運命の交響曲7
航太は、ゼークの話に耳を吸い寄せられるように聞いていた。
銀色の髪を揺らしながら、過去を語るゼークの声。
その声は静かで、それでいて深い記憶の淵から響き上がってくるよう。
耳障りの良いゼークの声が止まり、現実の世界に意識が戻ってくる。
そして我に返った航太は、自分が話の途中から正座している事に気づいた。
(なんてこった! 気づいた瞬間に……足が、ヤベぇ!)
膝から下は完全に感覚を失い、まるで別人のもののように痺れている。
ゼークに悟られぬように足を崩し、航太は胡座をかく。
足首が、ピリピリと痺れと痛みを訴えてくる。
航太の足は、とんでもなく痺れている……だが、心はゼークの話に囚われていた。
(アルパスター将軍とゼークに、そんな過去があったのかよ……それに、ゼークの剣の覚悟の重さを感じた。オレの考え、改めねぇとな)
足の痺れと話の重さの両方に押し潰されそうになりながら、航太は神妙な表情を浮かべている。
「ごめんね、航太。つい、昔話に熱が入っちゃって。航太なら、ちゃんと聞いてくれるって信じてたから……」
航太の表情を見たゼークは小さく笑い、立ち上がった。
「お茶のおかわり、持ってくるね」
その声には、どこか照れと……そして、心が救われたかのような柔らかさがある。
それでも、テントの奥へと歩を進めるゼークの背中に落ちる影。
長く語り続けた疲れか?
背負っている過去の重みが、再びゼークを押し潰そうとしているのか?
航太はその背中を見つめ、衝動的に口を開いていた。
「なぁ、ゼーク……今、何を考えてる?」
静かだが、力強い声で問いかける。
幕舎の薄暗い空気と共に、ゼークの心を確かに切り裂く。
静寂を破るには、充分だった。
「えっ?」
銀髪がきらめき、ゼークが振り返る。
驚きと戸惑いが混じった瞳が、航太を捉えた。
「ただ、昔話がしたかったんじゃないんだろ? せっかく、ここまで話してくれたんだ。ここまで来たら、吐き出してみなよ。オレにできるのは、聞くことくらいだけど……聞くだけなら、いくらでもできるからよ」
ゼークの視線が、ゆっくりと手元の空いたグラスに落ちる。
長い長い、息が漏れた。
まるで心の奥底に鍵をかけて閉じ込めていた何かを、そっと解き放つように。
「当時は私、幼かったから。アルパスター将軍の言葉の意味が、よく分からなかった。でも、今なら……その重さが、ほんの少しだけ分かる気がするの」
ゼークはグラスにハーブティーを注ぎ終え、1つを航太に差し出す。
その指先は、わずかに震えていた。
ゼークはグラスを握りしめ、言葉を紡ぎ続ける。
「あの時から……フェルグスとアルパスター将軍は、戦場で顔を合わせてない。もし今、戦場で2人が出会ったら……どうなるのか、怖いの」
「怖い」という言葉に、航太は異様な響きを感じる。
それは、死や殺戮に対する単純な恐怖ではない。
もっと深く……魂を抉るような、根源的な怯えのように聞こえた。
「2人は騎士として、戦わないと誓い合ってるんだろ? なら、戦わないさ……」
航太は慎重に言葉を選びながら、ゼークの心の奥を探るように見つめる。
「そうだね……きっと、戦わない。だからこそ、怖いの。戦場の真っ只中で敵の将と遭遇して、剣を交えずにそのまま帰ってきた……そんなことになったら、どちらも無事では済まない……」
ゼークはグラスを口に運び、唇をわずかに湿らせた。
航太を捉えたその瞳には、言い知れぬ不安が宿っている。
「そっか……敵と戦わなかっただけでも疑われるのに、昔の親友同士だったなんて知られたら、なおさらか……」
「敵前逃亡は、重罪なの。戦略的な撤退や、兵の命を救うための撤退なら罪の重さも違う。でも、ただ戦わなかっただけなんて……死罪か、最悪なら家族にまで及ぶのよ……」
その瞬間、航太の中で何かが繋がった。
ゼークがなぜ、アルパスターとフェルグスを戦場で引き合わせまいとしていたのか……その理由を、ようやく掴んだ気がする。
ゼークの恐れは、戦いの勝敗や死そのものではない。
2人の絆が引き起こすであろう、悲劇への怯えだった。
「なら、アルパスター将軍が戦場に出なくていいようにするしかねぇ! オレ達でフェルグスを引かせちまえば、それでいいだろ!」
航太の声に、力がこもる。
「そうだね。でも……」
ゼークの声は……その瞳は、まだ曇っている。
まるで心の底に沈む何か重いものが、ゼークを縛っているかのようだった。
(こりゃ、まだ何かあるな……)
航太は一呼吸置き、覚悟を決めて問いかける。
「なぁ、ゼーク……民と国、どっちが大事だと思う?」
ゼークがハッと顔を上げ、航太の瞳を覗き込む。
その言葉は、まるで魂の奥まで見透かされているように聞こえた。
「オレには、まだ分からない。でも……もし神剣を使いこなせるようになったら、まず仲間を守りたい。それから、大切な人を……苦しむ人々を守りたい。もし国が……掟や法が、オレの大切な人を傷つけるなら、国や法とだって戦う。神がその命を奪おうとするなら、神とだって戦ってやる!」
航太の言葉は、幕舎の薄暗い空間に強く深く響く。
ゼークの心を静かに、しかし確実に揺さぶった。
「航太は、フェルグスの考え方に寄ってるんだね。私も、そうだったら良かったのかな?」
ゼークは目を細め、航太の言葉に理解を示すように頷く。
「フェルグスは民を守るために、ヨトゥンに身を委ねた。なら、アルパスター将軍は?」
ゼークは言葉を失い、ただ航太を見つめる。
その沈黙は、答えを拒む厚い壁のようだった。
「ただ国に尽くしたから、心が傷ついたんじゃないのか? そこに揺るぎない信念がなかったから、フェルグスと戦おうとした自分が許せなかったんじゃないのか?」
「そんな……そんな、簡単な話じゃない!」
ゼークの声が、静寂な空間を鋭く切り裂く。
航太は、思わず息を飲んだ。
「アルパスター将軍だって、そんな事は分かってる! 1番大切な人を守る為に、2番目や3番目に大切な人達を裏切るの? 大切な人を守る為に、ヨトゥン軍に入って人と戦うの? クロウ・クルワッハや、ガイエンのやってる事を肯定してまで?」
今度は、その言葉に航太が押し黙る。
ゼークの瞳には、怒りと悲しみが激しく交錯していく。
「何が正しいかなんて、本当に難しい。だから、2人には戦場で会ってほしくない。だって、2人とも守りたいものは同じなんだから……」
その言葉に、航太は自分の軽率さを恥じた。
アルパスターもゼークも、ずっと前からその矛盾に苦しんでいたのだろう。
同じ理想を追いながら、異なる道を選んだ2人が敵として相まみえること。
その先に待つであろう破滅的な結末を、ゼークは全身で恐れていた。
「すまねぇ、ゼーク。何の信念も無い野郎が、調子にのって偉そうな事を言っちまった! 命を守る事と、心を守る事……どっちも大切だ。天秤になんて、かけられねぇ! だからフェルグスは、民を選んだのかもな。真面目なアルパスター将軍は、国が間違った方向を向いていても裏切る事は出来ない。だが、時間がかかっても正すように働きかける事が出来ると思う。だから、国をアルパスター将軍に託したんじゃねぇかな? 2人なら民も国も守れるって、思ったのかもしんねぇ……」
「そう……なのかな? でも、そんな気がしてきた。民も国も、どちらも守りたい。だからフェルグスは……信頼して国を任せる事が出来る友人がいたから、民を守る選択をした?」
航太は、力強く頷いてみせる。
何かを感じたのか、ゼークの瞳に僅かな涙が溢れた。
「多分、そうだぜ! なら……オレ達の出来る事は1つだ!」
航太の胸に、ゼークの想いが熱く響く。
そして、ゼークは信じようとしていた。
2人が再び同じ道を歩む時、大きな可能性が生まれると。
だからこそ、ゼークは自らを犠牲にしてでもその未来を守ろうと誓う。
磨き上げた、自身の剣と共に……
「ゼーク……2人を、守ろう。そして、いつか2人の想いが重なる瞬間が来ると信じて、待つんだ! その為に、ゼークの剣を進化させたんだろ? その為に、過酷な修行をしてきたんだろ! そして、オレも……オレ達も、ゼークの為の剣になり盾になる!」
航太は、心の底から叫ぶ。
ゼークを絶対に守ると、心に誓った。
「航太……話を聞いてくれて、ありがとう。私、航太の話を聞いて気付いちゃった。もう、2人の道は交わっている。ううん、初めから違えて無かった。アルスターの民と国……両方を守る為に、2人の守護者が立ち上がっただけだった。だから、大丈夫。私が出来る事は、2人の英雄を敵として対峙させない事……ただ、それだけ!」
ゼークの顔に、ようやくいつもの輝く笑顔が戻る。
その笑顔の裏には、決戦の朝を前にした覚悟が宿っていた。
運命の朝が訪れる……戦場の風が、2人を否応なく試す時がくる。
その風の中で……2人の英雄が肩を並べて強大な敵に立ち向かう姿を、ゼークは思い描いていた。




