運命の交響曲4
国境の村アデストリアは、怒りと絶望の坩堝と化していた。
厚い灰色の雲が、空を覆う。
まるで天すらもこの惨状を嘆き、涙を堪えているかのようだった。
石畳の通りは無残にひび割れ、転がった荷車の残骸が荒廃した風景を彩っている。
町に駐屯する騎士団と民衆の激しい衝突の爪痕が、いたるところに刻まれていた。
焦げた木の苦い匂いが立ち込め、汗と血の生臭さが混じり合う。
重く淀んだ空気が、辺りを満たす。
そんなアデストリアの街路に、抑えきれない民衆の叫びが響き渡った。
「アルスターに、未来なんてない! 献納や貢物で心を砕かれ、戦争で命を奪われるだけだ!」
「ヨトゥンだろうが、なんだろうが……正しく生かしてくれるなら、それでいいんだ!」
男たちは鍬や鎌を高く掲げ、女たちは幼子を抱き締めて……震える声で、叫びを上げる。
不安と怒りに身体を震わせ、老若男女が広場へと集まってきた。
荒々しい不満の声が、アルスター王国への呪詛のように叩きつけられる。
炎が民家の屋根を貪り、黒煙が渦を巻いて空へ昇っていく。
反乱の炎は既に町全体を飲み込み、猛り狂っていた。
人類史上初めて、民衆が自らの意志でヨトゥン側に与した運命の瞬間である。
フィアナ騎士団の若き騎士アルパスターは、反乱の報を耳にするや否や馬を疾駆させてアデストリアに躍り込んだ。
町の中心へ向かう道中で、数人の鬼気迫る民衆と剣を交えることになる。
彼らの死を恐れぬ強い意志の前に、アルパスターは手加減などできなかった。
銀の鎧は埃と血で穢れ、神槍ブリューナクを握る手には冷たい汗が滲む。
アルパスターの瞳は、燃えるように鋭く輝く。
その瞳の奥底には混乱と痛み、そして深い悲しみが渦巻いていた。
広場に到着したアルパスターは、馬上から叫ぶ。
「民衆よ、静まれ! この反乱は、アルスターに永遠の汚点を残すだけではない……ヨトゥンに与すれば、必死に戦う他の国の騎士たちに迷いを生む! 7国の騎士達が纏めた世界に、再び歪みが生まれてしまう! そうなれば、世界は一気にヨトゥンの闇に飲み込まれてしまうぞ! 未来は、さらなる暗黒に染まるのだ!」
アルパスターの声は、雷鳴のように広場を切り裂く。
だが、民衆の怒号は収まる気配を見せない。
無数の石が投げつけられ、アルパスターの馬の足元で砕け散った。
「そのアルスターが、俺たちに何をしてくれたんだ? 何もしてくれないだろうが! 高い税を払い、年貢を納めるだけだ。そんな俺たちに返してくれるのは、ヨトゥン兵との小競り合いだけだろ? 町を守ってるって、言うけどよ……知ってるか? この町で、ヨトゥン兵に殺された民は1人もいねえんだ!」
「そうだそうだ! 騎士は殺されてるのかもしれねえが、ヨトゥン兵どもは略奪も殺戮もしてねえ! 俺たちは、アルスター王に殺されてるんだ! 国が俺たちを守ってくれねえなら、ヨトゥンにすがるしかねえよ!」
怒号の渦中で、アルパスターは一筋の悲しみの声に気づく。
視線を向けると、幼子を抱いた女性が涙を流しながら立っている。
彼女の目は、絶望と懇願で満ちていた。
「騎士様……子供たちに、食事と暖かい寝床を! 子供たちだけでも、どうか……どうか、お願い! 痩せ細って死んでいく子供たちを、これ以上は見ていられないんです!」
アルパスターの胸は、鋭い痛みで締め付けられていく。
民の苦しみは、本物だった。
しかし、どうすればいい?
今は、戦争の真っ只中だ。
物資や食料は、前線で戦う騎士たちに優先される。
それは、当然だ。
戦う者が飢えで倒れるなど、ありえない。
戦わなければ、ヨトゥンに国が蹂躙されるのだから。
民衆の言葉は理解できるが、聞き入れれば騎士たちの食料が削られる。
戦えなくなれば、ヨトゥンの侵略はさらに苛烈を極めるだろう。
反乱を、抑えるしかない……そう決意を固めたアルパスターの瞳が、群衆の奥から現れた男を捉えた。
黄金の鎧は傷だらけで、肩にかけたマントは煤と泥で汚れている。
それでも民衆の間に立つ彼の姿は、嵐の中をさまよう船を導く灯台のようだ。
強い信念と、揺るぎない光を放っていた。
「フェルグス……なのか? なぜ、民衆側に立っている? お前、まさか……」
民衆はフェルグスを囲み、必死に懇願する。
男たちの声は切実で、女性たちの目は希望の光を宿していた。
「フェルグス様、助けてください! 国は……国王は、俺たちを見捨てた! フィアナ騎士団の本隊が来る前に、俺たちを導いてくれ! 頼む!」
男の切実な願いを聞いたフェルグスは、静かに頷く。
そして深い眼差しで、一人ひとりの民衆を見回した。
その瞳には怒りや憎しみではなく、底知れぬ悲しみと揺るがぬ決意が宿っていた。
アルパスターは馬から飛び降り、ブリューナクを手にフェルグスの前に躍り出る。
地面に足を着けた瞬間、土煙が舞い上がり2人の間に緊張の空気が張り詰めた。
「フェルグス! 反乱を起こす者の言葉など、聞くんじゃねぇ! 国には、国の……秩序ってモンがある! 戦争中なんだ……全ての人が、苦しんでいる。アデストリアだけが、特別に厳しいわけじゃない! そんな時に、自分勝手に暴れるなんて……それは、ただの身勝手だ! そうだろ?」
アルパスターの叫びは、怒りと……そして裏切られた友情の痛みで震え、広場全体に響き渡る。
「人間同士で争っていては、ヨトゥン軍に勝てない! 国も、フィアナ騎士団も……そして、俺をも裏切るのか!」
声は嗄れ、拳が震えた。
ブリューナクの柄を握る手が赤くなるほどに、力を込める。
友の裏切りが、アルパスターの心を千々に引き裂いていた。
フェルグスは民衆に向けていた視線を、ゆっくりとアルパスターに移す。
迷いと怒りが渦巻くアルパスターの瞳を、フェルグスの決意の眼差しが優しくも鋭く貫く。
「アルパスター……お前は、真っ直ぐだ。あまりにも、真っ直ぐすぎる」
フェルグスの声は静かだったが、嵐の前の静けさのように重く心を締め付けた……




