37.ルルリアーノの変化
「ルルリアーノ嬢の髪は、本当に美しいね。朝露に輝いているように見える」
ファジーの言葉に、ルルリアーノが表情を緩ます。ふっと花が舞ったような雰囲気になって、ミアはハッとする。
すぐに引っ込んでしまったルルリアーノの表情は、いつもの通り無表情だが、時折見せる、恥ずかしそうに顔を緩ます表情は、以前と比べて明らかに違っている。
「ありがとうございます」
そして、以前は否定するだけの言葉がルルリアーノの口から出てきていたが、誉め言葉を疑うような様子は見られなくなった。
だが、いつもなら続くファジーの誉め言葉が、今日は続かなかった。
ミアは首を傾げてファジーを見た。キャロラインも視線をファジーに向ける。
止まっていたファジーが、二人の視線を感じたのか、ハッとしてニッコリと笑う。
「ルルリアーノ嬢の笑顔は、花がほころんだ時のような美しさがあるね。つい、見とれてしまったよ」
「ありがとう、ございます」
耳を赤くしてぎこちないルルリアーノに、ファジーがクスリと声を漏らした。
「本当のルルリアーノ嬢の美しさに気付かない人間は、いないと思うよ」
ルルリアーノが恥ずかしそうに目を伏せた。
毎回毎回、ファジーの誉め言葉攻撃を目の当たりにしていたミアだったが、言葉だけでこれだけ人間の表情が変わるのかと、驚いていた。ジョシアの提案も、キャロラインの協力も、ルルリアーノには良い結果を出した。勿論、ファジーの誉め言葉の賜物でもあるのだが。
「ルルリアーノ嬢、自信を持って。……そうだね、クォーレ公爵家で夜会でもあれば、エスコートしたいくらいなんだけど……」
ニッコリ笑うファジーに、ルルリアーノが慌てたように首を横にふる。
「流石にそれは……」
ミアだって目を瞬きしてしまう。内輪で行う催しというのであれば、ファジーがルルリアーノをエスコートしても、そこまで問題はない。だが、公爵家の夜会にエスコートをしてくるとすれば、婚約者、もしくはそれに近しい立場だと公に宣言するようなものだ。
「そうかな?」
肩をすくめたファジーが、キャロラインを見る。
「キャロライン嬢の婚約発表の場になる夜会は、いつ頃になるのかな? 1か月ほど後であれば、滞在を伸ばしてもいいんだが」
キャロラインはため息をついた。
「何をおっしゃっているのです。滞在を伸ばさずに国にお帰りください」
キャロラインはにべもない。
「私が国に居ても居なくても、特に変わりはないのだよ」
微笑むファジーは、どこか影があるようにも見える。
「必要がない人間など、いるのでしょうか」
きっぱりと告げたルルリアーノに、ファジーもミアも目を見開く。キャロラインだけが興味深そうにルルリアーノを見ている。
「……私は、兄上のスペアだからね」
目を伏せるファジーに、ゆるりとルルリアーノが首を振った。
「ファジー殿下は、代わりなどではありません。ファジー殿下も、国を支えている一人ですわ。今はその役割をご自分で見つけ切れていないだけではありませんか?」
「役割など、私に求められているのかな?」
ファジーが力なく微笑む。
「あるはずですわ。でも、ファジー殿下は気付いておられないのです。それに、ファジー殿下も、自分に役割が欲しいと思っていらっしゃるのでしょう? そうでなければ、そんな表情をされるとは思えませんわ」
ファジーがルルリアーノの顔を、まじまじと見る。
「ルルリアーノ嬢は、そうやってしっかりと意見も言えるのだね」
「ファジー殿下。今は私の話はしておりません。ファジー殿下の話をしております」
少しムッとした表情になったルルリアーノが、ハッと表情を変える。
「申し訳ございません。言葉が……過ぎました」
うつむくルルリアーノに、ファジーがクスクスと笑う。
「気にしていないよ。だから、その美しい顔を私に見せてくれないかな?」
おずおずと顔を上げたルルリアーノに、ファジーがいつになく柔らかい表情で微笑む。
ルルリアーノはファジーの表情を伺うように見る。
「さっきまでの威勢はどうしたのかな?」
揶揄うようなファジーに、ルルリアーノが耳を赤くする。
「ですから、言葉が過ぎたと……私にファジー殿下の苦悩が全てわかるわけでもありませんのに」
「いや。ルルリアーノ嬢の言葉は、胸に刺さったよ。私も、いじけているわけにはいかないね」
ファジーの言葉に、ルルリアーノがホッと息をつく。
ファジーがキャロラインに顔を向ける。
「キャロライン嬢、少し早いが、私は国に戻るとするよ。だが、婚約の際の夜会には、是非呼んでくれ」
「招待するのは構いませんが……面白い見世物ではありませんから」
キャロラインは表情を変えることなく頷く。ミアがルルリアーノに視線を向けると、ルルリアーノは目を伏せた。ミアはルルリアーノを気づかわし気に見る。
「ルルリアーノ嬢、もしよければ、なんだが」
ファジーの声に、ルルリアーノがパッと顔を上げる。
「何でしょうか?」
「手紙を書いても構わないかな?」
目を見開いたルルリアーノの表情が、次第に柔らかいものに変わる。それはまるで、花が咲いたように思えた。ミアは驚きの表情になるが、ファジーは嬉しそうにほほ笑んだ。
キャロラインは、ルルリアーノとファジーの二人を見比べた後、興味なさげにカップを手に取った。
ルルリアーノが頷く。
「勿論です」
「ルルリアーノ嬢との文通を楽しみにしているよ」
ニッコリ笑うファジーに、ルルリアーノの顔が真っ赤になる。
我に返ったミアは、キャロラインに視線を向けた。ちらりとミアを見たキャロラインは肩をすくめる。ミアはファジーとルルリアーノを見比べる。ルルリアーノは間違いなく嬉しそうな表情をしている。そして、ファジーも。
唖然としているミアに、ファジーが視線を向けると、首を傾げる。
ミアはパチパチと瞬きすることくらいしかできなかった。
*
「キャロライン様は、今日のようになることを望んでいたのですか?」
馬車に乗り込むと、ミアはキャロラインに問いかけた。
ルルリアーノとファジーという組み合わせは、ミアの中では全く存在しないものだったが、今日の流れを見ると、ありうることだった。
キャロラインは首を振った。
「いや。特にそんなことを思ったわけではない。まあ、可能性としてはありうるかもしれないと思ったが。ルルリアーノ嬢も侯爵令嬢だからな。別に王家と結婚するには問題はない身分だろう?」
「確かに……そうですが……」
ミアは頷いたが、何か言いたげにキャロラインを見ている。
「何だ? 言いたいことがあるなら、言えばいいだろう?」
「ファジー殿下は、キャロライン様を望まれているのではなかったのですか?」
ミアの言葉に、キャロラインが鼻で笑う。
「ファジー殿下が望んでいたのは、自分の存在意義を認められる相手との結婚だ。私など、その筆頭だろう?」
「筆頭……ですか?」
首を傾げるミアに、キャロラインが窓の外を見る。
「ああ。強大な魔力を持ち、強い魔法が使える。それだけで、ファジー殿下の価値が上がると、殿下は考えていたんだろうね。そんな風に使われることなど、まっぴらごめんだが」
「……そう、なのでしょうか?」
言葉につまるミアをキャロラインが見る。
「私がルイと婚約したのも、王弟殿下が私の力に意味を見出したからだ。他に意味はないよ」
「それは……うがち過ぎでは?」
ジョシアの言葉に、キャロラインがギロリとねめつける。
「私の婚約破棄は、ルイや王弟殿下があまりにも私を制御できないせいで、私を飼うことを諦めたからだ」
「キャロライン様、それは……言い過ぎておられるのではないでしょうか? ……それに、キャロライン様は、飼えるようなお方ではありませんよ?」
ミアが困ったように首を傾げると、キャロラインはクククと笑い出す。
「飼えないだろうが、飼おうとする人間も居るんだよ。すっかり反抗したおかげで、無事に婚約破棄がされたがな」
キャロラインの言葉に、ミアが目を見開く。
「キャロライン様が、そうなるように仕向けたのですか?!」
「いいえ、ミア様。結果論なだけですよ」
ため息をついたジョシアを、キャロラインがまたギロリと見る。
「そうなればいいと思っていたんだ。結果オーライだ」
「全く。それで、無茶をされる方の身にもなって下さい」
ジョシアが首をゆっくりとふった。
「無茶はしていない」
キャロラインはふい、と顔を逸らす。
「私を自分の価値を高めるために使おうとする方が、よほど無茶だ。私は私だ。個人の益の為にも、誰かを害する為にも動きたくはない」
真剣な顔でポツリと呟くキャロラインに、ミアがクスリと笑う。
半目になったキャロラインが、ミアを見る。
「何だ?」
ミアは微笑んだまま首を横にふった。
「いえ。キャロライン様は、正義感がお強いんですね。でも、キャロライン様がルイ殿下やファジー殿下に望まれたのは、魔法の力の強さだけではないのでは? その個人の益のためには動かない姿勢や、その美しさも関係していると思いますよ?」
キャロラインの顔が赤くなる。その反応に、ジョシアが目を丸くする。
「わ、私の美しさなど……どこにでもあるものだ……。それに、私の価値は、どちらの王家にも魔法を使える人間がいないから高かったんだ」
照れるキャロラインに、ふふとミアは笑う。
「キャロライン様は、ご自分のことに頓着しなさすぎなのですわ。今更ですが、本当にお兄様と婚約してよろしいのですか?」
ミアの問いかけに、キャロラインがムッとした表情になる。
「ミアは、嫌なのか?」
慌ててミアが首を横にふる。
「いえ。キャロライン様がお姉様になって下さるというお話は嬉しいのです。ですが……あまりにも思い付きで動いているように見えて……」
「ご覧ください、キャロライン様。キャロライン様の行動は、他の人たちには、思い付きのようにしか見えないのです」
ため息をつくジョシアに、キャロラインが肩をすくめる。
「思い付きで何が悪い。だが、後悔はないぞ」
目を見開くミアとジョシアに、ニヤリとキャロラインが笑う。
「ところでミア」
笑いを引っ込めたキャロラインが、ミアを見る。ミアは急に真面目な顔になったキャロラインに戸惑う。
「はい、何でしょうか。キャロライン様?」
「今日サムフォード家に来客の予定はあったか?」
唐突な質問に、ミアは一瞬止まった後、ゆっくりと首を横にふった。
「いえ。何も約束はなかったはずですわ」
「そうか……じゃあ、あの気配は……どっちだろうな」
「あの気配?」
ミアが首を傾げると、キャロラインは頷いた。
「さっき、魔法の壁が揺らいだんだ」
ミアがハッとなる。
「風の魔法を、サムフォード家の屋敷に掛けておいたんですね?」
「ああ。侵入してくるものがあれば、すぐにわかる。勿論、侵入者なのか、家を普通に訪問してきた人間なのかはわからないんだが」
「え、それって……お兄様大丈夫かしら?」
ミアが焦る。キャロラインはコクリと頷く。
「一応、風の魔法で脅かしてはおいた。悪意がある人間ならば、怖気づいて逃げているだろう」
パチパチとミアが瞬きをする。
「キャロライン様。お言葉ですが……もし普通の訪問者だったら……どうするのです?」
ジョシアが苦々しい表情で告げる。だが、キャロラインはニヤリと笑う。
「大丈夫だ。少し離れたところに小さな竜巻を起こしただけだ。訪問者ならば既に家に入っているだろう」
ミアが困ったように首を横にふった。
「お怪我した方が居なければいいんですが」
「大丈夫だ。その竜巻には誰も触れてはいない。……とりあえず、サムフォード家に行ってから、確認するしかないだろうな」
キャロラインの言葉で、馬車の空気は重くなった。




