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雫物語 Rewrite  作者: クロプリ
二人の逃避行
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血の海に沈む祈り ~届かぬ叫び~

 アルパスターが、航太の救援に疾駆していたその頃……ゼークと智美は、血と鉄の重い匂いが濃密に立ち込める戦場の奈落に二人きりで取り残されていた。


 周囲は、無情な乱戦の渦。

 味方の声はすでに遠く、聞こえるのはヨトゥン兵の獣じみた咆哮……そして肉を裂く冷たい金属音、自分の身体から滴り落ちる血の静かな音だけである。


 智美の右足は、スリヴァルディの凶刃によって深々と斬り裂かれていた。

 歩くたび骨を抉る激痛が全身を焼き、視界が白く霞む。


 地面を這う鮮血の跡は智美の命を静かに、しかし確実に削り取っている。


 それでも智美はゼークの肩にすがりつき、震える指でその腕を必死に掴んでいた。

 一歩……また一歩と、儚く前へ進む。

 その歩みは風に散る桜の花びらのように、頼りなく遅かった。


 次々と襲い来るヨトゥン兵の群れは、飢えた闇の獣そのもの。

 傷ついた二人を嗅ぎつけ、容赦なく牙を剥く。

 回復の暇など与えられず、二人は血に塗れた生贄と化していた。


(私が、もっと強ければ……智美を、こんな目に遭わせずに済んだのに!)


 ゼークの胸は、熱い焦燥と深い自己嫌悪で引き裂かれていく。

 百四十センチほどの、バスタード・ソード……父から贈られた白銀の月影を右手だけで振り回し、智美を支える左腕は激しく震えていた。


 汗と血が混じり、銀色の美しい髪が頰に張り付く。

 息は荒く、筋肉は限界の悲鳴を上げる。

 心臓は、破裂せんばかりに鼓動を刻んでいた。


 それでも、ゼークは剣を振り続ける。


(この身が砕け散ろうとも、智美だけは……絶対に守り抜いてみせる!)


 その想いだけが、折れかけた心と身体を突き動かしていた。


 罪悪感と悔しさが、ゼークの心を血みどろに掻き乱す。

 智美を救いたいという、純粋な願い。


 しかし心の奥底では、冷たい声が容赦なく囁く。


(どうして私は、神剣が使えないの! 七国の騎士の末裔なのに……大切な人も、守れない! どうして先祖様は、レーヴァテインを手放してしまったのよ!)


 Myth Knightだったなら、神剣を手にしていたなら……回復の時間すら、容易く作れたはずだ。

 エアの剣やカラドボルグの輝きを思い浮かべるたび、無力感が胸を鋭く抉る。


 自分の剣は、ただの凡庸な鋼。

 必殺の「終極・蒼月」すら、今の身体では智美を巻き込む危険があるため使えない。


 どれだけ血を吐く思いで剣を振るっても、敵の波を断ち切る力はなかった。


 一方、智美の心も罪悪感の重みに静かに押し潰されていく。


(ゼーク、ごめんね……私のせいで、ゼークまで巻き込んじゃってる。ゼーク一人なら、きっと逃げられたのに……)


 智美は右足の激痛を歯を食いしばって堪え、水の癒しの力を全てゼークへと注ぎ続けていた。

 自分の傷は炎に焼かれるように疼き、立っていることすら奇跡だと思う。


 それでも、ゼークの剣が止まらないよう、ひたすら癒しを捧げる。

 ゼークの身体に刻まれる新しい傷を見るたび、智美の胸は張り裂けそうになった。


(全部、私のせいだ……)


 天叢雲剣を握る左手に、力が入る。


「ごめんね、ゼーク……私が、足手まといなばっかりに」


 智美の声は、痛みと罪悪感……そして溢れそうな友情に震え、風に溶けるほど弱々しかった。


「智美、何を言ってるの!」


 ゼークが、即座に言い返す。

 声は血と怒号に満ちた戦場に力強く響いたが、その奥には抑えきれない嗚咽のような震えが混じっていた。


「私が先走って、フェルグスに挑んだのが全ての原因。みんなを、危険に晒しちゃった……ゴメンね。でも、絶対に生きて帰る! 必ず血路を作ってみせるから、智美も諦めないで!」


 互いを想う気持ちが強ければ強いほど、二人の心は優しく……しかし、切なく引き裂かれていく。


 ゼークは智美の傷の深さを、分かっている。

 智美はゼークの痛みを、分かっている。


 だからこそ、二人は互いのために必死だった。


 だがその絆の決意すら、ヨトゥン兵の猛烈な特攻によって無残に打ち砕かれていく。


「くっ!」


 前方の敵を閃光のような太刀筋で切り裂いた瞬間、背後からの強烈な体当たりがゼークの身体を大きくよろめかせた。


 支えていた左手が、力なく離れる。

 智美の小さな身体が、一瞬で宙に投げ出された。


(智美!)


 ゼークの心が、声にならない絶叫を上げる。


 傷ついた腕を、必死に伸ばす。

 しかし、指先はどうしても届かなかった。


「きゃあっ!」


 智美は地面に叩きつけられ、右足の傷口がさらに大きく裂ける。

 鮮血が噴き出し、周囲の土を深く真紅に染め上げた。

 激痛が、意識を根こそぎ闇の中へと引きずり込もうとしてくる。


(ゼーク、ごめんね……私は、もう動けないよ。だから、ゼークだけでも逃げて……)


 視界が、ゆっくりと暗転していく。

 智美の意識は、冷たくも温かい奈落の底へと静かに沈んでいった。


 血の海に倒れた小さな身体は、微かに震えた後に動かなくなる。


「智美っ!」


 ゼークの瞳に、熱いものが溢れ出す。

 声の限り叫んだ名前は、しかし戦場の喧騒の中で誰にも届かない。


 二人の間には、すでにヨトゥン兵の厚い壁が出来上がっていた……

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