そんなことまで知っているのか?
帽子のつばに手をかけて、帽子をとる。籠っていた湿気が抜ける代わりに、日差しが俺の頭をじりじりと焼いて行く。帽子を手にしたまま、腕で額の汗を拭う。帽子を頭にかぶりなおすと、グローブの中のボールを握りしめた。
キャッチャーミットに視線を向けて、体のばねを使って、一気にボールを投げる。
ど真ん中目指して、一直線にボールが向かって行く。
バッターボックスの仲間のバットが回った。
短く、甲高い打撃音を残して、ボールが高く飛んで行く。
打球は軽く目で追う程度にして、キャッチャーの横に立っている後輩が投げてくる新しいボールを受け取ると、再びキャッチャーミット目がけて投げ込む。
打撃練習のための投球を終えると、俺は再び帽子をとって、頭の髪の中に右手を潜り込ませ、わさわさと手を動かした。外気も暑いが、熱のこもった髪の中はもっと熱かったのか、熱が下がって行くのを感じた。俺は腕で額の汗を拭うと、辺りを見渡した。
グラウンドを取り囲むフェンスの一角。若原さんが立って、こっちをみているじゃないか。俺が振り返ったのに気付いたのか、小さく手を振っている。俺も手を振って応えた。
何で、ここにいるんだ?
俺に一目ぼれなんて、妄想を抱くほど俺もばかじゃねぇ。
それに、まかり間違って、そんな気持ちを抱いてくれていたとしてもだ。俺には優奈がいる。優奈にばれずに一回だけなら、過ちを犯したい気がしない訳ではないが、誰か一人を選ぶとなったら、優奈しかいない。それだけは確実だ。
それほど広くはない部室の中は男の汗のにおいに満たされていて、大きくはない窓にはすりガラスが使われていて、外は見えない。そんな窓からは外の光が緩やかにその部屋の中を照らし出している。
「ああ。疲れた」
「俺って、才能ないのかな」
「ばか。自分で、諦めてどうする。
諦めたら、夢は終わりだろうが」
仲間たちがそんな会話をしながら、汗と泥にまみれたユニフォームを脱ぎ、制服に着替えている。そんな中、俺も制服に手を通し、ボタンを止めると、鞄を手にしてドアに向かい始めた。
いつも一緒に帰っている同級生達が自分の鞄を持って、俺の後を追ってきた。
俺が部室のドアを開けると、少し赤みを帯びた日差しが部室の中に、俺の長い影を作った。俺は同級生たちと一緒に校門を目指して歩き始めた。部室から階段を上って、校門につながる道を目指す。階段の上に視線を向けると、鞄を後ろ手に持った若原さんが立っていた。
俺も驚いたが、俺と一緒にいた同級生たちにもざわめきが起きた。
「誰、すっげーきれいな女子じゃんか」
「お前はクラスが違うから、知らんだろうけど、今日、転校してきた転校生さ。きっと、高橋を待っていたんだよ」
「まじかよ!
何で、そうなるんだよ」
俺の背後の声だって聞こえていたはずだが、そんな事は全く意に介さず、にこりとしながら、俺に言った。
「高橋君。
一緒に帰りませんか?」
「おぉー」
俺の背後が一層騒がしくなった。どいつだか知らんが、俺の背中を押す奴まで現れた。俺は押された勢いで階段のてっぺんまで、一気に上り詰めた。
「じゃあ、失礼します」
若原さんが俺の後ろにいた同級生たちにそう言うと、俺の横に並んで歩き始めた。
とりあえず黙って歩く俺。そんな俺の横を若原さんも黙って歩いている。ちょっと沈黙が俺を焦らせた。
「この学校はどう?」
「そうねぇ。楽しそうなんじゃないかな」
そう言って、数歩前に出て、くるりと反転して、俺を見つめた。
「何でも聞いてくれたらいいよ」
「うん。ありがとう」
若原さんは俺の方を向いたまま、後ろ向きに歩いている。
俺のポケットでスマホが震えた。
優奈だろう。
俺はそう思いながら、スマホを取り出す。やはり優奈からのメールである。
「なにやってるのよ!」
ご丁寧に、またも若原さんが俺と並んで歩いている画像が添付されているじゃねぇか。撮ったのは後ろを歩いている奴らだ。俺が立ち止まって、振り向く。俺と視線を合わせまいと、俺から少し離れた後ろを歩いていた同級生たちは、顔を横に向けて知らんぷりをしている。
「お前らなぁ」
「どうしたの?」
若原さんが俺の横にまでやって来て、俺の手にあるスマホを覗き込んだ。
「岡本優奈さん?」
若原さんが、送信者の優奈の名前を見つけたらしい。別に隠す間柄でもない訳だが、ちょっとしまった気分だ。
「あ、ああ。俺の家の近くに住んでるんだ」
隣の家とは言えなかった。俺はそそくさと歩き始めながら、そう言った。
「知ってるよ。この子。
あの力を持った人に襲われたんだよね?」
若原さんが俺の横に並んで、歩きながら言った。
「えっ?」
俺は驚きの声を上げ、若原さんに顔を向けた。傾いた太陽の日差しが、若原さんの顔立ちをくっきりと映し出している。その瞳は正面を見つめたままで、表情も引き締まったままだ。
どこで仕入れたんだ?しかし、今日転校してきたばかりの転校生が知っているくらいなんだから、この話は広がっているに違いない。
「でも、どうして助かったの?」
若原さんがちょっと不思議そうな表情で、俺を見つめて言った。首のかしげ具合、大きな瞳が少しだけ横を向いた感じ。かわいいじゃねぇか。
「俺が襲ってきた奴らを倒したんだ」
ついつい格好つけたくて、俺は言ってしまった。俺のその言葉に、若原さんの瞳がさらに大きく広がり、驚きの表情になった。そして、その直後に俺を見つめ、尊敬のまなざしになった。胸の少し上あたりで、両手を組んで俺に言った。
「すっごぉい!
怖くなかったんですか?
どうやって倒したんですか?」
「そりゃあ、怖くなかった訳じゃないけど、クラスメートの危機をほっておけないだろ?」
異能者だったなんて、知らなかったとは言える訳ない。それに、知っていて立ち向かったと言う方が格好いいじゃないか。
「でも、あの力はどうしたんですか?」
「あっ、ああ。あれね」
効かなかったなんて言うのもつまらないが、じゃあどうしたのかと言う説明ができやしない。俺は次の出す言葉を考えていた。
「あの力、使えなかったって、本当なんですかぁ?」
「えっ?」
俺は目を見開いて、立ち止まってしまった。俺が立ち止まった事に気付いた若原さんが、数歩先のところで立ち止まって、俺に振り返った。
そんな事まで知っているのか。それって、有名な話なのか?
ネットか?ネットだな。どこかで、ネットにリークしていたんだろう。
「よく知ってるじゃんか」
「本当だったんですね」
若原さんはそう言うと、にこりとして俺のところにやって来て、俺の右腕に自分の左腕を通した。若原さんの左胸のふくらみが俺の腕に当たってるじゃねぇか。
「どうしてなんですか?」
そんな事言われたって、俺も知りやしない。いや、その理由を考えようとする心の余裕も、今の俺には無い。俺の全神経は右腕に集中している。歩くたびに微妙に離れてはくっつく、その若原さんの柔らかなふくらみ。
「さ、さ、さあね」
神経が右腕に集中してしまっている俺の口からは、少しろれつの回らない言葉だけが出た。
「知らないんですかぁ?」
「あ、ああ」
そう言っている間に、正門のすぐそこまで来ていた。開け放された正門から見える道路側。一台の車が停車した。ぴかぴかと光っている塗装。外国の高級車。そんな感じだ。
「お迎え、来ちゃった」
若原さんが言った。この子はお嬢様なのか?
俺がちょっと呆けていると、若原さんは肩のあたりで右手を小さく振って言った。
「じゃあ、また明日ね」
「お、おう」
若原さんがその車に近づいて行くと、運転席から降りてきたスーツ姿の男の人が、後部座席のドアを開いて、若原さんに一礼した。
まじで、お嬢様なんじゃね?
俺は立ち止まったまま、若原さんを見送った。そんな俺の所に一緒に部室を出た同級生たちが駆け寄ってきた。
「すっげーな。
若原さんって、お嬢様じゃん」
「お前、うまくやったな」
皆が俺を冷かし気味に言った。
「は、は、はは。
そんな訳ねぇだろ」
そう言う俺の言葉は少しどもり気味だった。




