希望の灯火 ~戦場に揺らぐ温もり~
風の刃が咆哮を上げ、航太の眼前でヨトゥン兵の巨躯を無慈悲に切り裂く。
血飛沫と烈風が交錯する戦場を、航太は風そのものとなって駆け抜けていた。
足取りは重く、身体はすでに限界を超えている。
無数の傷口から流れ出る温かな血が、冷たい大地を赤く染めていく。
それでも、航太は歩みを止めるわけにはいかなかった。
脳裏に焼きついて離れないのは、ゼークの太陽のような明るい笑顔と、智美の穏やかで優しい眼差しである。
そんな二人の存在が、航太の足を動かし続ける唯一の原動力となっていた。
まだ厳しい戦場にいるであろう二人を思うと、弱音を吐いている場合ではない。
それでも緊張の糸が緩んだ瞬間、全身を貫く激痛が襲う。
傷口が炎のように熱く疼き、息をするたびに肺が締め付けられる。
膝が震え倒れ込みそうになる身体を、仲間への想いだけで必死に支えていた。
航太は、無意識に右腕を摩る。
最後の力をくれた、青い光。
智美が残してくれた力のおかげで、スリヴァルディ相手に踏ん張れたのだ。
弱音を吐けば、その笑顔や優しさが遠ざかってしまう気がする。
それだけは、許せなかった。
ゼークと智美に再会して、お礼を言いたい。 そのためにも、ここで倒れるわけにはいかなかった。
アルパスター軍本隊の近くまで辿り着いたとき、ヨトゥン兵と激しく斬り合う絵美の姿が目に飛び込んでくる。
「絵美! 無事だったか!」
航太の心に、一筋の光が宿った。
「あっ、航ちゃん! ちょっと、どうにかしてよー! 倒しても倒しても、ゾンビみたいにワラワラ湧いてくるんだけどー! 味方も、周りにいなくなっちゃったし!」
叫ぶ絵美の頭上では、ガーゴがけたたましく羽ばたいている。
「何、楽してるでしゅか~! 早く、ガーゴの加勢するでしゅよ~! 多勢に無勢すぎるでしゅ~! ガーゴのフェザーフィニッシュブレイクでも、倒しきれないでしゅよ〜」
(お前は、ただ騒いでるだけだろ! フェザーなんちゃらって技は、頭の上で暴れるだけなのか? てか、なかなか難しい言葉知ってんなぁ……)
航太は心の中で毒づきながらも、絵美とガーゴの軽快で馴染みのある声に安堵した。
戦場の凍てつく空気の中で、温かな日常の欠片に触れた気がする。
この地獄のような戦場で、絵美の存在は小さな灯火のようだった。
揺らぎながらも、決して消えない温もり。
だが、温かさに浸っている暇はない。
絵美の背後に忍び寄るヨトゥン兵の影を目にした瞬間、航太は反射的に剣を振るった。
一閃……ヨトゥン兵の巨体が崩れ落ち、鮮血が絵美の顔に飛び散る。
「絵美! 大丈夫か?」
航太の声は、ほとんど叫びに近かった。
絵美は、ヨトゥン兵の血に染まった真っ赤な顔で振り返る。
その瞳には燃えるような闘志が宿り、航太をまっすぐに見つめてきた。
その闘志が敵に向けられたものか、それとも航太に向けられたものかは判別がつかない。
「大丈夫だと、思ってるわけ? ちょっと、何してくれてんの? 顔に、メチャ血浴びちゃったじゃん! 顔だよ? 顔! もう、ベタベタで最悪……早く、シャワー浴びたいよ~!」
不満げな声は、しかしどこか震えている。
それでも、いつものように冗談めかして笑おうとする絵美の姿に、航太の胸は締め付けられるような安心感で満たされた。
この修羅場で、絵美は「らしさ」を失っていない。
それがどれほど救いだったか、どれほど心の支えになったか。
「シャワーなんて、便利なモンはねぇだろ! てか、一番風呂は俺がもらうぜ!」
航太は無理やり笑顔を作り、軽口を返す。
しかしその声は、自分自身を奮い立たせるためのものである。
絵美の無事が、せめてもの希望の欠片だった。
「サイテー! レディファーストって言葉、知らないの? てか、知ってるわけないか。知ってたら、彼女の一人ぐらい……って、航ちゃん? 傷だらけじゃない! 大丈夫?」
絵美の声が急に鋭くなり、航太のボロボロの姿を見て瞳が大きく揺れる。
その視線は、血に濡れた身体と震える腕に注がれていた。
航太は一瞬、言葉を飲み込む。
戦場の喧騒が、遠くへ遠ざかっていく。
「大丈夫だ。正直、こんな傷はどうだっていい……」
脳裏に浮かぶのはゼークの決意に満ちた表情と、智美の痛みに歪んだ顔。
別れた時の二人の姿が、次々と頭の中で再生される。
「ねぇ、智ちゃんとゼークは? 航ちゃん、ゼークとは一緒だったよね? 智ちゃんも、航ちゃんを探しに行ってたはずだけど……」
航太の表情を見て、絵美は何かを察していた。
「智美は、足をやられてる。ゼークは、両腕を……二人を先に逃がしたつもりだったけど、結局戦場に置き去りにしたようなもんだ。アルパスター将軍が、助けに向かってくれたけど……」
声は途切れ、航太の視線は激戦の続く戦場へと吸い寄せられる。
そこにはまだ、血と叫びと絶望が渦巻いていた。
絵美も、同じ方向を見つめる。
顔にこびりついた血が嫌悪感を呼び起こしているはずなのに、その瞳には仲間を想う強い光が宿っていた。
「私、探しに行く! まだ動けるし、航ちゃんみたいに傷だらけでもない!」
絵美の声は、決意と焦燥が混じった叫びに聞こえる。
身体は、今にも駆け出さんばかりに前傾していた。
「と……とりあえず、ガーゴも行くでしゅ。ちょっと、怖いんでしゅけど……モガモガ」
ガーゴが絵美の頭から肩に飛び移ろうとした瞬間、航太は咄嗟にそのクチバシを掴み地面に叩きつける。
「ふぎゃぽん! でしゅ~!」
ガーゴの悲鳴が響いたが、航太は無視して絵美を真っ直ぐに見つめた。
衝動を止めようと、声を張り上げる。
「おい、待てって! 探しに行って、絵美まで行方不明になったらどうすんだ? 下手したら、フェルグスやスリヴァルディみたいな……ゼークでも勝てなかった化け物みたいな奴と、遭遇するかもしれねぇ! ゼークが、絶対守るって言ってくれた。アルパスター将軍が、必ず助けるって言ったんだ! 智美を連れて、必ず戻ってきてくれる! 信じて、待つしかねぇだろ!」
航太の傷だらけの身体を見て、絵美は強敵との戦いを察したのだろう。
瞳がみるみる涙で潤み、今にも泣き崩れそうになる。
それでも走り出そうとする絵美を、航太は力の限り抱きしめた。
震える小さな肩を感じながら、自分の胸も張り裂けそうな不安でいっぱいになる。
それでも、希望を失わないために。
絵美まで、失うわけにはいかない。
「絶対、助かるから……」
その言葉は絵美への励ましであり、航太自身に言い聞かせる祈りだった。
智美とゼークの無事を、信じたくて……ただ信じたくて。
航太は、静かに目を閉じる。
(頼む、無事でいてくれ……)
心の底から湧き上がる祈りは、戦場の喧騒を掻き消すほど強く……そして、切実だった。
「こ……航太しゃん。浸ってるところ悪いんでしゅが、足をどけてくれると助かるんでしゅよね~」
地面に叩きつけられたガーゴは、絵美に歩み寄った航太の足に踏み潰されている。
ジタバタと動く小さな身体から、虚しい声が響く。
航太がガーゴの身体から足を退けたのは、絵美の震えが収まった後のことだった。
戦闘は、まだ終わらない。
だが二人の胸に灯った小さな希望の火は、決して消えまいと静かに燃え続けていた……




