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雫物語 Rewrite  作者: クロプリ
紅の剣士と恐怖の剣
18/29

救うための戦い1

 ガイエンに、胸を無残に切り裂かれた男……レイ・ノースランは、血に染まった地面に横たわり静かに最期の息を吐いた。

 憎々しい表情を物語る口から、喉を逆流した赤黒い血が泡立って溢れる。


「何か、伝えきれなかった想い……あったのでしょうか?」


 エリサは男の壮絶すぎる死に顔を見つめ、胸を締め付けるような思いに囚われた。


「もう、死んじまったんだ……考えたって、どうしようもねえよ……」


 航太は吐き捨てるように言ったが、その声は震える……やり場のない怒りと悲しみが、心を掻き乱していく。


「ねえ……航ちゃん。この世界にいたら、ずっとこんな辛いことの連続なのかな? そうだとしら、私もう……耐えられないよ……」


 いつも陽気な絵美の声が、闇に沈むように低く掠れた。


 絵美の目は涙に濡れ、希望の光が消えかかっている。


 航太は答えを絞り出せず、ただ一真のいる民家へと目を向けた。

 その視線は、救いを求めるように揺れる。

 まるで、最後の希望を見出すかのように……


 ……


 時が、少し遡る。


 一真がネイアを伴って民家の扉を押し開けた瞬間、血の臭いと静寂が2人を襲った。


 部屋の中央に、赤ちゃんと母親らしき女性が倒れている。

 床は鮮血で真っ赤に染まり、まるで命そのものが流れ出しているかの様に見えた。


(この出血量、赤ちゃんの方はもう……女性の方は?)


 女性の腹部には、鋭い刃物で抉られたような深い傷が刻まれている。

 出血の量は多い……だが、内臓は無事に見えた。


 一真は震えが止まらない指を、倒れている女性の首に押し当てる。


 トクン……トクン……


 微弱……あまりに、微弱すぎる脈動。

 それでも、確かに心臓の鼓動は……命は、まだそこにある。


 覚悟を決めた一真の指の震えは、止まった。


 一真は一瞬の迷いもなく、着ていたTシャツを力任せに引き裂き傷口に押し当てる。

 白い布が血を吸い、瞬く間に真紅に変わっていく。


「このままじゃ……でも、まだ生きているんだ!」


 一真の叫びが、薄暗い部屋にこだました。


「ネイアさん! 治療系の魔法って、何が出来ますか? 傷口を消毒する魔法とか、ありますか?」


 一真の声は切迫し、なんとしても命を繋げようとする意志に満ちていた。


「えっ? 消毒って……バイ菌を取り除くって事ですよね? できなくは無いですけど、そんな事したって……」


 ネイアは驚き、目を丸くする。


 戦場では傷を塞ぐことだけが全てで、バイ菌を取り除くなんて行為など二の次だった。

 傷さえ治せば、また戦場に戻れる。

 その後の生の長さなど、考える余裕なんてなかった。


 そもそも、女性の傷は致命傷に見える。

 もはや、手遅れ……


 しかしネイアの考えとは異なり、一真の視点はまるで別次元にある様に感じた。


「傷を塞いだとしても、このまま感染したら彼女の身体は持たない! 消毒と……輸血、そして傷を塞ぐ!」


 これからの行動を自分自身に言い聞かせるように、一真は声に出す。


「ネイアさんは、消毒の魔法……お願いします!」


 血にまみれた手で傷口を押さえながら、一真は必死に訴えた。


「もう……手遅れだと、思います。それに、その人を救って何になりますか? 私たちの力になってくれる人なのかも、分からない。敵かもしれません。ここで彼女が亡くなっても、私達には関係ないと思います」


 ネイアの声は小さく、その言葉には諦めが滲む。


 その言葉に……人間の価値で助ける人を決めようとするネイアの考えに、一真の瞳が燃え上がった。


「なら……捕らわれた姫や自分の国の王様、大切な仲間が同じ状態でも同じこと言うの? 航兄達はネイアさん達を助けた時、敵かもしれないって躊躇ったと思う? 人間の命に、軽いも重いもない! 敵かもしれないとか助からないとかって思うのは、全てをやり尽くしてからだ!」


 その言葉は、雷鳴のようにネイアの心を打ち砕く。


 ネイアの瞳が、揺れる。

 これまで、幾度となく見てきた「救えない命」

 それを「仕方ない」と、切り捨ててきた自分。


 戦場で幾度も死を見てきたネイアにとって、救えない命はただの現実だった。


 しかし、一真の揺るぎない信念が……その瞳が、ネイアの魂を揺さぶっていく。


 ネイアはもう一度、床に倒れ伏した女性を見つめた。


 その瞬間……ネイアの内に渦巻く感情が、熱い波となって胸を締め付ける。


 この女性は幼い命を守るため、全身全霊を捧げたのだろう……その小さな命が失われることへの恐怖と、それでもなお抗おうとする強い意志が女性の腕に宿っていた。

 無数の傷が刻まれた腕や手の甲を目にした時、ネイアの心は震える。

 ただの傷跡ではない、その女性の愛と犠牲の証が刻まれているように思えたのだ。

 盾となり続けたその腕は元の肌の色を完全に奪われ、血と涙で赤く染まりきっている。


 ネイアの視界が一瞬揺らぎ、女性自身の悲しみがこみ上げるのを感じた。

 女性の顔には苦痛と深い悲哀が絡み合い、まるで魂ごと引き裂かれたかのような表情が浮かんでいる。


 意識を失ったその姿に、ネイアは言いようのない痛みを覚えた。

 女性の内に秘めた決意と絶望が、自分のモノのように心に響き渡る。


 ネイアは唇を噛み締め、血が滲むほどに力を込めた。


 その瞳に宿る迷いを振り払うように、ネイアは決意を固める。


 詠唱が……始まった。


 大きく広げられた両腕……その手から眩い蒼と碧の光が溢れ出し、蒼碧の輝きがまるで命そのもののように脈打っていく。

 蒼と碧の交錯する光が、嵐のように渦を巻いて立ち昇る。


「双重奏癒光……デュアル・ヒール!」


 その光は倒れた女性の身体を慈しむように包み込み、闇の中に一条の希望を刻んでいく。


 傷口が……まるで神が与えてくれる奇跡かのように、ゆっくりと閉じ始める。

 血が滴る音……絶え間なく響いていた命の喪失の調べが途絶え、静寂が2人を包んだ。


 腹部から溢れていた、夥しい血だけではない。

 体中を切り裂いた無数の斬り傷が……浅いものから深いものまで、まるで神の意志を受けたかのように癒されていく。


 一真は息を呑み、目を疑うほどの光景に言葉を失う。


 ネイアは額に汗を滲ませ、息を荒げながらも詠唱を止めなかった。


 その瞳は、もはや先ほどのものではない。

 迷いも弱さも焼き尽くした、炎のような決意が宿る。

 自分の考えを否定したその先に、心の奥底で燃え上がった太陽のような輝きが生まれたのだ。


 ネイアの心に響き渡ったのは、倒れた女性の声にならない叫び……無視することなどできようはずもない、魂の底を揺さぶる慟哭である。


 この女性が守りたかった大切な人は、もう救えない。

 だが……だからこそ、この命だけでも!


 全ての傷が塞がりきった瞬間ネイアはその場に膝をつき、肩を震わせて大きく息を吐いた。

 力尽きた身体が、今にも崩れ落ちそうだった。


「けど、消毒は? 傷を塞いでしまったら、菌が残って……」


 一真の焦った声が、静寂を切り裂く。

 ネイアは首を振って、その不安を静かに否定する。


「一真様……大丈夫です。二重詠唱で、菌の除去と傷の修復を……同時に、行いましたから……」


 その声は弱々しく、掠れていた。

 額から滴る汗がネイアの頬を伝い、地面に落ちる。


(二重詠唱? 聞いただけでも分かる……高度な術の筈だよな? どれほどの力を、消耗させてしまったんだ。オレの言葉で、無理をさせてしまった……すまない!)


 一真の胸は、締め付けられるような痛みに支配された。


 だが次の瞬間には、一真の瞳は倒れた女性へと向けられている。


(絶対に、助ける! ネイアさんの覚悟を……決意を、無駄にはできない! 絶対に、だ!)


 一真の心の奥で、炎が轟々と燃え上がっていく。


 出血は、止まった。

 が……その命の灯火は、今にも風に吹き消されそうなほど儚く揺れている。


(後は、血液か? 輸血なんて……オレに出来るのか? いや、泣き言なんて言えない。ネイアさんの覚悟に……決意に、報いるんだ! 偉そうな事を言っておいて、逃げ出すなんて出来ないぞ!)


 覚悟を決めた一真は立ち上がり、家の中を必死に探し始めた。

 しかし当然だが、点滴に使える物などあるはずもない。


(くそっ! 針と管と水……後は、血液を入れる滅菌されたバッグか……足りない物が多すぎる!)


 その時、一真の脳裏に閃きが走った。


「ネイアさん……血液と水を混ぜる事って、魔法で出来ますか?」


「物を混ぜ合わせるだけなら、難しい事じゃないわ。けど、少し魔力を回復させないと使えないかも……」


 そう言った後、ネイアは笑いながら首を横に振る。


「一真様、気にしないで必要な時に命令して下さい。無理なんて事はない……私の力で、助けられるのなら……」


「ネイアさん……オレがお願いするまで、休んでいて下さい。ネイアさんの力は頼りにしてるけど、魔力が尽きてる時に魔法が使えない事ぐらい分かってます。大丈夫……2人で力を合わせれば、必ず助けられます!」


 ネイアを背にした一真は、神剣グラムの柄に手を添える。


「戦闘で使わなきゃ……いいよね。これが、オレの戦いなんだ。力を……借りるよ」


 一真の瞳が、赤に変わる。

 薄い赤……偽桃色の様な、淡い赤に……


 鞘から抜かれたグラムは、太陽の様な輝きを纏っている。

 灼熱の如き高熱を纏った剣身が高速で振り下ろされた事を、ネイアは気付かなかった……

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