決意の夜明け2
オゼス村の郊外に辿り着いた瞬間、航太たちの世界は音を失った。
風が血の匂いを運び、凍てつく静寂が耳を塞ぐ。
林の奥や道端、民家の軒先……視界のすべてが、死の色に染まっていた。
騎士の折れた槍、幼い子が握りしめたままの花束、母親が子を抱きしめたまま硬直した腕。
年齢も性別も関係なく、無慈悲に切り裂かれた命が大地を赤黒く濡らしている。
智美が膝をついた。
震える唇から、掠れた声が零れる。
「酷い……こんなこと……ここまでする必要があるの?」
智美の声は悲哀に満ち、涙が頬を伝う。
智美の瞳に映るのは、昨日まで笑っていたであろう人々の最後の表情だった。
その身体は恐怖と悲しみで硬直し、誰とも知れぬ相手に叫ぶように呟く。
一真もその場に立ち尽くし、目を背けることすらできなかった。
身動きのできない航太達を背に、ゼーク隊の隊員たちは黙々と生存者の救出に動き出す。
「これが……本当の戦争なんだ。私……軽い気持ちで、ここに来ちゃった。こんなに簡単に、人の命が失われていっちゃうなんて……」
絵美は両手で口を押さえ、嗚咽を噛み殺す。
普段の明るさはどこにもなく、ただ幼い少女のように肩を震わせている。
4人とも、初めて触れた「戦場での凄惨な死」の重さに押し潰されそうだった。
航太の頭の中は、混乱と絶望で渦巻いていく。
(神話の世界が、戦いの世界って事は聞いていた。けど……本当に命の危険があるなんて、考えてもいなかった。オレは……オレ達は、どうすればいいんだ?)
まだ、この世界に足を踏み入れたばかりだ。
しかし智美や絵美の涙を見れば、ここに留まることなどできない事は明らかである。
帰るべきだ……
湖畔で剣を振るだけで、元の世界へ。
明かりが灯る、安全な部屋へ。
誰も泣かなくていい、平和な場所へ。
今なら、来た時と同じ方法で帰れる筈だ。
自分や智美や絵美や一真が、死ぬかもしれないなんて……そんな事、微塵も考えていなかった。
しかし、その考えを覆す現実が目の前に広がっている。
帰るんだ……
頭では分かっているのに、足が動かない。
ゼーク隊の騎士たちは航太の視線の先で、黙々と村人たちの救出を始めていた。
焼け焦げた瓦礫をどけ、微かな息遣いを探す。
騎士は誰1人、泣いてはいない。
泣いている暇など、ない事を知っているから……
そんな光景を見た航太の胸には、自分でも理解できていない燃え尽きない葛藤が渦巻き始めていた。
(このまま、帰っていいのか? だが……オレたちが命を懸けたって、戦争が終わるわけじゃない……帰るのが正解だ! よく分からない戦争に巻き込まれて、死ねる訳ねぇ!)
自分の気持ちを無意識に押さえ込み、航太は決意を固める。
そんな航太に、ゼークが静かに近づいてきた。
「航太さん。客人なのに、こんな目に遭わせてしまって……ごめんなさいね。もう少ししたら、休める場所を準備するわ。疲れていると思うけど……」
「待ってくれ!」
航太はゼークの言葉を遮って、自分でも思いもしない大声で叫んでいた。
「すまないが、オレたちは帰るよ。戦うなんて……無理だ! 戦争なんて……人を殺すなんて、無縁の場所から来たんだ! こんな惨状を見るのは、皆んな耐えきれないんだよ!」
航太の声は震え、葛藤が溢れ出す。
その言葉を聞いたゼークは、綺麗な銀髪をかきあげる。
銀の髪が風に靡き、血と煤に汚れた顔が露わになった。
その顔を見た航太は、息と唾を思わず飲み込む。
想像を絶する、覚悟と決意……年端も行かない女性から、心臓を抉るかのように感じる。
「その気持ち……分かるよ。こんな地獄を見れば、誰だってそう思う。私達だって、慣れてる訳じゃないのよ。こんな殺戮が起きない様に、皆んな必死に戦ってる。でも、ヨトゥン軍を……クロウ・クルワッハを止めないと、この村と同じ惨劇が繰り返される。逃げたら逃げただけ、助かる人が少なくなるのよ……」
ゼークの言葉が、航太の胸に次々と突き刺さった。
それでも……
「分かってる! この戦場を……戦場になった村を見れば、何かしなきゃって思う! でもオレ達は、こんな血と死の世界とは無縁だったんだよ! オレ達がこの世界で、出来る事なんてない。無駄に、命を落とすだけ……だったら、逃げたっていいだろ!」
航太の声が、空を切り裂いた。
「目を背けたくなる気持ち……分かるよ。でもね……背けた先に、何があるの? この村が自分と関係ないからって、見捨てられる? この子達の叫びが……守りたくても守れなかった人達の声が、私の耳に響いてる。聞こえないふりなんて、私にはできない」
ゼークの言葉が刃のように突き刺さり、航太は唇を噛み潰す。
「貴方たちは、神話騎士なんだよ……神剣に選ばれたMythKnightなんだ。神剣は、そう何本もあるものじゃないの。それに選ばれた貴方たちが戦わなければ、人間は……ここで死んだ村人達は、誰に希望を託せばいいの? 悔しいけど、神剣は私を選んでくれなかった。神剣に選ばれたのに、逃げ出すなんて悲しい事……言わないで」
年下の少女に魂を貫かれ、航太は言葉を失う。
神剣に守られていたから、戦えた。
ただの人間が、ガイエンやヨトゥンに挑む無謀さも理解できた。
それでも命を賭ける決断、人の命を奪う覚悟……そんな重荷を、背負えるはずがなかった。
その決断が、幼馴染を危険に晒す事も……
「私は……戦う!」
悩んでいる航太の横から、突然の大声が響き渡る。
智美が、雷鳴のように叫んでいたのだ。
普段は冷静で静かな智美の大声に、航太は目を剥いた。
「智美……ここは、アニメや映画の世界じゃない! 本当に、死ぬかもしれないんだぞ!」
「分かってる! そして、この村の惨状もリアルなんだって……でも、戦争が続く限り終わらないんでしょ? ガイエンも、この村の人たちも……戦争が無ければ、こんな悲惨な事が起こらなくなるんだから! もし私に、戦争を止める力が……一刻も早く終わらせる手伝いが出来るのなら、私は戦う!」
智美の瞳は涙に濡れながらも、炎のように燃えている。
その手に握られた草薙剣と天叢雲剣が、智美の決意を感じて静かに輝きを増す。
「そうだよ、航兄。知らなかったら、関係なかったかもしれない。でも、知ってしまった……オレ達が戦いから逃げても、この世界の戦いは続く。見えてないだけで、この村と同じ事が繰り返されるんだ。守る為の力を、航兄は持っているだろ!」
一真は、航太の持つエアの剣を指差した。
「おいおい……現実を見ろ! ガイエン1人にすら、ゼークさんやエリサさんの助けがなきゃ全滅だったんだぞ! 死んでいても、おかしくなかった。神剣を持ってる……使えるっていっても、所詮素人だ! 何もできやしねぇよ!」
航太の叫びは、仲間を失う恐怖に震えている。
「私も……この惨劇を見て、関係ないなんて言えないよ。現実なのか夢なのかも分からない世界だけど、ここに生きる人たちは本物なんだよ。私達を守ってヨトゥン兵に殺されちゃった騎士さん達にも、私は報いたい」
絵美も涙を堪え、真剣に訴えた。
自分達を守って命を落とした騎士達は、逃げ出す自分達をどう思うだろうか?
優しそうな顔立ちの、騎士だった。
逃げ出す事に、賛成してくれるかもしれない。
だが……だから、こそ。
「航太さんが素人なのも、他の皆んなも戦いに慣れてないのは分かったわ。でも……その素人がガイエンと打ち合い、私が駆け付けるまで戦い抜いた。訓練された騎士が、ヨトゥン兵に倒されたのに……貴方はそのヨトゥン兵を指揮するガイエンに、押されてたにしても戦って生き延びたのよ。MythKnightとしての力は、本物だと思うわ」
今にして思うと、熟練の剣士であるガイエンと戦って生き延びた事……それはやはり、奇跡だと思う。
MythKnightという存在は……神剣に認められるという事は、やはり特別な事なのだろう。
オゼス村の惨劇……それを繰り返さない為にも、神剣の力が必要だ。
自分達に希望を託して、死んでいった騎士達の為にも……
「航ちゃん、強くなろう。私たちは、殺すんじゃない。神の剣で……圧倒的な力で、被害を食い止めるような戦い方をしてみようよ。難しいとは思うけど……神剣があれば、いつでも帰れるんだから! 今できる事、してみよう!」
智美の言葉が乾いた心に轟き、航太は目を閉じた。
そして長い沈黙の後、航太はゆっくりと頷く。
剣を振れば、直ぐに帰れる。
その事実にすがり、航太は決意を固めた。
(強くなれば、救える命も多くなるって事だ。だが……自分の身も、皆んなの命も守らなきゃいけねぇ! 気合いを入れろ、オレ!)
航太は頬を叩き、その決意を新たにする。
「大丈夫だよ……私たちが、MythKnight達を命懸けで守る! 貴方たちは、救世主になる可能性を秘めているんだから!」
ゼークがウインクし、始めて少女らしい笑みを浮かべた。
その瞬間、太陽の光が雲を突き破る。
航太たちの決意に、眩い光を投げかけるように。
(とりあえず……寝よう。頬を叩いたからって、眠気は覚めねぇ……気持ち切り替えて、全てはそこからだ)
航太は全身から力が抜け、魂が抜け殻のように飛び散っていくようだ。
太陽が高く昇り始め、新たな戦いの幕開けを照らし出していく。
新たな戦いの、最初の日が始まった……




