救うための戦い1
ガイエンに、胸を無残に切り裂かれた男……レイ・ノースランは、血に染まった地面に横たわり静かに最期の息を吐いた。
憎々しい表情を物語る口から、喉を逆流した赤黒い血が泡立って溢れる。
「何か、伝えきれなかった想い……あったのでしょうか?」
エリサは男の壮絶すぎる死に顔を見つめ、胸を締め付けるような思いに囚われた。
「もう、死んじまったんだ……考えたって、どうしようもねえよ……」
航太は吐き捨てるように言ったが、その声は震える……やり場のない怒りと悲しみが、心を掻き乱していく。
「ねえ……航ちゃん。この世界にいたら、ずっとこんな辛いことの連続なのかな? そうだとしら、私もう……耐えられないよ……」
いつも陽気な絵美の声が、闇に沈むように低く掠れた。
絵美の目は涙に濡れ、希望の光が消えかかっている。
航太は答えを絞り出せず、ただ一真のいる民家へと目を向けた。
その視線は、救いを求めるように揺れる。
まるで、最後の希望を見出すかのように……
……
時が、少し遡る。
一真がネイアを伴って民家の扉を押し開けた瞬間、血の臭いと静寂が2人を襲った。
部屋の中央に、赤ちゃんと母親らしき女性が倒れている。
床は鮮血で真っ赤に染まり、まるで命そのものが流れ出しているかの様に見えた。
(この出血量、赤ちゃんの方はもう……女性の方は?)
女性の腹部には、鋭い刃物で抉られたような深い傷が刻まれている。
出血の量は多い……だが、内臓は無事に見えた。
一真は震えが止まらない指を、倒れている女性の首に押し当てる。
トクン……トクン……
微弱……あまりに、微弱すぎる脈動。
それでも、確かに心臓の鼓動は……命は、まだそこにある。
覚悟を決めた一真の指の震えは、止まった。
一真は一瞬の迷いもなく、着ていたTシャツを力任せに引き裂き傷口に押し当てる。
白い布が血を吸い、瞬く間に真紅に変わっていく。
「このままじゃ……でも、まだ生きているんだ!」
一真の叫びが、薄暗い部屋にこだました。
「ネイアさん! 治療系の魔法って、何が出来ますか? 傷口を消毒する魔法とか、ありますか?」
一真の声は切迫し、なんとしても命を繋げようとする意志に満ちていた。
「えっ? 消毒って……バイ菌を取り除くって事ですよね? できなくは無いですけど、そんな事したって……」
ネイアは驚き、目を丸くする。
戦場では傷を塞ぐことだけが全てで、バイ菌を取り除くなんて行為など二の次だった。
傷さえ治せば、また戦場に戻れる。
その後の生の長さなど、考える余裕なんてなかった。
そもそも、女性の傷は致命傷に見える。
もはや、手遅れ……
しかしネイアの考えとは異なり、一真の視点はまるで別次元にある様に感じた。
「傷を塞いだとしても、このまま感染したら彼女の身体は持たない! 消毒と……輸血、そして傷を塞ぐ!」
これからの行動を自分自身に言い聞かせるように、一真は声に出す。
「ネイアさんは、消毒の魔法……お願いします!」
血にまみれた手で傷口を押さえながら、一真は必死に訴えた。
「もう……手遅れだと、思います。それに、その人を救って何になりますか? 私たちの力になってくれる人なのかも、分からない。敵かもしれません。ここで彼女が亡くなっても、私達には関係ないと思います」
ネイアの声は小さく、その言葉には諦めが滲む。
その言葉に……人間の価値で助ける人を決めようとするネイアの考えに、一真の瞳が燃え上がった。
「なら……捕らわれた姫や自分の国の王様、大切な仲間が同じ状態でも同じこと言うの? 航兄達はネイアさん達を助けた時、敵かもしれないって躊躇ったと思う? 人間の命に、軽いも重いもない! 敵かもしれないとか助からないとかって思うのは、全てをやり尽くしてからだ!」
その言葉は、雷鳴のようにネイアの心を打ち砕く。
ネイアの瞳が、揺れる。
これまで、幾度となく見てきた「救えない命」
それを「仕方ない」と、切り捨ててきた自分。
戦場で幾度も死を見てきたネイアにとって、救えない命はただの現実だった。
しかし、一真の揺るぎない信念が……その瞳が、ネイアの魂を揺さぶっていく。
ネイアはもう一度、床に倒れ伏した女性を見つめた。
その瞬間……ネイアの内に渦巻く感情が、熱い波となって胸を締め付ける。
この女性は幼い命を守るため、全身全霊を捧げたのだろう……その小さな命が失われることへの恐怖と、それでもなお抗おうとする強い意志が女性の腕に宿っていた。
無数の傷が刻まれた腕や手の甲を目にした時、ネイアの心は震える。
ただの傷跡ではない、その女性の愛と犠牲の証が刻まれているように思えたのだ。
盾となり続けたその腕は元の肌の色を完全に奪われ、血と涙で赤く染まりきっている。
ネイアの視界が一瞬揺らぎ、女性自身の悲しみがこみ上げるのを感じた。
女性の顔には苦痛と深い悲哀が絡み合い、まるで魂ごと引き裂かれたかのような表情が浮かんでいる。
意識を失ったその姿に、ネイアは言いようのない痛みを覚えた。
女性の内に秘めた決意と絶望が、自分のモノのように心に響き渡る。
ネイアは唇を噛み締め、血が滲むほどに力を込めた。
その瞳に宿る迷いを振り払うように、ネイアは決意を固める。
詠唱が……始まった。
大きく広げられた両腕……その手から眩い蒼と碧の光が溢れ出し、蒼碧の輝きがまるで命そのもののように脈打っていく。
蒼と碧の交錯する光が、嵐のように渦を巻いて立ち昇る。
「双重奏癒光……デュアル・ヒール!」
その光は倒れた女性の身体を慈しむように包み込み、闇の中に一条の希望を刻んでいく。
傷口が……まるで神が与えてくれる奇跡かのように、ゆっくりと閉じ始める。
血が滴る音……絶え間なく響いていた命の喪失の調べが途絶え、静寂が2人を包んだ。
腹部から溢れていた、夥しい血だけではない。
体中を切り裂いた無数の斬り傷が……浅いものから深いものまで、まるで神の意志を受けたかのように癒されていく。
一真は息を呑み、目を疑うほどの光景に言葉を失う。
ネイアは額に汗を滲ませ、息を荒げながらも詠唱を止めなかった。
その瞳は、もはや先ほどのものではない。
迷いも弱さも焼き尽くした、炎のような決意が宿る。
自分の考えを否定したその先に、心の奥底で燃え上がった太陽のような輝きが生まれたのだ。
ネイアの心に響き渡ったのは、倒れた女性の声にならない叫び……無視することなどできようはずもない、魂の底を揺さぶる慟哭である。
この女性が守りたかった大切な人は、もう救えない。
だが……だからこそ、この命だけでも!
全ての傷が塞がりきった瞬間ネイアはその場に膝をつき、肩を震わせて大きく息を吐いた。
力尽きた身体が、今にも崩れ落ちそうだった。
「けど、消毒は? 傷を塞いでしまったら、菌が残って……」
一真の焦った声が、静寂を切り裂く。
ネイアは首を振って、その不安を静かに否定する。
「一真様……大丈夫です。二重詠唱で、菌の除去と傷の修復を……同時に、行いましたから……」
その声は弱々しく、掠れていた。
額から滴る汗がネイアの頬を伝い、地面に落ちる。
(二重詠唱? 聞いただけでも分かる……高度な術の筈だよな? どれほどの力を、消耗させてしまったんだ。オレの言葉で、無理をさせてしまった……すまない!)
一真の胸は、締め付けられるような痛みに支配された。
だが次の瞬間には、一真の瞳は倒れた女性へと向けられている。
(絶対に、助ける! ネイアさんの覚悟を……決意を、無駄にはできない! 絶対に、だ!)
一真の心の奥で、炎が轟々と燃え上がっていく。
出血は、止まった。
が……その命の灯火は、今にも風に吹き消されそうなほど儚く揺れている。
(後は、血液か? 輸血なんて……オレに出来るのか? いや、泣き言なんて言えない。ネイアさんの覚悟に……決意に、報いるんだ! 偉そうな事を言っておいて、逃げ出すなんて出来ないぞ!)
覚悟を決めた一真は立ち上がり、家の中を必死に探し始めた。
しかし当然だが、点滴に使える物などあるはずもない。
(くそっ! 針と管と水……後は、血液を入れる滅菌されたバッグか……足りない物が多すぎる!)
その時、一真の脳裏に閃きが走った。
「ネイアさん……血液と水を混ぜる事って、魔法で出来ますか?」
「物を混ぜ合わせるだけなら、難しい事じゃないわ。けど、少し魔力を回復させないと使えないかも……」
そう言った後、ネイアは笑いながら首を横に振る。
「一真様、気にしないで必要な時に命令して下さい。無理なんて事はない……私の力で、助けられるのなら……」
「ネイアさん……オレがお願いするまで、休んでいて下さい。ネイアさんの力は頼りにしてるけど、魔力が尽きてる時に魔法が使えない事ぐらい分かってます。大丈夫……2人で力を合わせれば、必ず助けられます!」
ネイアを背にした一真は、神剣グラムの柄に手を添える。
「戦闘で使わなきゃ……いいよね。これが、オレの戦いなんだ。力を……借りるよ」
一真の瞳が、赤に変わる。
薄い赤……偽桃色の様な、淡い赤に……
鞘から抜かれたグラムは、太陽の様な輝きを纏っている。
灼熱の如き高熱を纏った剣身が高速で振り下ろされた事を、ネイアは気付かなかった……




