35.レインの挨拶
豪勢な壁飾りは、アルフォット王国では見慣れぬ品だった。サムフォード家よりも大きい応接間は、シンと静まり返っている。いつもの簡素な服とは違う重厚な服を着こんだレインが頭を下げる。
「初めてお目にかかります。レイン・サムフォードと申します。ご挨拶が遅くなり、大変申し訳ありませんでした」
その顔は緊張によって微かに青ざめていた。
「サムフォード男爵……いや、レイン君と呼んでも?」
目の前に立つ壮年の男性の声に、レインは顔を上げた。
「はい」
目があった男性は、キャロラインの眼差しを思い出させる。その瞳が、愉快そうに和らぐ。
「申し訳ないね。きっとキャロラインが無理を言ったのだろう?」
どうやら状況は理解されているらしいと、レインは少し息を吐いた。
「あの、クォーレ公爵は……キャロライン様の申し出を納得された、と聞いたのですが」
クォーレ公爵が苦笑する。
「納得した、と言うわけではないかな。また、キャロラインが無茶を言っているとは理解したが」
「父上、納得されていたではないですか」
ムッとした表情のキャロラインが、クォーレ公爵を見上げた。今日のキャロラインは淡いスカイブルーのドレスをまとい、正装になったレインと並んで立っている。
その向かいには、クォーレ公爵とレインが公爵家に来てから微笑みを絶やさぬクォーレ公爵夫人が立っている。
「そもそも、ファジー殿下の気持ちを知っていての行動だから、逃げるための方便かと思っていたんだが……今日、レイン君があいさつに来るとなって、驚いたところだったんだよ」
「私もそうだわ」
クォーレ公爵夫人が頷く。
「……そうですか」
困惑した表情のレインが、ちらりとキャロラインを見た。キャロラインは視線をそらしている。
「キャロライン様、私を担いだんですね?」
小さいながら、きっぱりとキャロラインを責めるレインに、クォーレ公爵が少し目を見開く。
「担いだわけではない。事実を告げただけだ。嘘は言ってない」
でもキャロラインはレインとは目を合わせようとしない。
ククク、とクォーレ公爵が笑う。居たたまれない表情で、レインがクォーレ公爵を見た。
「レイン君、まあ座り給え」
クォーレ公爵の声に、レインは頷いて席に着いた。キャロラインもそっぽを向いたまま席に着く。
はぁ、とレインの溜め息が落ちた。
「キャロライン様。いくら隣国に嫁ぐ気がないからと、私の名前を出さなくとも」
「それとこれは別だ」
ムッとした様子のキャロラインがちらりとレインを見た。
「どこが別なのですか? ……ご両親も困っておられるではないですか」
「知らぬ」
キャロラインはまたふい、と顔を背けた。困り切った表情のレインに、クスクスと公爵夫人の笑い声が漏れる。
「本当に仲が良いこと」
レインは目をむいて公爵夫人を見る。
「いえ、そういうわけでは……。申し訳ありません。目の前でこんな話をしてしまいまして……一応、婚約に当たって挨拶を、と思ったのですが……」
周りを固められて、挨拶に行くほかないとクォーレ公爵家に来たレインだったが、実際のところ、まだキャロラインとの婚約すら現実味のない話だと思っていた。何しろ、レインはもう10年も引きこもっていたわけで、突然婚約や結婚の話が出るとは、少なくとも数か月前までは思ってもみなかったことだった。いや、昨日までキャロラインの都合に合わせるための単なる思い付きだとしか思っていなかった。
「あら。キャロライン。レイン様は納得されていないようよ?」
揶揄うような公爵夫人に、キャロラインがギロリとレインを見る。
「何が嫌なのだ?」
「え……何が、と言われると……」
レインはキャロラインとの結婚の何が嫌なのか考えてみようとして、上手く拒否する言葉が出てこなかった。キャロラインがニヤリと笑う。
「何もないのだろう?」
「いえ……キャロライン様には、もっとふさわしい相手がいると思うんですが」
レインが顔を上げて、クォーレ公爵を見た。
「ふさわしい相手? 例えば?」
クォーレ公爵の促しに、レインは口を開く。
「それこそ、ファジー殿下などは、身分的にも釣りあっておりますし……」
レインは口にしながら、頷いた。
「それがどうした?」
キャロラインがこともなげに告げる。
「え。どうしたと……その方が、クォーレ公爵家にとっても利になるのでは? 元々はルイ殿下と婚約していたわけですし……」
レインはクォーレ公爵を真っ直ぐに見たまま訴える。だが、クォーレ公爵は首を横にふった。予想外の反応にレインは目を見開いた。
「どうしてでしょう?」
「そもそも、王弟殿下がキャロラインの魔力の強さを気に入って、あの婚約は成されたのだよ。我が家では、王弟殿下との繋がりを重要視はしていない。ただ、婚約をしたころには、キャロラインとルイ殿下は仲も良かった。だから、望まれるのであれば、丁度良かろうと思ったに過ぎない」
「父上。あれは仲が良かったわけではありません!」
キャロラインがクォーレ公爵の言葉にムッとする。
「あら。仲が良さそうに見えたのだけど?」
公爵夫人の言葉に、キャロラインが首を横にふる。
「私はただ、ルイ殿下が対抗してくるものだから、それに付き合っていただけだ。仲など良かったものか」
大きくため息をついたキャロラインは、肩をすくめた。
「見ている分には、仲が良さそうにしか見えなかったけどね。まあ、レイン君、ルイ殿下との婚約は、そういうわけだよ」
キャロラインと同じように肩をすくめたクォーレ公爵がレインに首を傾げてみせた。
「結婚は、家と家のものでもありますから……一般的には利害を考えての婚約となるのでしょうけど……。ファジー殿下との婚約は、少しも考えておられなかったのですか?」
「それは、ありえないよ」
クォーレ公爵がきっぱりと告げた。
「なぜ、はっきりとおっしゃるのです?」
レインの言葉に、キャロラインが肩をすくめる。
「両親は昔から私を他の国の人間と結び付けたいとは思っていないんだよ」
キャロラインの言葉に、公爵夫妻は頷いた。
「キャロラインの魔法の力は強大だ。我々はアルフォット王国の貴族だ。国の不利益になるかもしれないことを起こしたいわけではないんだよ?」
クォーレ公爵の言葉に、レインが目を見開く。
「それではまるで……、キャロライン様が兵器として使われてしまうと言っているようにも聞こえます」
クォーレ公爵は苦笑する。
「そんなことはあって欲しくないのだがね。キャロラインが誘拐されそうになったうちのいくつかは、我が国の人間ではない者が実際に居たわけだからね。例えファジー殿下がキャロラインを求めていようと、我々は頷くつもりはないよ」
衝撃的な内容に、レインがキャロラインを見る。キャロラインは小さく首を傾げてレインを見た。
「父上たちが良いと言っても、私は行かぬ」
「そう言うことで、今のところ、キャロラインの婚約相手は、他に候補はいないんだよ?」
クォーレ公爵も同じように首を傾げてレインを見た。
「いえ、あの……他にも……いい相手が居るんではないでしょうか?」
レインの言葉に、キャロラインはため息をついて首を振った。
「カルロはレインの狼だ。ならば、レインと結婚しよう」
「あら、キャロラインたら、今までになく積極的ね」
ふふふ、と公爵夫人が微笑む。クォーレ公爵も顔を緩ませている。当のレインだけが、戸惑った表情のままだ。
「キャロラインの力は強大だ。幸い、キャロラインは正義感が強く育った。だから、国の不利益にならないと私たちは考えている。……もし、キャロラインがその力を間違ったように使うのならば、我々はキャロラインを人の目に届かぬところに押し込めておかなければならなかっただろう。……だから、相手が誰とでもいいわけではないんだよ?」
クォーレ公爵の言葉は、レインだから認めたのだと言われたように聞こえた。
「私はなぜ、認められたのでしょう?」
それは、レインの素朴な疑問だった。
「あら。キャロラインが自分から結婚したいだなんて言い出した相手は、後にも先にも、きっとあなただけだと思うわ」
公爵夫人の言葉に、レインは複雑な気分で首を傾げる。
「それは……キャロライン様も言ったように、狼のカルロが我が家に居るからだと思うのですが……」
「十分だろう?」
キャロラインがニヤリと笑う。
レインは助けを求めるようにクォーレ公爵を見た。クォーレ公爵も困ったように笑ったあと、口を開く。
「相手が誰でも良かったわけじゃないんだよ。ただ、キャロラインの力を悪用しない相手と結婚して欲しいと我々は思っているんだ」
クォーレ公爵夫妻の真意を聞いて、レインは納得する。確かにレインはキャロラインの持つ魔法の力を悪用したいとは思わないだろう。そこまで考えて、レインは結婚できない一番の理由を思い出した。
「ですが、我が家には問題が山積みでして……下手をすれば、キャロライン様を危ないことに巻き込んでしまうかもしれません」
クォーレ公爵が片眉を上げた。
「危ないこと、とは?」
「我が家の商売の利権はグルグガン商会に譲ることになってしまったのですが……もしかしたら、グルグガン商会が証拠として持って来た書類は偽装だった可能性があるのです。私は……サムフォード家は、その証拠が偽装であるのであれば、正当な権利を主張したいと考えています。ですが、グルグガン商会がどのような手で邪魔をしてくるのか……わかりませんので」
レインの告げた言葉に、クォーレ公爵がふむ、と頷く。
「なるほど……確かに、堅実な商売をしていたサムフォード家が商会の利権を全て手放すことになった話は、奇妙だと思っていたが……そんな裏があったのか……」
レインも頷く。
「まだ確固たる証拠はありません。ですが、私はもし不当に手放すことになったのであれば……断固として闘いたいと思っています。ですから……」
「私も一緒に戦う。私の力は、それなりに役に立つだろう」
きっぱりと告げるキャロラインに、レインは首を横にふった。
「キャロライン様、話を聞いておられたでしょう? 私はキャロライン様を巻き込むつもりはありません!」
強いレインの言葉に、キャロラインはニヤリと笑う。
「もうすでに巻き込まれているつもりだったんだが」
レインはクォーレ公爵を見る。
「クォーレ公爵。キャロライン様をこれ以上危険かもしれない話に巻き込むわけには行きませんので……」
だが、クォーレ公爵は、キャロラインと同じようにニヤリと笑う。
「グルグガン商会が適正な価格で商売をしないことで、困っている貴族も多いんだよ。私も君の……いや、サムフォード家の力になろう」
レインは目を見開く。
「力になってくださるとの話は……大変ありがたいのですが……でも……」
「公爵家の力を借りるために、私と婚約したらどうだ?」
キャロラインの言葉に、レインが慌ててキャロラインを見る。
「キャロライン様! 何を言っているのです!」
「何、普通の話だろう? 自分だって、言っていたではないか。益がある相手と婚約した方が良いと」
「ですが、クォーレ公爵家に、一体どんな益があると言うのです?」
レインの言葉に、ククク、というクォーレ公爵の笑い声と、クスクスという公爵夫人の笑い声が重なった。
レインが二人を見ると、二人は優しい表情でレインを見ていた。
「我が家にとっては、十分益があるのですよ? キャロラインの暴走もたしなめてくれる相手がいるのなら、我々も安心していられるのですから。ね、あなた」
公爵夫人はそう言って、クォーレ公爵を見る。クォーレ公爵は微笑んだまま頷いた。
「ジョシア殿も、十分たしなめる役目を担っていると思うのですが……」
レインの言葉に、クォーレ公爵が口を開いた。
「ジョシアからも、レイン君であればキャロラインを制御出来ていると聞いているよ」
レインは天井を仰ぐ。煌びやかなシャンデリアが光を反射している。どうやら、レインの断る理由は、他には見付けられそうにもなかった。




