智美の戦い2
「ヨトゥン兵達よ、女性騎士から離れろ! 後は、我が対応する!」
風を切り裂く叫びが、切り立った崖の上から轟く。
ビューレイストは嵐の化身のごとく、数十メートルの高さから飛び降りた。
しかしその着地は、羽毛が地に落ちるように静かで軽やかである。
土煙が舞う中、ビューレイストは何事もなかったかのように悠然と智美の方へと歩を進めてくる。
その佇まいは、神話から降臨した古の騎士そのものだった。
黒銀の甲冑が陽光を反射し、鋭い眼光は戦場全体を圧する威厳に満ちている。
「我が名は、ビューレイスト。Myth Knight……勇敢なる貴公に対し、囲んで戦った非礼を詫びよう。まずはその傷を癒し、しかる後に一騎打ちにて雌雄を決したい」
声は静かで深く、重厚な響きが戦場を震わせた。
威圧感の中に、武人としての礼節が確かに宿っている。
ビューレイストは倒れたヨトゥン兵の剣を拾い上げ、陽光に輝く刃を確かめるように眺めた。
自身が帯刀する剣を使わず、同じ条件で戦うつもりらしい。
「兵達にも、手出しはさせない。全回復するまで待つから、ゆっくり治してくれ。その神剣の能力ならば、体力も回復できるはずだ」
ゆっくりと腰を下ろすその姿に、智美はビューレイストの気高さと底知れぬ力を感じ取った。
(なんて紳士的なの……それに、自分の剣も使わず戦うなんて。私は、神剣を持っている。ゼークも探さなければいけないし、正々堂々と同じ土俵で戦う義理はないわ。でも、能力は見透かされているみたいね。回復能力も、知られている。だったら言われた通り、完全回復して全力で挑んでやるわ!)
智美は静かに目を閉じ、天叢雲剣と草薙剣を胸の前で交差させた。
青白い光が智美の身体を包み、ヨトゥン兵に刻まれた無数の傷がみるみる癒えていく。
光は神聖な蒼炎のように揺らめき、戦場に一瞬の静寂をもたらした。
「回復の力……素晴らしい。やはり、トライデントと同じ能力を持つ神剣か。その神剣に認められた女性騎士……まさに、稀有な存在だな」
崖の上から見下ろすロキの声が、冷たい感嘆を帯びて響く。
黒髪を風に靡かせ、妖しく輝く瞳で智美を値踏みするロキ。
その姿は、獲物を吟味する猛獣のようである。
(この人たちは、絶対に敵の幹部だ……しかも、ものすごく強い気がする。逃げても、逃げ切れる気がしないな。でも一騎打ちなら、勝機はあるはず! 自分自身と、私を守護してくれる神剣を……信じるよ!)
二振りの神剣から流れる温かい力が、両手に宿った気がした。
共に戦う戦友が、両脇に寄り添ってくれているような感覚がする。
智美は、ゆっくりと瞳を開く。
直ぐに視界に入るのは、周囲を鉄壁のように囲む無言のヨトゥン兵。
逃げ場は、ない。
智美は深く息を吸い、覚悟を固めた。
(私だって、Myth Knightなんだ。いくら相手が強くたって、舐められているなら、勝てる! 私の全力、預けるよ!)
力と体力が戻った智美は、二振りの神剣を握り直す。
神剣が仄かに青く輝き、その思いに応えた。
「回復できたか? ならば、全力で来い!」
心臓に響く低い声で叫ぶと、ビューレイストは立ち上がり剣を構える。
その一挙手一投足だけで、嵐を予感させる重圧が放たれた。
智美は神剣を握り締め、全身の筋肉を緊張させる。
戦場に張り詰めた空気が、火花を散らすようだった。
(この人を倒せば、ヨトゥン兵たちも動揺するはず。絶対に、ゼークを探し出すんだ!)
その手に宿るのは、仲間への想いと不屈の闘志。
智美は、瞬時に動いた。
舞うような身のこなしで間合いを詰め、草薙剣を全力で振り抜く。
ビューレイストは軽々と受け流し、水の攻撃範囲を確認するように距離を取る。
その瞬間、遠くの空に三条の光が閃くのを見た。
希望の烽火のように、智美の心を奮い立たせる。
(アルパスター将軍……来て、くれたんだ。きっと、ゼークを助けに来てくれたんだよね? なら、私は目の前の敵に集中しよう。私も、生きて帰りたい。また、みんなに会いたいよ! それに、ゼークを安心させてあげないと!)
その光に力を得た智美は、目前の敵に全神経を集中させた。
「今のは、ブリューナクの光……アルパスターが、戦場に出ているのか。なるほど……貴女の憂いも、少しは晴れたようだな?」
見透かされている。
それでも、智美の瞳は前を向いていた。
眼前で、ビューレイストが剣を振り上げる。
その動きは緩慢に見えて、そして底知れぬ殺気を孕んでいた。
しかし、遅い。
智美は、一瞬の隙を見逃さず動く。
(私の剣は、当たりさえすればいい。絶対に、当てる!)
先ほどの普通の斬撃とは違う、神剣の力を解放した一撃。
草薙剣から迸ったのは、奔流と化した水の刃だった。
空間を切り裂き、凄まじい勢いでビューレイストを飲み込もうと襲いかかる。
水の咆哮が、戦場に響き渡った。
普通の人間なら回避不可能な、不意打ち気味の必殺の一撃。
神器ではない、通常の武器で捌けるはずがない。
そう確信し、智美はヨトゥン兵の包囲を突破すべく次の動作に移ろうとした。
敵が動揺しているうちに、駆け抜ける!
そう、思ったのだが……
「甘いぞ、水の騎士!」
ビューレイストの声が、雷鳴のように轟く。
ビューレイストは、ずかに身を後ろに傾けただけで変則的な水の刃を回避していた。
水の刃は胸元を紙一重で掠め、虚空を無情に切り裂いて通り過ぎる。
まるで水面を滑る影のような、無駄のない極致の動きだった。
「そんな……当たっていない? どうして?」
智美の瞳に、動揺が走る。
その一瞬の隙を、ビューレイストは見逃さなかった。
「終わりだ!」
閃光が、炸裂する。
目にも止まらぬ速さで繰り出された一撃は、刃の腹で正確無比に智美の鳩尾を捉えた。
空気が裂ける衝撃音と共に、智美の身体は木の葉のように吹き飛ばされる。
「きゃっ……ふぅ!」
肺から空気が押し出され、激痛が全身を貫く。
視界がぼやけ、地面に叩きつけられた瞬間に骨の軋む音が響いた。
智美は地面を転がり、膝をついた姿勢のまま力なく崩れ落ちた。
二振りの剣が手から離れ、乾いた土の上を転がる。
痛みと衝撃は、智美の闘志と希望を一瞬で粉砕するに十分な一撃だった。
ビューレイストは剣を地面に突き立て、静かに倒れた智美を見下ろす。
その瞳には勝利者としての冷徹さと、戦士への敬意が同居していた。
意識を失ったのを確認すると、ビューレイストはゆっくりと崖の上に立つロキへと視線を上げる。
「いかがでしたか? ロキ様」
静かな声に、ロキは薄く微笑んだ。
黒髪を風に靡かせ妖しい美貌を湛えた瞳が、智美の倒れた姿を冷たく見つめる。
「力はまだ未熟だが、回復の特性は見事だ。攻撃面での実用性は乏しいが、トライデントに近しい能力を持っているのは間違いないようだな?」
ロキの声には感嘆と同時に、神剣を道具として値踏みする冷酷さが滲んでいた。
「はっ……七国騎士団の最後の戦場で、ミルティがバロールと対峙した事は間違いありません。トライデントが魔眼の影響を受けたとしたら、神器の魂が分断された可能性もあります」
「ふむ……ビューレイスト、ユングヴィの部隊が近づいているようだ。その女騎士から話を聞くのは、我が居城に戻ってからにするとしよう」
その命令に、ビューレイストは静かに頷く。
その時、一人のヨトゥン兵が息を切らせて駆け寄ってきた。
「ロキ様、報告です! 前方のガイエン軍が、ランカスト・ユングヴィ両部隊に挟撃され敗走! 両部隊が我が軍に攻撃を仕掛けており、押され始めています!」
ロキは軽く頷き、まるで全てを見越していたかのように冷静に答える。
「我が軍の目的は、ほぼ達成した。アルパスターの軍はクロウ・クルワッハの部隊に任せ、我々はベルヘイム攻略の任務に戻る。全軍に通達しろ!」
その言葉と共にロキは軍を素早くまとめ、撤退の準備を始めた。
風が吹き抜ける崖の下で、智美の倒れた姿が静かに横たわっている。
智美の戦いは、まだ終わらない。
しかしその運命は、圧倒的な強者たちの手に委ねられてしまった……




