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36.クエッテの忠告

「クエッテ殿が?」

 居間に現れたフォレスの言葉に、レインも、クォーレ公爵家に出かける直前だったミアも首を傾げる。

 だが、次の瞬間、ミアの表情が弾ける。

「きっと、マーガレット様と婚約することになったんじゃないかしら!」

 ね、とフォレスに問いかけると、フォレスが困ったように口を開く。

「私には分かり兼ねますが……どちらかと言えば、急いているように見受けましたけれど……」


「急いている?」

 レインとミアが顔を見合わせる。

「クエッテ様が、私たちに急いで教えたいこと……? やっぱり、婚約の話じゃないかしら?」

 ミアの言葉に、レインもぎこちなく頷く。

「とりあえず、応接間で話を聞こう。応接間には……キャロライン様たちがいるだろうから、一緒に聞いてもいい話なのかは確認してくれ」

「はい。畏まりました」

 フォレスは頷くと、居間を出ていく。


「お兄さま、クエッテ様は婚約の話をしに来たんじゃないってこと?」

 ミアがレインを見たまま、顔を曇らせる。

「わからない。だけど……婚約の話だけであれば、先に手紙が来てもいい話だ。だが、クエッテ殿が急いて我が家にやって来たのは……他に要件があるのではないかな?」

 眉を寄せたレインに、ミアがハッとする。

「ガストンという人の行方が分かったのかしら?」

「あるいは」

 レインが頷くと、ミアも表情を引き締めた。

 

 * 


 応接間にレインとミアが行くと、応接間にはキャロラインもジョシアも揃っていた。

 そして、ソファの横に立ち尽くしている騎士服姿のクエッテの表情は、喜ばしい話をしに来たようには、とても見えなかった。ミアは小さくため息をつく。嬉しい話を聞きたかった、というのが紛れもない本音だ。

「レイン殿」

 振り向いたクエッテの声は固い。レインの表情が更に曇る。


「クエッテ殿、どうされましたか?」

「時間はないので、手短に」

「ええ」

 ミアも頷く。 

「キャロライン様との婚約の話を聞いて、言っておかなければならないと思ったことがあって」

 キャロラインとの婚約の話をクォーレ公爵家でしたのは、先週の話だった。遅かれ早かれ広がる話だとは思っていたが、思ったよりも広がるのは早かったかもしれない。


「一体何を?」

「サムフォード男爵夫妻の事故は……事故ではないかもしれない」

 え、と声を漏らしたのは、ミアとレインだけではない。その場にいた4人全員が、緊張した表情に変わる。カルロも雰囲気を読んだのだろう。先ほどまで機嫌よく揺れていたしっぽは止まっていた。

「それは、どういうことでしょうか?」

 レインがクエッテに迫る。

「あくまで、噂だ。噂に過ぎない。だが、サムフォード男爵夫妻の事故の処理に当たった人間たちが、あの事故には不自然な点があったと……」


「そんな話は……あの時には一言も」

 ミアが呆然とした表情で呟く。数か月前、ショックを受けるミアとレインに、誰もそんなことを告げてはくれなかった。

 クエッテが首を横にふる。

「あの時は、ちょっとした違和感だけだったらしいんだが……」

「違和感とは、どんな?」

 ジョシアが尋ねる。


「馬車が走った轍の後が……ぶれていて、それはその時は馬車の車輪の軸が先に壊れたんだろうという結論になったんだが……もしかしたら、御者の身に何かあったのかもしれないと言い出したものがいて」

「御者に?」

 レインが眉を寄せる。あの事故で亡くなった御者も、レインもミアも小さなころからよく知っている使用人だった。

「ああ。……あの薬のにおいがした気がすると」

 クエッテの言葉にミアが目を見開く。


「あの薬とは……フィリアス家の新しい薬のことか?」

 キャロラインの言葉に、クエッテが頷く。

「ああ。痛みを感じなくさせる薬だ。……あの薬は、独特の匂いがするんだ。我々も調査をするようになって知った事なのだが……」

 レインが目を閉じる。そして、開いた目は遠くを睨みつけていた。

「グルグガン商会、か」


「はっきりとした証拠はない。だが……辿り着くのは、そこしかない」

 クエッテが頷く。

「戦い甲斐があるな」

 キャロラインの言葉に、クエッテが首を横にふる。

「だから、わざわざ言いに来たんだ。……グルグガン商会はどんな手を取るかわからない。本当に首を突っ込むのは辞めた方が良い」


 レインも頷く。

「確かに、キャロライン様の身を守るためには、その方が良いでしょう。ですが、私はグルグガン商会から手を引くわけにはいきません」

 レインがきっぱりと告げる。

「レイン殿。レイン殿も、グルグガン商会に関わろうとすれば、その身は危ない。勿論、ミア嬢も……」

 心配そうなクエッテに、レインもミアも首を横にふった。その表情には迷いがない。


「もし、両親がグルグガン商会の手にかかったと言うのであれば……グルグガン商会の好きなようにはさせておけない」

「ええ、お兄様。断固、戦いましょう」

「ですから、お二人とも、お辞め下さい! 我が王立騎士団で、必ずグルグガン商会の悪事を暴いてみせますので!」

 クエッテが強い声を出す。


「ですから、レイン殿は勿論、キャロライン嬢も、大人しくしておいてください」

 付け加えられたクエッテの言葉に、誰一人頷こうとはしなかった。いつもであればクエッテに賛同しそうなジョシアですら、ミアとレインの表情を見て口をつぐんだ。

 クエッテは大きくため息をつく。

「……よく、お考え下さい。一番大切なのは、その命です。それと、キャロライン嬢」

 クエッテの視線がキャロラインに向く。

「何だ?」


「魔法の力が強いことを過信されないでください。確かにキャロライン嬢の魔法の力は、他に見ないほど強い。だが、それだけで全てが守り切れるわけではないのですよ? ……くれぐれも、お気を付けください」

「わかっている。私の魔法は万能ではない。それは、自分が良く知っている」

 珍しく頷いたキャロラインに、クエッテはふ、と息を吐く。

「本当は噂など不確かなものを告げるつもりはなかったのです。余計な情報なのかもしれません。ですが、万が一の時、身を守ることを第一に考えていただきたかったのです」


「ああ。それは約束しよう。忠告はありがたいと思う……だが……」

 歯切れの悪いレインの言葉に、クエッテは目を伏せた。

「頭の隅に置いておいてください。それでは、これで。仕事に戻らねばなりませんので」

 クエッテは困ったように微笑むと、踵を返した。

 応接間には、沈黙が落ちる。


「ミア様、大丈夫ですか?」

 ジョシアがレインの後ろに立つミアを支える。ミアの顔色はうっすらと青ざめていた。

「ええ、大丈夫よ」

 頷くミアを、キャロラインが見上げる。

「ミア、今日は休んでおくといい。こちらは、ルルリアーノ嬢と二人で大丈夫だ」

 キャロラインの言葉に、ミアは首を横にふる。

「大丈夫ですわ。……むしろ、何かをしておきたい気分ですわ」


「ミア、無理をしてはいけないよ?」

 レインがミアの表情を伺う。ミアは困ったように微笑んだ。

「お兄様、まだ私達何もやっていないのよ? こんなことでへこたれていたら、何もできないわ」

「だが……」

「よし、気分転換にはなるかもしれん。行くか」

 渋るレインを振り切るように、キャロラインが告げた。

「ミア様。無理はいけません」


 ジョシアがキャロラインの言葉を否定するように、即座に口を開くと、ミアはクスリと笑う。

「男性って心配性なのかしら? 女性は強いと言うわ。あまり心配なさらないで」

 ミアのきっぱりとした口調に、レインもジョシアも諦めたように頷いた。

「では、出かけようか」

 キャロラインが立ち上がると、ミアが大きく頷く。

「ええ。キャロライン様。本日もよろしくお願いします」

 

 *


「ミアは強いな」

 馬車にゆられながら、キャロラインがミアをちらりと見た。

「私が、強い? どうしてですか?」

 そのミアは、先ほどのように青ざめてはいなかったが、表情は固かった。

「もし私の両親がそのような目にあったと分かったら、私であれば、落ち着いてなどいられないだろう。魔法の制御すら危ういかもしれん。誤ってグルグガン商会を壊滅させることはありうるな」


 遠くを見るキャロラインに、ジョシアが肩をすくめる。普通であれば、護衛であるジョシアが一緒に馬車に乗ることはないのだが、仰々しくなるのを嫌がったキャロラインが、魔法をかけておけば外からの攻撃は分かるというキャロラインに渋々従い、馬車に乗り込んでいる。

「キャロライン様。そこはコントロールをしてください」

 ミアは苦笑して首を横にふった。


「グルグガン商会に対する怒りは、勿論ありますわ。でも……怒りの感情だけでは何も生まないと、両親はよく言っておりましたから。目の前のことに冷静に対処するようにと、常々言われていたので、落ち着いているように見えるだけですわ」

 キャロラインが頷く。

「なるほど、私がサムフォード家を訪れた時も、あの時レインもミアも落ち着いているように見えたのは、両親の教えによるものか」


「そうですね……。両親はそんなつもりで言い含めていたわけではないんでしょうけど。それでも、両親の教えがあったから、私は前を向いて歩いて行こうと思えたんだと思うんです」

「そうか。……いい両親だったんだな」

 キャロラインの声は穏やかで、ミアは素直にうなずく。

「ええ。とても。両親の子供で良かったと、思います」


「私も、話してみたかったな」

 キャロラインの言葉に、ミアがクスリと笑う。

「キャロライン様と両親の会話は、どんな風になったんでしょうね」

「キャロライン様の暴挙に苦笑していたのは間違いないでしょうね」

 あっさりと告げたジョシアに、キャロラインがニヤリと笑う。

「ミアとジョシアの婚約も、何と言われただろうな」


「ミア様との婚約は、形ばかりではないですか」

 ジョシアが肩をすくめると、キャロラインはミアをちらりと見る。

「ミアはどう思ってるんだ?」

 キャロラインの言葉に、パチパチとミアが瞬きをする。

「どう、と言われましても……。ジョシアさんには助けてもらって助かっていますけれど……」

 ジョシアを見たミアが、ジョシアと目があうと顔を赤らめ伏せたのを見て、キャロラインが、ふ、と笑った。

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