ゼークの覚悟2
ゼークや航太たちが幕舎に足を踏み入れようとした瞬間、遠くから響く戦準備の慌ただしい足音と鉄具の擦れ合う鋭い音が聞こえてきた。
まるで空気を切り裂くように、緊張感が伝わってくる。
だが幕舎の内部は対照的に、まるで死の淵に沈んだような重苦しい静寂に支配されていた。
厚い布壁に刻まれたベルヘイム国の紋章は、時折吹き込む冷たい風に波打っている。
まるで、国の誇りが生き物のように息づいているかのように見えた。
空気にはインセンスの甘く重い香りが漂い、戦いの前触れとしての緊張感が幕舎全体を包み込んでいく。
中央にはアルパスターが威厳を湛えて上座に座し、その周囲には各将が厳粛な表情で整然と並んでいる。
彼らの瞳には、迫り来る戦いの重圧と揺るぎない決意が宿っているようだ。
航太たちは、末席に用意された簡素な椅子に腰を下ろす。
初めての実戦を前に、航太たちの胸中には期待と不安が激しく交錯していた。
指先が冷たく、喉が乾く。
心臓の鼓動が、耳元で鳴り響いている。
そして、アルパスターがゆっくりと立ち上がった。
その一挙手一投足に、全員の視線が釘付けになる。
低く鋼のように鋭い声が、幕舎を満たす。
「我々が向かうコナハト国の主城の手前、スラハトの街にロキ軍の先鋒隊が布陣している。部隊を指揮するのは、フェルグスとの報告を受けている」
フェルグスと言う名に、一同は息を飲む。
空気は更に重く沈み。緊張感が広がった。
誰かが小さく息を呑む音が、静寂の中で異様に大きく響く。
アルパスターは卓上に広げられた古びた地図を指でなぞり、場の緊張感を和らげる様に落ち着き払った口調で言葉を続ける。
「そして、我が軍の後方……オゼス村付近に駐屯していたガイエンの部隊が、我々の背後を取る勢いで迫っている」
各将の顔が、青ざめていく。
前門の虎、後門の狼。
退路を断たれつつある現実が、幕舎内に冷たい絶望を撒き散らした。
アルパスターは、隣で腕を組んでいる軍師ガヌロンに視線を移す。
ガヌロンはベルヘイム国でも屈指の知恵者として知られ、その鋭く冷徹な眼差しは戦局を一瞬で見抜く力を秘めている。
まるで死神の使いのような冷徹な眼差しで、地図を見据えていた。
「ふん……では、我が軍の配置を説明する」
ガヌロンは地図に、指先で各部隊の位置を的確に示していく。
その声には、感情の欠片がないように見える。
「まずフェルグスの部隊には、ゼークの部隊を当てる。航太ら3人のMyth Knightは、ゼーク隊の配属だ。ゼークの指揮で、動いてもらう。神剣には神剣……力不足だが、足掻いてもらおう」
ガヌロンは航太たちに冷ややかな視線を投げかけ、淡々と告げた。
「なんだとぅ! 力不足って何よ、おっさ……モゴモゴ」
絵美が立ち上がり声を荒げ、咄嗟に智美がその口を塞ぐ。
「あははぁ……すいません。黙らせまーす……」
智美は冷や汗をかきながら、力ずくで絵美を椅子に座らせる。
航太は溜息をつきながら、その様子を眺めていた。
ガヌロンの言葉に、思ったよりも怒りを感じていない。
むしろ航太の胸には、ガイエンと再び向き合いたいという淡い願いが疼いていた。
しかし今は、そんな我が儘を口にする時ではない事は分かっている。
航太は、黙って頷くしかなかった。
「ランカスト将軍には、後方のガイエンの部隊を牽制しつつ時間を稼ぎ、我が主軍の方へ徐々に後退していただきたい」
「承知した」
ランカスト将軍と呼ばれた男は、ガヌロンの指示に静かに頷き深い眼差しで応える。
ランカスト将軍の存在感は、幕舎に集う全員に静かな力を与えていた。
ランカスト・バニッシュ……白銀の鎧に身を包み、銀髪から覗く高貴な顔立ちが威風堂々とした雰囲気を放っている人物である。
ベルヘイム12騎士にも名を連ねる騎士として、ランカストはベルヘイムの兵士たちから絶大な信頼を寄せられる存在だった。
一方アルパスターはアルスター国のフィアナ騎士であり、今回の戦いには友軍として加わっているに過ぎない。
そんなアルパスターの格が上位の為に総大将として軍を指揮しているが、ランカストはその脇を支える役を進んで引き受けている。
ベルヘイム騎士主体の軍で、部隊が纏まっているのはランカストの功績が大きい。
固い友情で結ばれている両者だからこそ、お互いを支え合いリスペクトする事が出来ていた。
「ゼーク、フェルグスとの一騎打ちは必ず避けろ。航太達も成長しているし、後方には私が控えている。無理だけは、絶対にするなよ」
アルパスターは穏やかだが、力強い声でゼークを諭す。
「分かって……います。でも、将軍の出番はありませんよ! 今の私なら、フェルグスにだって……」
ゼークは普段の軽い調子を捨て、険しい表情で言い返した。
その言葉には、仲間を守る決意と僅かな苛立ちが混じる。
「ゼーク、甘い考えは捨てろ! 分かっているとは思うが、フェルグスとカラドボルグの力を侮ってはいけない。引き際を間違えれば、部隊ごと全滅だ!」
アルパスターは、珍しく声を荒げた。
そして困ったような表情を見せてから、航太にそっと耳打ちをする。
「ゼークを……頼むぞ。神剣相手に、正面から飛び込みかねない」
(ゼークなら、大丈夫だろうけど……フェルグスってヤツは、そんなに強いのか? ガイエンより強いのは、間違いなさそうだが……)
航太は眉を寄せ、頷きながらも不安と好奇心が入り混じった表情で考え込んだ。
不安の方が強いのか、胃の底を冷たく締め上げてくる。
その様子を見たガヌロンが、ゆっくりと近づいてきた。
「お前たちはMyth Knightだが、戦場では3人で固まって戦え。実戦経験が浅いのだから、ゼークの邪魔だけはするなよ。フェルグスと対峙したら、逃げる事だけを考えればいい。カラドボルグからは、逃げる事すら難しいがな……」
ガヌロンは冷たく言い放つと、踵を返して幕舎の外へ出て行く。
「感じ悪ぅ~。何あれ、私達じゃ逃げる事も出来ないって言いたい訳! さっきだって、無能扱いしてくるし! 今度、頭から水ぶっかけてやろう!」
絵美が幕舎の出口に向かって舌を出し、アッカンベーをしてみせた。
その仕草に、緊迫した空気が一瞬だけ和らいでいく。
「一応、訂正しておくと……無能じゃなくて、力不足ね。私たちの能力は……神剣の力は、信じている。でもフェルグスって人が相手では、軍師が期待しているような結果はだせないって事だと思う」
「智美殿の言う通りだ。正直、フェルグスは強い。剣の腕は超一流、さらにカラドボルグという最強クラスの神剣を使いこなしてくる。ガヌロンは、気をつけろと言いたかったのだろう。性格が歪んでいるのは、許してやってくれ」
絵美の仕草に笑いながら、ランカストは智美に優しい口調で声をかけた。
「フェルグス……そうね。私1人じゃ難しいかもしれないけど、航太たちが力を貸してくれれば……倒せないまでも、退かせる事は出来るかもしれない」
ゼークは拳を握りしめ、強がるように笑う。
「ランカストさんや、ゼークの言う通りだぜ! 色んな人がいる……そんなんに、いちいち腹立ててたらキリねぇぞ! 結果で、黙らせてやろうぜ!」
「だね! ゼーク隊としての初陣だし、隊長に派手な華を持たせてあげましょ!」
航太と智美の言葉に、絵美は笑顔で頷く。
アルパスターが最後に、全員を見渡す。
声に込められたのは、祈りに近い願いだった。
「皆……仲間を信頼し、連携して戦え! 自分の命が、仲間の命を繋ぐ! 全員……生きて、また我々の元に戻ること! それこそが、勝利だ!」
アルパスターの声は幕舎の布壁を震わせ、兵士たちの心に深く響き渡る。
航太は初めての実戦を前に、興奮と緊張が絡み合う不思議な感覚に飲み込まれていく。
胸の奥では未知の戦いへの期待と恐怖が渦巻いていたが、同時に仲間と共に立ち向かう覚悟が静かに根を張りつつあった…




