日常のような朝
「くわぁ~! よく寝たぁ……って? ここ、どこだ?」
航太は大きく両腕を広げて伸びをしながら目を覚ました。
全身を包む心地よい疲労感と深い眠りから抜け出した解放感が、航太の胸にほのかな満足を灯していく。
だが、その温かな余韻は一瞬にして消え去った。
目の前に広がる見慣れない光景に心臓がギュッと締め付けられ、眠気が恐怖と混乱に押し潰される。
薄暗いテントの内側……頭上には帆布がたるんで揺れ、足元にはゴツゴツした地面に敷かれた薄いマット。
自分の部屋の柔らかなベッドや、安心感を与える壁紙はどこにもない。
代わりに、異世界の冷たく乾いた空気が彼を包み込んでいた。
驚愕が全身を駆け巡り、航太は反射的に両手をバタバタと広げる。
ふにっ
「?」
指先に柔らかな感触が伝わり、その心地良さの正体を想像し航太の心が一瞬で凍りついた。
柔らかくて温かくて、かすかに弾力のあるその感触……航太の眠気まじりの意識に、鋭い電流が走る。
触れた瞬間……張りのある柔らかい反発が指先に跳ね返り、心臓が喉を突き破る勢いでドクンドクンと脈打った。
驚愕と羞恥が嵐のように胸を襲い、顔がカッと熱くなり血が頭に上って目眩がする。
男と女が、同じ部屋で寝てる?
そんな訳がない!
頭の中で繰り返し叫びながらも、航太の呼吸は浅く速くなった。
「あ~っ! 航太、何してるでしゅか~! ふにふにしてましゅ~! 破廉恥でしゅよ~!」
聞き慣れた甲高い声がテント内に響き渡り、航太の耳を突き刺してくる。
ガーゴの……声だ。
そのけたたましい叫びが航太の混乱した心を現実に引き戻し、同時に底知れぬ恐怖と罪悪感を呼び覚ます。
頭が……一気に覚醒した。
ガイエンとの壮絶な戦い、オゼス村での決意、夜営地への帰還……そして、疲れ果ててテントに倒れ込んだ記憶。
昼過ぎという中途半端な時間にもかかわらず、食事も取らずに眠りに落ちた自分たち。
徹夜続きの身体と、次から次へと押し寄せる出来事に翻弄された心が限界を超えていたのだ。
その事実が、航太の胸に重い疲労感と切なさを刻んでいる。
(そういえば……オレの横に寝てたのって、絵美だったっけ? ボーっとしてたから、記憶も曖昧だが……昨日は皆んな同じテントとか、気にする余裕も無かったしな……)
背中にじわりと冷や汗が滲み、心臓が締め付けられるような嫌な予感が押し寄せた。
恐る恐る視線を下げると、そこには自分の右手がしっかりと絵美の胸の上に乗っている光景が広がっている。
薄い布越しに感じる柔らかな膨らみと、絵美の寝息に合わせてかすかに上下する温もり。
航太の顔が真っ赤に染まり、心の中で声にならない絶叫が響いた。
羞恥が全身を焼き尽くし、罪悪感が胸を締め付る。
頭の中が、真っ白になった。
慌てて手を引っ込めるが、指先がビクビクと震え心臓が胸を叩き続ける。
謝罪の言葉を心の中で繰り返し呟きながら、航太の視界が揺れた。
「あはははは……いや、まぁ……事故ですやん」
小さく声を漏らし、航太は反射的に周囲を見回す。
ガーゴの大声で目覚めた仲間たちの冷たい視線が、一斉に自分に向けられていることに気付く。
心が、更に縮こまった。
智美は眉をキリリと吊り上げ、頬を膨らませた怒りの表情。
智美の瞳には燃えるような苛立ちと裏切りが宿り、航太を責める感情が痛いほど刺さった。
一真は半目を開け、呆れ果てたような冷めた目でじっと見つめている。
その視線には軽い失望と深い諦めが混じり、航太の心に鋭い針のように突き刺さる。
胸が、締め付けられた。
そして、絵美は……寝ているフリをしているが唇の端が微かに上がり、どこか楽しげな雰囲気を漂わせている。
その表情に航太の心は混乱と安堵が交錯し、どうしていいか分からなくなった。
「これは事故だよ! うん、ほんと! 寝ぼけて焦って手を動かしたら、たまたま……その、こうなっちゃって……ね?」
航太は必死に弁解を試みたが、言葉が喉に引っかかり声が震える。
額に、冷や汗が浮かぶ……手を振って誤解を解こうとするが、その動きすらぎこちない。
「寝ぼけてたって、焦って手を動かす? それも、都合良く女性の身体の上に?」
仲間たちの視線は冷たく重く、航太の胸に罪悪感と孤独感が広がった。
一真の言葉が胸に突き刺さり、自分が仲間を裏切ったような感覚になる。
心が、ズキズキと痛んだ。
「たまたま手を動かしたら、たまたま絵美の胸の上に手が動いて……で、そのまま胸に手を置いたまま考え事してたって訳ね! さぞ、気持ち良かったんでしょうけど……いい度胸だわ!」
智美の声が、鋭く切り込んでくる。
智美の目はさらに吊り上がり、頬には怒りの赤みが差していた。
両手を腰に当て前のめりに航太を睨みつけるその姿からは、深い苛立ちと裏切られた悲しみが溢れ出している。
その声と表情が、航太の心に重くのしかかった。
「航兄さぁ……元の世界に戻らないって決めたからって、何でもアリってわけじゃないんだからね……」
一真は深いため息をつきながら、明らかに呆れきった口調で呟く。
片手で寝癖のついた髪をかき上げ、残りの眠気を振り払うように首を振る。
その声音には諦めと軽い苛立ちが混じり、航太への信頼が薄れたような響きがあった。
航太はその言葉に再び胸が締め付けられ、仲間との絆が崩れる恐怖に震える。
言い訳を探したが、頭は真っ白で何も浮かばない。
「てかさぁ……やるなら、堂々とやんなよ! コソコソやって、言い訳並べるなんて……サイテーの意気地なし野郎だよ! べーっ、だ!」
絵美は航太をからかうようにと舌を出し、ニヤリと笑う。
両手を頬に当てわざとらしく首を振って見せるその仕草には、怒りよりも悪戯っぽさが滲んでいた。
頬に薄く紅が差している絵美の声には、軽い怒りすら感じない。
どこか楽しんでいるような明るさが混じり、航太の心に小さな光を灯した。
揶揄われた事が分かり心の中で苦笑した航太は、絵美の優しさに救われた気持ちが広がる。
絵美が本気で怒っていないことが分かり、ホッとした航太だったが……同時に、揶揄われた恥ずかしさが新たな波となって押し寄せた。
「だいたい、航太は変態なんでしゅよ! ガーゴは、ずっと前から知ってましゅたよ!」
ガーゴが得意げに胸を張り、小さな腕を振り上げて言い放つ。
その丸い目がキラリと光り、妙な自信が小さな身体から溢れ出している。
まるで自分が正義の味方であるかのような態度に、航太の苛立ちが一気に沸点を超えた。
羞恥と罪悪感に苛まれていた心が、今度は怒りに支配されていく。
「てめぇ……アヒル野郎! お前が大声出さなきゃ、何事もなく済んだんだぞ! てか、ずっと前ってイツだよ? 出会ったのは、最近だよなぁ!」
我慢の限界を超えた航太は、ガーゴの小さな頭と足を両手でガシッと掴んだ。
そしてそのまま、雑巾を絞るようにグニグニと捻り上げる。
ガーゴの柔らかい体が歪み、小さな手足がパタパタと暴れた。
怒りと羞恥が混じった感情が爆発している航太は、パタつくガーゴの身体もお構いなしに捻り上げる手に力がこもる。
航太の胸に燃えるような苛立ちが、ガーゴの身体に叩きつけられていた。
「痛いでしゅ~! エロの次は、虐待でしゅよ~! 最低の人間でしゅ~!」
ガーゴがパタパタしながら叫ぶ姿は、どこか滑稽で哀れである。
その声を聞いた他の3人は、思わず吹き出した。
特に絵美は笑いすぎて涙目になり、腹を抱えて肩を震わせながら手を振っている。
絵美の笑い声がテント内に響き、航太の心に温かな風を吹き込んだ。
智美の怒りが少し和らぎ、一真の冷たい視線も柔らかくなった気がする。
航太の心に、安堵が広がった。
「航ちゃん、そんなマジにならなくても大丈夫だよ~。私に興味が無いの、分かってるから平気平気!」
絵美の明るい声はまるで朝の陽射しのように爽やかで、航太の肩の力がスッと抜ける。
絵美の笑顔には純粋な優しさと許しが宿り、胸にじんわりと安心感が広がった。
「いや、ちょっと待て。やっぱり、オレが悪者になってねぇか? オレは、絵美の事を興味ないなんて言った事ないだろ?」
「ちょっと、航ちゃん? ミーちゃんの事、狙ってる訳? 今の航ちゃんとミーちゃんじゃ、不釣り合い過ぎて……もう少しマシになってから、出直してもらっていい?」
智美の声も、先程とは違い柔らかいモノになっていた。
その瞳には、笑った後の涙が溜まっている。
仲間との絆がまだ壊れていないことに、航太は深い安堵と感謝が溢れた。
絵美の太陽の様な明るさは、暗闇をも眩く照らす力がある。
暗い雰囲気すら、その輝きで明るく照らしてしまう。
(感謝……だな)
この3人、誰も失う事なく元の世界に戻る。
この世界の争いを無くし、後ろ髪を引かれる事なく元の世界に帰んだ。
強く……なる。
航太は、新たな決意を胸に刻み込んだ……




