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雫物語 Rewrite  作者: クロプリ
二人の逃避行
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智美の戦い1

 智美の意識が闇の底からゆっくりと浮上したのは、ゼークと引き裂かれてからわずかな時が流れた後のことだった。

 心臓を鷲掴みにする恐怖と、胸を抉る切なさが全身を貫く。


(私……まだ、生きている。ゼーク……ゼークは? 無事……だよね? 逃げて、くれてるよね?)


 視界はぼやけ、硝煙と血の臭いが鼻腔を刺した。

 どれだけ首を巡らせても、信頼する仲間の姿はない。


 智美は歯を食いしばり、震える腕で上体を起こした。

 右足をわずかに動かしただけで、肉を抉られる激痛が脊髄を駆け上がる。

 倒れた衝撃で開いた深い傷は、まだ癒えるはずもなかった。


 それでも智美は、這うように前へ進み始める。

 血まみれの戦場を這いずりながら、ゼークの背中を探す。

 朦朧とする意識の中で、唯一の希望に縋る。


(私が、ここで倒れたら……ゼークの戦いが、無駄になっちゃう。それだけは、ダメだよ……絶対に、私を探して戦っている。私が、生き残ること……そして、ゼークも助かること。私がゼークに報いるには、それしかない!)


 ゼークを想う気持ちだけが、傷だらけの心を支えていた。


「おい、あそこに動いているヤツがいるぞ! 人間なら、トドメを刺しておけ!」


 不吉な叫び声が、戦場の喧騒を切り裂く。

 ヨトゥン兵たちの獰猛な視線が、一斉に智美に突き刺さった。


 重い足音が、地響きのように近づいてくる。

 十数名……いや、それ以上。

 赤黒い肌と血に飢えた瞳が、獲物を捉えていた。


(一人になって、分かった。私が倒れることで、悲しんで……そして、自分を責めちゃう人がいる。楽になりたいからって、諦めていい訳がなかったんだ!)


 恐怖が、喉を締め上げる。

 だが智美は、魂の底から力を振り絞った。


(ゼークが、まだ戦っているなら……私が生きていることを、伝えられるなら!)


 天叢雲剣を握る手に、力がこもる。

 瞳が薄い青に染まり、傷ついた右足に刃を当てた瞬間……眩い青光が、爆発した。


「っ、あぁぁっ!」


 喉を裂く叫びが、思わず漏れる。


 光が傷口に流れ込み、断裂した筋肉と血管を強制的に繋ぎ合わせていく。

 それは、単なる治癒などという生易しいモノではない。

 細胞の命そのものを再構成する、神剣の奇跡だった。


 痛みが極限まで高まり、視界が白く染まる。  

 唇を噛みすぎて血が滴ったが、智美は剣を離さなかった。


 青い輝きが収束すると同時に、右足は痛みを忘れ軽やかに動く。

 代償として、精神的な疲労が一気に襲いかかる。

 額に冷たい汗が流れ、息が荒くなった。


 それでも、智美は立ち上がる。

 迫りくるヨトゥン兵の群れに向かい、静かに二刀を構えた。


「今の青い光、神剣の力……やつは、Myth Knightか? だが、所詮は小娘だ。一瞬でブチ殺してやる!」


 先頭のヨトゥン兵が、巨大戦斧を振り上げて突進してくる。

 しかし、智美の瞳に迷いはなかった。


 草薙剣を左手に、天叢雲剣を右手に……水の刃を纏わせ、舞うように身体を翻す。

 剣が、交錯する。

 変則的な軌道を描く、智美の繰り出す斬撃。 

 水の刃がヨトゥン兵の鎧を裂き、赤黒い血を噴き上げさせた。

 返り血が、白い頰を汚す。


「がぁっ!」


 ヨトゥン兵の首が、草薙剣の一閃で綺麗に飛ぶ。

 しかし次の瞬間には、横薙ぎの大剣が智美の脇腹を浅く切り裂いた。


 痛みに顔を歪めながらも、智美は即座に反撃を試みる。

 草薙剣がヨトゥン兵の胸を抉り、天叢雲剣の青光が脇腹の傷を瞬時に癒す。


(これじゃ、スリヴァルディと変わらないや。ちょっと気持ち悪いけど、今は気にしてられないよね!)


 息が上がり、腕が重くなる。

 それでも、智美は止まらない。


 血と叫びと鋼の音が渦巻く中、倒れるたびに青い光が輝き……立ち上がっては、剣を振るう。


 華麗だった剣舞は、次第に悲壮な死闘へと変わっていった。


 ヨトゥン兵の死体が、周囲に積み重なる。

 視界が狭くなり、膝が折れかけた。


「ここは、ロキ様の戦場だ! 小娘如きに、好き勝手やらせ続けるわけにいくかよ!」


 今までのヨトゥン兵の動きとは、明らかに違う。

 巨大な槍から、その重量を無視した閃光のような突きが智美の眼前に迫る。


「私にだって、譲れない想いがある! 今の私にできる、精一杯を!」


 智美の瞳が、先程より更に青に輝く。


 槍の動きが、一瞬止まった……いや、止まった様に見えている。

 重かった身体が、急に羽が生えたかのように軽くなった。


 軽く振った草薙剣から発生した鋭利な水の刃は、巨大な槍ごとヨトゥン兵の身体を一刀両断する。


 水の刃が消えた瞬間、智美の身体は錘を背負ったかのように重くなり膝をつく。


 息を大きく吐き、視線を上げる智美。

 その瞳に、崖の上に立つ異様な影が飛び込んだ。


 漆黒の鎧に包まれた、黒髪の美青年。

 神々しいほど整った容姿でありながら、瞳の奥には底知れぬ冷たい闇が宿っている。


 その者の名は、ロキ。

 伝説の神殺しとしてヨトゥンヘイムに堕とされた、哀しき裏切り者。


 隣に控える黒衣の騎士ビューレイストと共に、ロキは静かに戦いを見下ろしていた。

 その瞳には冷酷さと、わずかな哀しみが混じっている。


 智美の心臓は、なぜか激しく高鳴った。


(あれは……人なの? こんなに離れているのに、威圧感が伝わってくる。フェルグスやスリヴァルディとは、違う感覚……)


 恐怖と、理由のわからない胸の締め付けが同時に襲ってくる。

 戦場の喧騒が、一瞬遠のく。


 ロキが、低く静かな声を出す。


「ビューレイスト、あの剣をどう見る?」


「水系最強の神槍、トライデントに近い能力に見えますね。形状は異なりますが、本質は似ているように感じます。騎士の力が弱すぎるので、本来の力は分かりません。ですが……」


 ロキの唇が、わずかに歪む。

 獲物を弄ぶような、冷たい微笑み。


「あの女騎士……Myth Knightとしては、確かに未熟だ。だが神剣は、トライデント級の力を秘めている可能性がある。そして、青の瞳……龍皇の力を宿しているのか? だとすれば、見過ごすわけにはいかんな。失われた、勝利の剣(Sword of Victory)の手がかりになるやもしれん」


「トライデントは、七国の騎士ミルティ・ノアの使っていた神槍。そして彼女が、龍皇の力を有しているのならば……」


 ビューレイストは静かに言うと、剣の柄に手を置く。

 その動きは、まるで静かな水面に波紋を広げるように穏やかである。


「捕らえて、話を聞きいてみましょう。現状のアルパスター陣営に、バロール討伐の脅威となる者がいるかも探れるかもしれません。無駄には、ならないでしょう」


「そうだな……頼む」


 ロキは、崖下に向かって手を翳した。

 その合図で、智美を囲んでいたヨトゥン兵たちが一斉に退いていく。


 その神聖で冷酷な姿に、智美の心は震えた。

 それでも決意の炎は、まだ消えていない。


 しかし智美の胸には、新たな予感が重くのしかかっていた。


 スリヴァルディと対峙した時以上の恐怖と、なぜか胸を締め付ける予感。


 この出会いが更に苛烈な運命の渦を生み出していくことを、智美はまだ知らなかった…

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