運命の交響曲5
語ることは、ない……そう言わんばかりに、フェルグスは踵を返す。
アルパスターと決別するかのように、民衆の方へ1歩踏み出そうとした。
「待て!」
アルパスターの短い咆哮が、空気を切り裂く。
鬼気迫る声に、集まっている民衆は怯え後ずさった。
フェルグスは、アルパスターに向き直る。
炎の如き熱気が、2人の空間を焦がす。
「真っ直ぐで、何が悪い! 今は、世界中の民が苦しんでいる……だからこそ、全ての国が団結してヨトゥンに立ち向かう時だ! なのに……そんな時に、お前は反乱に手を貸すのか! 俺や仲間を裏切ってまで、やらなきゃいけないことなのかよ!」
アルパスターの瞳は、怒りに燃えていた。
しかしその奥で、友を失う恐怖が涙のように溢れ出す。
胸の痛みが、言葉を震わせる。
フェルグスは立ち止まり、深い溜息をついた。
近くの家屋から立ち上がる煙が2人の視界をぼやけさせる中、フェルグスはゆっくりと口を開く。
「戦争とは……争いとは、なんだ? ヨトゥンが攻めてくるから……侵略してくるから、戦うのか? 確かに、それは正しい。だがな、アルパスター……それは、国を守りたいと思うからこそ成り立つんだ。守りたくもない国の為に、苦しめられる。では、民衆にとって真に大切な事は何だ? 大切な人の命と、豊かな暮らしだ。アデストリアの民衆を苦しめているのは、ヨトゥンじゃない! 国が……父が、民衆を苦しめているのだ!」
フェルグスは広場を見渡し、泣き叫ぶ子供や疲れ果てた老人の姿を次々と指さした。
各々の顔に刻まれた苦しみが、フェルグスの言葉に重みを加える。
「家族を守り、明日を信じられる生活を送ること……そんな日常を守るために、俺たちは戦っていたはずだ! それが、どうだ? アルスターは彼らに、飢えと死しか与えていない! 最低限の生活すら、守られない! アルスターは、彼らに見放されたんだ! 守る価値も、留まる価値もないとな!」
フェルグスの言葉が広場に響き渡った瞬間、アルパスターの胸の中で何かが決定的に砕け散った。
群衆からは、感動と賛同の声が沸き起こる。
「フェルグス様!」
「黄金の聖騎士様、俺たちを救ってくれ!」
歓声が、波のように広がった。
民衆の声が、希望と感謝に満ちてフェルグスを包み込む。
その声が、アルパスターの耳には嘲笑のように聞こえた。
貴様らは、フェルグスを救世主だと信じているのか?
俺の親友が、裏切り者として民衆に祭り上げられようとしている。
俺の……目の前で。
ブリューナクを握る手の、震えを止めることができない。
視界が、熱く滲む。
涙か、煙か……何も、わからない。
「フェルグス……」
声は掠れ、ほとんど呟きに近かった。
フェルグスは再び背を向け、民衆の方へ歩き出そうとしている。
その背中は、戦場で何度も命を預けた。
だが今は、ただ遠ざかる影にしか見えない。
「待てと、言っているだろうが!」
アルパスターの咆哮が、再び広場を切り裂いた。
今度は、抑えられない。
怒りでも悲しみでも、絶望でもない……それら全てが混じり合った、名前のない感情が爆発する。
アルパスターは、ブリューナクを構え直し地面を蹴った。
土煙と灰が舞い上がり、炎の熱気を切り裂いて突進する。
鎧が太陽の光を反射し、一瞬だけ黄金の鎧と並ぶ輝きを放つ。
「フェルグス!」
叫びながら、ブリューナクを突いた。
狙いは、肩……足止めが、出来ればいい。
ただ、このまま行かせたくなかった。
ブリューナクの槍先が空を切り、風を裂く音が響く。
フェルグスは、振り返る。
だが、避けようとはしなかった。
民衆を背に、アルパスターの前に立ち塞がる。
フェルグスは、腰の剣に手を伸ばす。
しかしカラドボルグの鞘に手をかけ、抜かずにそのまま腰に納め直した。
戦う気がないことを、はっきりと示す仕草である。
ブリューナクは、無防備なフェルグスの肩の鎧を掠めた。
金属が擦れ合う、甲高い音が響く。
火花が散り、黄金の鎧に新たな傷が刻まれた。
そして、ブリューナクの軌道は逸れる。
フェルグスの動きを見たアルパスター自身が、最後の瞬間に力を緩めていたからだ。
「くそっ!」
アルパスターはブリューナクを引き、再度構え直す。
息が、荒い。
胸が、焼けるように痛い。
涙が頬を伝い、顎から滴り落ちる。
「アルパスター……私が、お前を傷つける事はない。どんな事があっても、だ!」
その言葉が、アルパスターの最後の理性を砕いた。
「ならば……なぜ、民衆の側に立つ! どうして、国を裏切るんだ!」
アルパスターは、再びブリューナクを構える。
ブリューナクを両手で握り、渾身の力で突き出す。
殺意は、ない。
「止まれ」という、叫びだった。
フェルグスは、動かない。
ブリューナクの槍先が、当たる直前……群衆の中から数人の男が飛び出し、フェルグスの前に立ち塞がる。
鍬や鎌を構え、必死の形相でアルパスターを睨む。
「アルパスター様、フェルグス様に手を出すな!」
「フィアナ騎士には、感謝している! だけど、あの国王だけは許せねぇんだよ!」
「フェルグス様、逃げて下さい!」
民衆の壁が、フェルグスを守るように広がる。
アルパスターの足が、止まった。
ブリューナクの槍先が、空中で震える。
喉から、嗚咽のような音が漏れた。
俺は、何をしようとしていた?
フェルグスも民衆も、止める為に殺そうとしていたのか?
今まで、命懸けで救ってきた命を?
ブリューナクが、力なく地面に突き刺さる。
アルパスターは膝をつき、両手で顔を覆った。
肩が震え、嗚咽が漏れる。
フェルグスはゆっくりと歩み寄り、アルパスターの前に膝をついた。
黄金の鎧が、煤と血と涙で穢れている。
「アルパスター、すまない。だが、信じてくれ。私は人と戦う為に、ヨトゥンに身を寄せるんじゃない。この戦争の裏に、何があるのか……それを見極める、良い機会だと思っているんだ。だからこそ、再び並んで戦える時が必ずくる」
その声は優しく、しかし決して揺るがない。
「お前は、真っ直ぐで正しい騎士だ。だからこそ……俺の選択を、許せないのもわかる。だが、苦しむ人を救いたいという気持ちは同じだ。だから、大丈夫な筈だ。私たちの道は、違える事はない」
フェルグスは、そっとアルパスターの肩に手を置く。
その手は、温かかった。
かつて戦場で肩を並べた時の、懐かしい温もり。
「アルパスター……私を信じて、任せてくれないか?」
その言葉は、嵐の中の最後の希望の光のように、輝いて聞こえた。
アルパスターの喉は締め付けられ、反論の言葉は暗闇に呑み込まれる。
フェルグスの瞳には、揺るがぬ決意と友への愛情が宿っていた。
「綺麗事だ……フェルグス! ヨトゥン軍の中で好き勝手やったら、殺されるかもしれないんだぞ!」
やっと絞り出したアルパスターの声は、風に散る落ち葉のように儚く震える。
涙が頰を伝うのを、アルパスターは必死に堪えた。
「ロキの部隊なら、なんとかなると思っているんだ。民衆には手を出さない、統制された軍を指揮している将だ。五百の民も、私も受け入れてくれると信じている」
フェルグスは目を伏せ、静かに呟く。
声に込められたのは、確信と諦め。
「それに父には、流石に付いていけん。すまない、アルパスター」
フェルグスは、ゆっくりと民衆の方へ歩き出す。
燃える家々の間を、泣き叫ぶ子供や疲れた民を導くように……その背中は力強くも、哀しげに歩を進める。
民衆たちはフェルグスの後ろに続き、列をなした。
アルパスターは立ち尽くし、ブリューナクを握る手が力なく震える。
カラドボルグさえ抜かず、争う気もなかったフェルグス。
いつも頼もしく見えるブリューナクが、今は自分の弱さを映す鏡のように感じられた。
自問の嵐が心を荒らし、答えは炎と煙の向こうに消えていく。
民衆の叫びと火の爆ぜる音の中、フェルグスは約五百の民を率いてヨトゥン軍の下へと去っていった。
アデストリアには、焼け焦げた廃墟と果てしない虚しさだけが残る。
2人のフィアナ騎士の物語は、終焉と始まりを向かえたのだった……




