神聖なる朝が台無しになった件
夜明けの静寂を切り裂くように、航太は胸に燃え盛る決意を秘めテントの幕を勢いよく押し開く。
外の世界は、神々が筆を走らせた壮大な絵巻物のよう。
空は深い群青から炎のように激しく燃え立つオレンジへと溶け合い、地平線には黄金の光が鋭い剣のように突き刺さっている。
足元を這う冷たい朝霧が肌を優しく撫でる中、航太の心臓は激しく高鳴りながらも奇妙な安らぎに包まれていた。
「ゼークが、腹割って話をしてくれたんだ。その覚悟と、想い……ぜってー、守ってやんねーとな!」
ゼークの話を聞いた、決意の夜の覚悟……アルパスターとフェルグスを守るという重い使命が、静かな朝の空気の中でますます鮮明に蘇る。
失敗は、許されない。
この戦いが、全てを変えるのだ。
しかし刹那の平穏は、嵐のような甲高い声によって無残に粉砕される。
「見たよ、見たよー! 夜通し若い女子と2人きりで、何をしてたのかなぁ~! 渦中の航太さん、弁明どうぞ!」
絵美の溌剌とした声が、朝焼けの繊細な静寂を切り裂く。
絵美は悪戯っぽくニヤリと笑みを浮かべ、右手を丸めて即席のマイクのようにして航太の鼻先に突き出してきた。
その肩の上には、アヒルのヌイグルミであるガーゴが座っている。
その身体は悪魔の使い手のように、ゆらゆらと揺れていた。
ガーゴの小さな瞳が、嘲るように航太に視線を突き刺してくる。
「ガーゴは、見たでしゅよ~! 夜這いする変態の姿を、バッチリとでしゅ~! こーのロリコン野郎、どこまで堕ちる気でしゅか~?」
その幼稚な声が、航太の脳を切り裂いた。
血が逆流するような怒りが、胸の奥から噴き上がる。
覚悟を決めた朝に、何故こんな馬鹿げた茶番に巻き込まれなければならないのか?
昨夜の緊張した会話の余韻が、まだ頭の中に鮮明に残っているというのに!
「夜中に、ゼークのテントに入った訳じゃねぇ! テキトー抜かしてんじゃねーぞ、アヒル野郎!」
航太は声を震わせ、抑えきれない苛立ちを吐き出した。
無意識に顔が熱くなり、心臓が激しく鼓動する。
恥ずかしさと怒りが混じり合い、頭の中が白熱した。
「おっとぉ? 夜中ではない……夜より前から、ゼークさんのテントにいたという事でしょうか? 一晩を共にした事は、事実という事で間違いないのでしょうか? 航太さん、ハッキリとお聞かせ下さい!」
絵美はさらに調子を上げ、目を輝かせて迫ってくる。
その笑顔には純粋な悪戯心が満ちていて、航太の苛立ちをさらに煽った。
「絵美も、アホな事やってんじゃねぇ! だいたい夜這いとか、アヒル野郎に変な言葉を覚えさせんな!」
(せっかくの神聖な朝が、阿呆の絵美と馬鹿のヌイグルミのせいで台無しだ! 誰だよ……こんな奴らを、この世に解き放ったのは!)
航太は頭を抱え、歯を食いしばる。
胸の奥で、苛立ちが黒い渦のように渦巻く。
この茶番が、戦いの前の緊張を無駄に消耗させる。
その直ぐ横で、智美がクスクスと笑いを抑えきれずに吹き出した。
「毎回、同じやり取り……ホントに、飽きないね? 楽しいの?」
智美の声は軽やかだが、その奥に潜む挑発的な響きが航太の神経を逆撫でする。
その目は面白がるように細められ、航太の反応を楽しんでいるようだ。
智美のそんな態度が、航太の苛立ちをさらに増幅させる。
「楽しいわけあるか! 誰だよ、このアホのヌイグルミに命を吹き込んだ奴は! 絵美だけで、腹一杯だってーの!」
航太の怒声が響き渡った瞬間、周囲の空気が凍りつく。
皆の視線が一斉に集中し、航太の胸に冷たい予感が走る。
そして、その時……か細く風に消え入りそうな声が、静かに響く。
「はははー……ごめん、私だ……」
声の主は、エリサだった。
エリサは顔を伏せ、恐る恐る手を上げながら震える声で呟く。
その小さな身体が、まるで重い罪を背負っているかのように縮こまっている。
その姿を見た瞬間、航太の心に鋭い罪悪感が突き刺さった。
エリサの肩が微かに震えているのが見え、航太の胸が締め付けられる。
あの時のエリサはただ、魔法を使える証明をしたかっただけだ。
だが、しかし……
「航ちゃん、エリサさんに謝った方がいいよ。だいたい、魔法が見たいって言い出したの私達でしょ?」
智美が静かに、しかし鋭く言い放つ。
智美の目は、航太を責めるように……しかし明らかに楽しさを滲ませ、輝いている。
航太は喉を詰まらせ、言葉を探す。
「いや、まぁ……そりゃ、そうなんだがよ。確かに、別にエリサさんは悪くねぇ……すまん! だが別に、そういう事を言いたい訳じゃなくてだなぁ……」
航太は、エリサに向かって深く頭を下げた。
だが心の奥底では、納得できない苛立ちが渦巻いている。
「ちょっと航ちゃん、言い訳を探すのは良くないよ! ちゃんと、謝って!」
笑いを堪えながら放たれる絵美の言葉が、航太の心を蝕んでいく。
(って、俺が悪いのか? いや、マジで納得いかねぇ! なんで、こんな事に!)
エリサに謝る自分の姿を、爆笑する絵美とガーゴが嘲るように見つめてくる。
それが、航太の胸に殺意にも似た暗い炎を灯す。
そんな混沌とした空気を切り裂くように、雷鳴のような蹄の音が響き渡った。
力強くも可憐な声が、戦場に降臨する。
それまでの茶番が全て無に帰す、神聖な佇まい。
「みんな、相変わらず賑やかだね! それは、とても良い事だよ。でも、今……この瞬間からは、本気でいこう! 本当の戦場が、私達を待っている。そして、相手はロキ軍の第2席に入る程の腕を持つフェルグス! 手強い相手だけど、私達でヨトゥン軍の侵略の流れを断つ! 今日みたいな楽しくも美しい朝を、また皆んなで迎えられるようにね!」
ゼークの声が、辺りに心地よく広がる。
銀髪が朝陽に輝き、馬上で堂々と構える姿は神話の英雄そのもの。
ゼークの瞳には揺るぎない決意と騎士の威厳が宿り、航太の心を震わせる。
昨夜のテントでの会話が、雷のように航太の脳裏を駆け巡った。
アルパスターとフェルグスは、決して相見えてはならない。
2人を引き離すため、航太自身が全力を尽す。
その責任が胸の奥で再び熱く燃え上がり、苛立ちを吹き飛ばす。
今は、阿呆な話に構っている場合ではない。
航太は深く息を吸い、辺りを見渡す。
朝焼けはさらに鮮烈さを増し、太陽の光が大地を血のように赤く染め上げていた。
遠くの山脈は光の刃に切り裂かれ、戦場の空気は剣呑な緊張感に満ち満ちている。
空気が重く、肌を刺す。
「ヨトゥン軍に人間が立ち向かい、それに打ち勝つ! 歴史に、伝説が刻まれる瞬間よ! この戦いで、我々が未来を切り開く! 皆んなの力を、私に借して!」
ゼークの声が、雷鳴のように全軍を貫いた。
兵士たちの咆哮が大地を揺らし、空を裂く。
「うおおおおぉぉぉ!」
そのすさまじい気迫に、航太の全身が震える。
まるで大気が彼らの闘志に共鳴し、戦場全体が一つの巨大な生き物のように脈動しているかのように感じた。
航太の胸に、熱い確信が湧き上がる。
この軍勢なら、勝てる。
絶対に、だ!
「ホワイト・ティアラ隊は後方支援! 我が部隊は、正面から突き進む! 敵を後退させれば、それで勝利だよ!」
ゼークの声は、まるで神の宣告のように響き渡る。
そこには迷いも恐れもなく、ただ純粋な信念だけがあった。
航太の心はゼークの言葉に引き込まれ、燃え盛る炎のように熱くなる。
(今のゼークなら、絶対に勝てる! 大丈夫だ!)
「突撃!」
ゼークの号令が、戦場を切り裂く。
瞬間……馬蹄が大地を蹴り立て、すさまじい砂煙が天を覆った。
まるで嵐が具現化したかのように、軍勢は一つの巨大な波となってフェルグス軍へ突進する。
前衛にはゼークと航太が横並びに立ち、風を切り裂く。
航太の心臓は激しく鼓動し、興奮と恐怖が混じり合う。
中軍には絵美と智美が陣を固め、後衛にはホワイト・ティアラ隊が治癒の守りを築く。
この陣容で、フェルグス軍との壮絶な戦いが火蓋を切った。
戦場の鼓動が、航太の心臓と共鳴する。
絶望へのカウントダウンが、静かに始まった……




