裏切りの聖騎士2
カラドボルグの衝撃波が航太の鼓膜を震わせ、心臓を直接殴りつけた。
空気が裂け、大気が悲鳴を上げる。
一閃で戦場を二つに引き裂いた不可視の刃は、神の怒りをそのまま形にしたかのようだった。
滴る血から流れる鉄の臭いと、人の死の香りが一瞬で鼻腔を支配する。
呆然と立ち尽くす航太。
視界の端で捉えていた筈のゼークの銀髪が風を切って飛び出したことに、気付かなかった。
指揮官が不在な状況で、周囲はすでに地獄絵図と化している。
ゼーク軍の兵たちは、まるで暴風に巻き込まれた枯れ葉のように散り散りになっていく。
悲鳴と絶叫が、渦を巻いていた。
「何だ……何だったんだよ、今の?」
「そっち行ったら、死ぬぞ! 気付いた時には、殺されちまう!」
「やべえ……死ぬ! 死んじまう!」
バーゲンでセール品を奪い合う群衆のような混乱の中、つい先程まで燃えていた闘志は跡形もなく霧散している。
カラドボルグの一撃は、軍の背骨をへし折ったのだ。
(あの攻撃……ヤバすぎる! 攻撃範囲も威力も、発動条件も……何でもいいから、掴まなきゃならねぇ! そうじゃねぇと、この戦いは負ける!)
冷たい危機感が、航太の背筋を這い上がる。
だが考える暇など、戦場は与えてくれない。
フェルグス軍の深部に踏み込みすぎたゼークの先鋒部隊は、ヨトゥン兵の群れに完全に包囲されていた。
中軍ですら、混戦の坩堝に沈んでいる。
剣と剣がぶつかり合う金属音、肉を裂く湿った音……そして断末魔の叫びが、絶え間なく響く。
(くそっ! 混戦じゃ、真空の刃は撃てねぇ! 味方まで、巻き込んじまう! なら、一人ずつ……サシで潰してくしかねぇ!)
航太は風を操るべく、エアの剣を握り直す。
「うおおぉぉぉ!」
刃先から迸る疾風が、周囲の空気を鋭く切り裂く。
一閃。
風の鎌が弧を描き、目の前のヨトゥン兵の胸甲を抉る。
血飛沫が、宙に撒き散らされた。
次の瞬間には身体を低く沈め、横薙ぎに返す。
二体のヨトゥン兵が同時に膝をつき、地面に崩れ落ちる。
だが、それでも敵は減らない。
まるで無限に湧き出るように、次から次へとヨトゥン兵の壁が迫ってくる。
戦いに没頭していた航太は、すぐ隣にいたはずのゼークの気配が消えていることに遅れて気付いた。
「おい、ゼーク! いねぇのか! くそっ、こんな時に……」
一瞬の、静寂。
息を切らし、周囲を見回す。
銀髪の女騎士の姿は、どこにもない。
(ゼーク……どこだよ! 今の攻撃がフェルグスって奴のカラドボルグなら、飛び出しちまったか? ゼーク、早まるんじゃねぇぞ!)
焦燥と自責が、胸を締め上げる。
航太は歯を食いしばり、目の前のヨトゥン兵に斬りかかった。
殺さないように、深くは傷つけない。
剣先を首筋に突きつけ、声を張り上げる。
「フェルグスは、どこだ! 答えろ!」
倒れた兵は、血を吐きながらも瞳に宿る決意を揺らがせなかった。
「大将の居場所を簡単に吐くような臆病者は、この部隊にはいねぇよ! 殺すなら、殺せ!」
その言葉に、航太の心が凍りつく。
何やってんだ、オレは?
思わず、エアの剣をヨトゥン兵の首筋から引いた。
自分の行動に、戦慄が走る。
(こんなことしてたら……オレ、ガイエンと同じじゃねぇか!)
戦争に慣れていく自分への恐怖が、喉元までせり上がってきた。
「くそったれ! 喋る気がねぇなら、とっとと失せやがれ!」
倒れているヨトゥン兵を置いて、航太は走り出す。
何かを守る為に、何かを犠牲にする。
自分が嫌悪感を抱いていたのに、同じ事をしている絶望感。
自分自身に嫌悪感を感じながらも、それでも足は止めれない。
仲間を……ゼークを、救うために。
突然……戦場の喧騒を切り裂く、重く鋭い金属音が航太の耳に響く。
周囲から聞こえる剣戟とは、明らかに違う。
続いて、風を裂くような轟音。
そして、肉が焼ける嫌な臭いが漂ってきた。
(この音……絶対に、ゼークだ! もうフェルグスと戦ってやがる!)
航太は音の源へ、全力で駆ける。
そして、そこにいた。
銀髪の女騎士ゼークは、右肩の鎧が溶け落ちた状態で片膝をついている。
焼け焦げた右肩からは、立ち上る煙を纏っていた。
右腕は力なく垂れ下がり、左手一本でバスタード・ソードを握りしめている。
その左肩からも、血が流れていた。
瞳には肉体の激痛と、心の深い傷が交錯しているように見える。
対するフェルグスは、白と金の装飾が眩い聖騎士の鎧に微かな傷しかない。
悠然と立ち、戦場の混乱を嘲笑うかのようにカラドボルグを構えている。
(こんなに、実力差があんのかよ! とにかく、ゼークを助ける! これ以上、うちの大将を傷付けられる訳にはいかねぇ!)
航太はエアの剣に風を纏わせ、振り抜いた。
フェルグスの視界の外から放ったはずの、全力の鎌鼬。
しかし……
シャキンッ!
金色の閃光が空を切り裂き、風の刃を真っ二つに分断した。
フェルグスの金髪が、そよ風に揺れる。
「お前が、噂のMyth Knightの一人か?」
戦闘の只中とは思えない、静かで落ち着いた声。
航太の全身に、冷たい汗が伝う。
「あんたが、フェルグスだな! ゼークから、話は聞いてる。何でだよ……何で、人間と戦うんだ! あんたは、圧政に苦しむ人々を救うためにヨトゥン軍に下ったんだろ? ガイエンとは、違うはずだ!」
声が、震える。
恐怖と焦りが、喉を締め上げていた。
フェルグスは、静かに問い返してくる。
「ならば、神剣に選ばれし者よ。貴殿は何のために戦っている? 人間を守るためか? それとも、大切な者を守るためか?」
「両方だ! 決まってんだろ!」
叫びに呼応するように、周囲の風が咆哮した。
「成る程……全ての人間を守り、そして大切な者も守る。ではもし、守りたい者が『人間でない者』だったら? もし自分の属する場所で、その大切な人を守れなくなったら……貴殿はどうするつもりだ?」
その言葉は、航太の心臓を鋭く貫く。
言葉を……失う。
答えられない。
信念が、音を立てて揺らいでいく。
ゼークが右肩を押さえながら、掠れた声を上げる。
「フェルグス……どうしても、ヨトゥン軍で戦わなきゃいけないの? どうしても、戻ってこれないの? 人間に、フェルグスの守りたい者はいないの?」
ゼークの掠れた祈りが、戦場の喧騒に溶けていく。
フェルグスは静かに、しかし確信に満ちた声で答える。
「ゼーク……お前ならば、分かるはずだ。私がヨトゥン軍を離れれば、投降した民に危害が及ぶ。ロキ殿の統治下で、ようやく手に入れた平和だ。そして、私の母も庇護されている。私は、今の平和を壊したくない」
その言葉は、決別を告げる刃のようだった。
決意に満ちた瞳。
カラドボルグが、再び輝きを増す。
最初は、淡い金色。
やがてそれは灼熱の太陽のように膨張し、周囲の空気を歪ませる。
大気が震え、地面が低く唸った。
次の瞬間……閃光が、戦場を白く焼き尽くす。
天を裂く、雷鳴の如き光……
航太の肌が、危険を感じて粟立つ。
来る!
「ゼーク、下がれ!」
叫びながら風を纏い、航太は全力でゼークの前に躍り出た。
エアの剣を両手で構え、全身の風を一点に集中させる。
最大出力で、真空の障壁を作り出す。
守る……守ってみせる!
フェルグスは、光輝くカラドボルグを構えた。
その軌跡に沿って、光の奔流が渦を巻き始める。
金色の粒子が無数に舞い上がり、まるで天から降る星屑のように空間を埋め尽くす。
「これが、私の選んだ道だ。人間に拘り続けるならば、互いの道は交わらないままだ」
低く、しかし響き渡る声。
次の瞬間……世界が、白く裂ける。
カラドボルグが解き放った光は、もはや「剣」ではなかった。
天を貫き、地を焦がし、空間ごと焼き払う奔流。
不可視の刃に、雷が纏う。
轟音が遅れて追いつき、鼓膜を破るかと思われるほどの衝撃波が航太を襲う。
視界が、真っ白になる。
熱が皮膚を炙り、息が焼けた。
血の味が口の中に広がり、肺が悲鳴を上げる。
航太の意識が、一瞬途切れかけた。
だが、指先が震えながらもエアの剣を握りしめ続ける。
エアの剣が……風が、航太の不屈の意志に応えるように咆哮した。
「うおおおおおおおっ!」
真空の障壁が、光の奔流と正面衝突した。
衝撃で大地が陥没し、亀裂が放射状に走る。
周囲の兵士たちは悲鳴を上げて吹き飛ばされ、戦場が一瞬にして空白になった。
光と風が激突する中心で、航太の身体が軋む。
骨が悲鳴を上げ、筋肉が引き裂かれそうな痛み。
それでも、守る!
「ゼークは、渡さねえ! あんたの事を本気で心配して、本気で取り戻そうとしてんだぞ! あんたに届かせる為に、必死に剣の修行をしてきた! その心を守る為に、あんたの剣に屈する訳にはいかねぇんだ!」
叫びが、光の奔流に飲み込まれながらも届く。
フェルグスの瞳が、わずかに揺らいだ。
そして……光が、極限まで膨張した瞬間。
衝撃波が発生し、土煙と光の柱が天を突き上げる。
空が裂け、雲をも吹き飛ばす衝撃。
一瞬だけ、太陽すら隠れるほどの闇が生まれた。
航太は吹き飛ばされ、地面を何度も転がる。
それでも、最後までエアの剣を離さなかった。
ゼークを守る真空の障壁だけは、消す訳にはいかない。
「っぐ……うあぁ!」
焼け焦げた左腕から、煙が立ち上る。
それでも、航太は這いずりながらゼークを抱き寄せた。
「ゼーク、大丈夫か?」
ゼークは右肩を押さえながら、涙を浮かべて頷く。
痛みと失ったものへの悲しみで、声が震える。
「ありがとう……航太。無理、させちゃったね……」
遠くで、フェルグスの姿が煙の向こうに浮かぶ。
カラドボルグを地面に突き立て、静かに立っている。
戦場は、静寂に包まれた。
誰も、動けない。
誰も、声を上げられない。
ただ光の残滓が、ゆっくりと降り注ぐ。
そんな中で、二人の騎士は立ち上がる。
絶望するには、まだ早い。
その手に握られた、エアの剣……そして、白銀の月影は輝きを増していた。




