、どうしてオレは……」


 一真は俯き、握りしめた手を悔しそうに見つめる。

 涙が溢れそうな瞳に、必死に力を入れる。


「私……夜が明けたら、絶対にもう一度探しに行く! あんな捜索じゃ、納得できない! 自分が納得できるまで、探して回ってやる!」


 絵美は涙を拭き、興奮と焦燥に駆られていた。


 夜の帷が落ち、戦場の闇は全てを飲み込む。 

 街灯も町の明かりもない冷たく暗い世界では、捜索を続ける術もない。


 智美の無事を祈る切実な思いだけが、胸を焼き続ける。

 戦場の静けさが、希望を嘲笑っている様に感じていた……


 智美は、まだ生きているのか?

 それとも冷たい泥の中に埋もれ、誰にも気づかれぬままなのか?


 夜の闇は深く、希望の欠片すら飲み込んでいくようだった。

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