裏切りの聖騎士4
「うおおおおおぉぉぉっ!」
航太の咆哮は、もはや叫びではなく魂が引き裂かれる慟哭だった。
その声に呼応して、周囲の風が狂ったように荒れ狂う。
無数の風の精霊が航太の絶望と怒りを感じ取り、その願いに染まってエアの剣を通して凶暴な刃へと具現化した。
「はぁぁぁぁぁっ!」
螺旋を描く風の刃が、フェルグスへと殺到する。
同時に航太は大地を蹴り砕き、背後に生み出した爆風を自らの背中に叩きつけた。
風神の如き速度で、フェルグスへ突進する。
風が泣き、砂塵が黒い竜巻となって天を覆う。
この空間に存在するすべての風が、航太の心の叫びを代弁するかのように咆哮した。
だが、フェルグスは微動だにしない。
氷の双眸が冷たく、哀れむように風の刃を射貫く。
神剣カラドボルグが静かに、そして優雅に一閃された。
その瞬間……
風の刃は無残に両断され、儚く散っていく。
「二つを守る……自らの信念を割って、中途半端に守れと言うのか? 貴公に、信念など無いことはよく分かった。もはや、躊躇うことはない!」
フェルグスの構えたカラドボルグが、輝きを増す。
そして金色の死の閃光を残して、航太の胸を目がけて伸びる。
不可視の、剣閃。
その伸びる瞬間だけ、航太の脳裏に飛び込んできた。
「ぐぁああああああっ!」
航太は咄嗟に風圧を全力で操り、カラドボルグの軌道をわずかに逸らそうとする。
だが、それが限界だった。
カラドボルグの切っ先が、航太の右上腕を深々と抉り裂く。
ズシャァァァァァッ!
灼熱の痛みが、骨の髄まで焼き尽くす。
鮮血が噴水のように噴き上がり、赤い霧となって空中に爆散した。
血の滴が地面に落ち、心が砕け散った欠片のように赤く広がっていく。
「がぁああああああっ!」
航太は、勢いのまま地面を転がる。
土と砂利が皮膚を削り、肉を抉った。
右腕の傷口からは、熱く止まらない血が溢れ続ける。
エアの剣の柄が、自らの血で真っ赤に染め上がっていく。
(くそっ! 生まれてから、一番努力したんだぞ! キツい修行を乗り越えて、強くなったって実感してたのに! この一撃に、自分の全てを……魂ごと、ぶち込んだのに! 一歩も動かねえで、ただ立ってるだけで俺の全力の一撃を!)
右腕が、熱い。
熱すぎて、息ができない。
腫れ上がり脈打つ激痛が、脳を直接抉ってくる。
血の生臭さが鼻腔を焼き、冷や汗が額を伝い目を刺す。
膝をついた航太の胸に黒い絶望が波のように押し寄せ、喉を締め上げていく。
今まで、無意識に信じていた……
神話の世界に召喚された自分は、きっと物語の主人公。
苦難はあっても最後は必ず乗り越え、みんなを笑顔にできる特別な人間。
ヨトゥンを押し返し、人間の世界に平和を取り戻す救世主なのだと。
しかし現実は、あまりにも残酷だった。
戦いとは……
敵を傷つけ、屠り……そして、殺すこと。
自分たちだけが生き残る為に争う、血塗られた業だ。
仲間を守り、人間の世界を救う。
特別な自分なら、それができると信じていた。
だが、それは甘い幻想だったのかもしれない。
敵もまた、命を懸けて自分たちを倒しに来る。
自分たちより強い力で、立ちはだかってくる。
「仲間も友も、慕ってくれる人も裏切ってまで……守りたいモノって、何なんだよ!」
声が震え、嗚咽のように漏れ出た。
目頭が熱くなり、涙が血と汗に混じって頰を伝う。
フェルグスは冷たく、しかし底知れぬ重みと哀れみを込めて言い放つ。
「その程度の覚悟で、戦場に立っているのか? 国も友も……全てを捨ててでも、守らなければならない信念がある。知らねばならぬ、真実がある。貴公のような信念なき者には、永遠に分からんだろう。多くの者が運命を散らす場所が、戦場だ。奪うことも散らすことも覚悟できていない身で、戦場に出てくるな!」
カラドボルグが、ゆっくりと……しかし、容赦なく突き出される。
カラドボルグの剣先が空を裂き、航太の心臓を正確に狙って伸びた。
死の予感が喉を掴み、息を奪う。
心が、凍りついた。
死んだ……
そう感じ、航太は瞳を閉じる。
ガキィィィィィンッ!
そんな航太の眼前で銀色の烈風が爆発的に巻き起こり、カラドボルグの刃を文字通り叩き折る勢いで弾き飛ばす。
土煙の中から現れたのは、銀色の戦乙女ゼークだった。
治療途中の左腕は力なく垂れ下がり、火傷しているのが一目で分かる。
それでも右手一本で、バスタードソード……白銀の月影を握りしめ、傷だらけの身体で航太の前に立っていた。
その姿は、あまりにも痛々しい。
しかし眩しいほどに美しく、航太の瞳には理想の英雄として映った。
「ゼーク! お前、傷は……大丈夫なのかよ? いや……」
大丈夫、なわけがない。
航太の声は震え、涙が混じって掠れていた。
「左腕はまだ動かない。けど、右腕は問題ないよ。だから、まだ……戦える。智美には後で、ちゃんとお礼しないとね!」
ゼークは痛みを必死に押し殺し、太陽のような優しく眩しい笑みを浮かべる。
その笑顔を見た瞬間、航太の胸が熱くなった。
凍りついていた心が溶け、溢れ返っていく。
(てめぇは、何様だよ! ちょっと努力しただけで……神剣が使えるってだけで、英雄面か? 最近まではただの大学生で、剣を握ったのもつい最近の素人だろうが! ゼークみたいに、何年も努力したわけじゃねぇ! 右腕が痛ぇ? そんなもん、当たり前だろ! ここは戦場だ! みんな、命懸けで戦ってるんだよ! それなのに……年下の女の子が、こんな傷だらけで俺を守ってくれてんだぞ! 片腕なのに、必死に……尊敬してる相手と対峙してるのに、俺に心配かけねえように笑ってくれてんだ! こんな情けねぇ野郎が英雄になるなんて、笑わせてくれるぜ!)
航太の瞳に、再び猛々しい闘志が宿る。
同時に熱いものがこみ上げ、視界がぼやけた。
震える左手で、エアの剣を握り直す。
血と汗と涙で滑る柄を、指の骨が軋むほど……血が滲むほど、強く握り込んだ。
足に力を込め、歯を食いしばる。
よろめきながらも、航太は立ち上がった。
心臓が壊れんばかりに激しく鼓動し、身体の奥底から熱い決意が溢れていく。
力の戻った瞳で、航太はフェルグスを見据える。
その瞬間……
「きゃああああああああっ!」
戦場を切り裂くような女性の絶叫が、魂ごと引き裂くように響き渡った。
耳に馴染む、聞き慣れた智美の声。
一瞬で空気が凍りつき、時間が停止したかのような静寂が訪れる。
航太とゼークの視線が、同時に声のした方向へ飛んだ。
眼前には、神剣カラドボルグを携えた最強の聖騎士フェルグス。
後方には、新たな得体の知れない脅威の気配。
戦場の空気が再び激しく震え、歪み始めた。
新たな死の嵐が今まさに、血と絶叫と涙を伴って巻き起ころうとしている。
航太の胸の中で、熱いものがこみ上げて止まらなかった。
ゼークの笑顔と智美の叫びが、胸を抉る。
(俺は、諦めねぇぞ! みんなを、守るんだ! 俺は英雄でも、主人公でもねぇ! それでも……やれることは、あるはずだ!)
涙が血に混じって頰を伝う。
しかし今は、泣いている場合じゃない。
立ち上がり、守るべき者を救うんだ!
絶望したって、諦める必要はない。
航太は、歯を食いしばった。
この戦場で、自分が英雄だと……物語の主人公だと、勘違いしていた男。
その男は、本当の意味で英雄になろうとしていた……




