白銀の戦乙女
ガァキキキィィン!
その瞬間……風がまるで咆哮する獣のように唸りを上げ、一陣の突風となって航太を救った。
その風が運んできたのは、激しさとは逆の柑橘系の清涼な香り。
オレンジとレモンが混じり合ったような、鋭くもどこか懐かしい香りだった。
その香りが、戦場の血と硝煙の臭いを一瞬にしてかき消していく。
戦場には似合わない甘い香りが航太の肺を満たし、心に僅かな余裕を生む。
まるで天からの啓示のように、それは希望の残響の様に思えた。
航太の開かれた瞼の先では、銀色の髪が嵐のように激しく揺れ動く。
吹き荒れる風の中で、壮絶に舞い上がった。
漆黒の夜の闇の中ですら輝きを放つその銀髪は、光の刃となって空を切り裂く。
その姿は、崇高で苛烈な美しさを放っていた。
「ちっ、ゼークか! オゼス村から、もう戻ってきやがったのか! 早すぎる!」
恐怖と驚愕が絡み合った叫びは、喉から絞り出されるように周囲に響く。
苛立ちに歪んだガイエンの顔が、信じられないといった表情を浮かべる。
そこにはオゼス村の焦土と化した廃墟から、ヨトゥンの軍勢を追い出した後の戦乙女ゼークが屹立していた。
ボロボロに裂けたマントが風に翻り、煤と汗に汚れた顔には仲間を守る覚悟が炎となって燃え盛っている。
ホワイト・ティアラ隊からの報告を受けたゼークは、直ぐに救援に向けた行動を開始した。
オゼス村のヨトゥンを撃退し村人の救出を部下に指示した後、馬を跳ばして救援に駆け付けたのである。
「私達の新たなる仲間達に、これ以上の傷は作らせない。そしてオゼス村の人々に働いた非道の数々と共に、その罪の清算をしてもらいます!」
細い腕がまるで天を裂く雷鳴のように震え、想像を絶する力が爆発的にほとばしる。
ゼークの握るバスタード・ソードが空気を切り裂き、疾風と共に大地を震わせた。
ガイエンはその圧倒的な勢いに抗えず、よろめきながら一歩……また一歩と、後退を余儀なくされた。
空気が軋むような緊張が戦場を支配し、次の瞬間を予感させる不気味な静寂が訪れる。
その時……
ポツリ……ポツリ……
ザアアアァァァ……
空が泣き出し、冷たい雨が大地を叩き始めた。
「航太さん、大丈夫ですか?」
ゼークの声が、雨音の中で響く。
濡れた銀髪が揺れるたび柑橘系の香りが漂い、航太の心に安らぎをもたらした。
「エリサ、航太さんの傷を診てあげて。ガイエンは、私が抑えるわ!」
ゼークの指示に、航太は首を横に振る。
「まだだ……俺はまだ、戦える!」
航太はエアの剣を握り直し、声を張り上げた。
自分より年下であろう少女に、頼り切りたくない……そんな意地が、航太の心を突き動かしている。
「航太様、傷だけでも癒します。戦闘中は、何が起きるか分かりません! 出来る時に、万全な状態に戻さないと……このぐらいの傷なら、直ぐに終わりますから!」
エリサが静かに呪文を唱えると航太の全身が薄緑の光に包まれ、ヘルギに付けられた傷が少しずつ消えていく。
「エリサさん、ありがとう! これで、少しはマシに戦えるぜ!」
航太は即座にゼークに加勢しようとするが、すでに戦況は一変していた。
雨がヘルギの赤い輝きを曇らせ、その力を半減させている。
そして剣技において、ゼークはガイエンを圧倒していたのだ。
(すげぇ……可愛いだけじゃねぇ、こんなに強いのかよ!)
銀髪を激しく振り乱し雨の中を疾風のごとく舞うゼークの姿は、戦いの女神そのもの……いや、それを超えた圧倒的な存在感を放っている。
ゼークの剣は、ただ風を切り裂くに留まらない。
まるで嵐そのものを従え、降りしきる雨すらも刃に跪かせるほどの勢いで振るわれている。
一閃ごとに空気が震え、地面に叩きつける雨粒がゼークの周囲で弾け飛ぶ。
まるで、水の精霊がゼークの戦意を讃えているかの様に見えた。
ガイエンは、その猛攻に抗おうと剣を構える。
「ヨトゥンから学んだ剣術では、7国の騎士から伝わる私の剣には勝てないわ!」
ゼークの刃は予測不能な軌跡を描き、ガイエンの防御を次々と打ち砕く。
ゼークの足運びは雨に濡れた大地をものともせず、滑るように移動しながら間合いを詰めていく。
「ぐっ! この雨……苛つくぜ! ヘルギの力さえ全力で使えれば、貴様如き!」
ガイエンは歯を食いしばり、ヘルギを振り上げる。
だが、ゼークは怯まない。
ゼークのバスタード・ソードが弧を描き、ガイエンの横腹を狙って斬りかかる。
ガァン!
金属が激突する轟音が響き、火花が雨を貫いて飛び散った。
ガイエンは、ヘルギの力で辛うじて防いでいく。
しかし衝撃で後ろに吹き飛ばされ、泥濘んだ地面に膝をついた。
「くそっ、こんな小娘に!」
ガイエンの目が怒りに燃え、再び立ち上がる。
そんなガイエンに対し、ゼークは容赦なく追撃の刃を繰り出す。
銀髪が雨に濡れて頰に張り付き、ゼークの瞳は冷徹な光を宿していた。
剣を低く構え、地面を蹴って飛び込む。
ガイエンはヘルギを横薙ぎに払い、反撃を試みる。
しかしゼークの身のこなしは、幻のように素早い。
ゼークは身を翻しヘルギの攻撃を躱わし、ガイエンの死角から斬り上げる。
キィィン!
再び刃が交錯し、ガイエンの肩口に浅い傷が刻まれた。
血が雨に混じって滴り落ち、ガイエンの顔が苦痛に歪む。
「ちくしょう……神剣も持たない小娘に、ここまで! ヘルギ、もっと力を!」
赤い輝きが強まるが、雨の影響で光は儚く揺らぐ。
ゼークの攻撃は、止まらない。
バスタード・ソードを回転させ、連続した斬撃を浴びせる。
一撃目で、ガイエンの防御を崩す。
二撃目は、ガイエンの腕を掠める。
そして三撃目は、腹部を抉る様な斬撃を繰り出した。
ガイエンは後退しながら、ヘルギを盾のように構えて必死に耐える。
息は荒くなり、動きは鈍くなっていく。
銀髪が風を切り、柑橘の香りが戦場に広がる。
ゼークの剣速が頂点に達し、雷のように振り下ろされた。
ガイエンはヘルギで受け止めるが、力の差は明らかである。
金属音が爆音となり、ガイエンの身体が地面に沈む。
「くそがっ!」
直ぐに体勢を立て直し、ガイエンはヘルギで攻撃を試みる。
だか、ゼークの流れる様な剣術は圧倒的であった。
一撃ごとに、ガイエンの息を奪う。
刃が交錯するたび火花が飛び散り、雷鳴のような金属音が戦場に響き渡る。
ヘルギが輝く余裕すら与えない猛攻で、ガイエンを追い詰めていく。
「流石は、7国の騎士の血筋か……だが、俺のヘルギは負けん! 本物の絶望も憎しみも知らない貴様の剣に、屈服するつもりはねぇ!」
ガイエンは地面を強く蹴り、泥と化した土を水と共に巻き上げる。
ゼークが顔を逸らした隙に、ヘルギを強く輝かせた。
赤い輝きが一瞬だけ強まり、雨の膜の中で光が反射する。
「くっ! ヘルギの力……やはり神剣は、侮れない!」
ゼークの動きが、赤い光に晒されて止まった。
その僅かな隙を突き、ガイエンは踵を返して逃げ出していく。
「今日は、退屈しのぎで隊を離れてただけだ。次に会う時は、必ず勝負をつけるぞ!」
その背中は雨に霞み、やがて見えなくなった。
「目潰しからの、神剣の能力を使って逃走……どんだけ、卑怯な奴だよ」
「航太さん……戦場では、生き残る事が何より大切な事です。そういう意味では、あれも1つの方法だと思いますよ。あまり、真似をしたくは無いですが……」
航太の言葉に、顔の泥を払いながらゼークは笑顔で応える。
通り雨だったのか……ガイエンの姿が消えると同時に雨が止み、空に淡い光が差し込み始めた。
「ねぇ、この男の人……大丈夫かな? エリサさん、この人の治療も出来るかな?」
絵美は胸を裂かれた男に駆け寄り、エリサに助けを求める。
エリサは魔法を試みようとするが、すぐに顔を曇らせて首を横に振った。
「絵美様、この方は生命の灯がもう……こうなってしまっては、魔法の力では……」
女性の声が、遠くに聞こえる……
男の……レイの意識は風に散る花びらのように儚く薄れ、やがて遠い記憶の海へと静かに沈んでいった。
息も絶え絶えに閉じゆく瞼の裏に最後に浮かんだのは、戦火に焼かれ尽くした荒野の情景。
黒煙が空を覆い焼けた土の匂いが鼻をつき、耳に響くのは遠くで途切れた悲鳴の残響。
赤き男が作り出した絶望の大地で、レイはティアと出会った。
ティア……その名を思うだけで、レイの胸は締め付けられるような痛みと温もりで満たされる。
ティアは、そこに佇んでいた。
ボロボロに裂けた服がまるでティアの傷だらけの心を映すように細い身体を包み、煤と涙に濡れた頬が風にさらされている。
擦り切れた布の端が寂しく揺れ、ティアの小さな足元には冷たい瓦礫と灰色の土が寄り添うように広がっていた。
ティアの瞳は……その瞳は、まるで夜空に瞬く最後の星のように深い悲しみと優しさを湛えている。
それでも、消えない希望の光を宿している様に見えた。
レイはその瞳を思い出すたび、心が震え涙がこぼれそうになる。
あの出会いはレイの凍てついた魂にそっと触れ、冷え切った胸に温かな波紋を広げた。
ティアの存在はレイにとって救いであり、失うことは絶対に出来ない。
レイはガイエンに付けられた傷を憎悪に満ちた手で触り、そして動かなくなった……




