第三十六話 眠り、沈み、黙する者
あの後シトリーヌとは少し話し、彼女は一人でまた旅をするそうだ。
元々一人で旅をしていたが、ふと思い立って〈エンキュトス〉に帰って来ただけだったらしい。
どうも南の帝国、グラディウス帝国に向かう事にしたようだ。
シグとミレイナが向かっているらしいが、一体どうなる事やら……。
ちなみに名前を偽っていた事がバレ、少しキレられた。
とりあえず、そんなわけで今は宿にある個室温泉でレアと寛いでいる。
「あー……。マジで疲れたな。あの日から休みが全然無かった気がする」
「でも、ルクスは凄く強くなった。私の一番の騎士」
「俺しかいないけどな? まあ、死ぬまで守るさ。お姫様」
度々忘れそうになるが、レアは高位森精の貴族の娘だ。
家臣は多くいただろうな。
「……私は、守られるのが嫌いだった。でも、ルクスには守ってもらいたいし、私もルクスを守りたい」
「はは、レアには助けられてばっかだからな。俺も、背中を預けられるのはお前だけだ。……死んでも一緒にいてくれよ?」
そう言うと、レアが急にお湯に顔を沈めた。
「ちょっ、おい、何やってんだ。こんなところで死のうとするな、バカ」
「……けほっ、けほっ。わ、私も……ずっと、一緒に、いたい」
そっぽを向いてそういうレアが、酷く可愛らしく見える。
普段は自分から言うくせに何を言っているんだと思うものの、自分が悪いのか? とルクスは少し思考に耽っていた。
そのまま数日程ゆっくり過ごし、物資を整えて北へ向かう事にした。
北には〈ノルディア〉という広大な農地を持っている街がある。
その過程にある【廃都眠湖】という湖に《怠惰》がいるはずだ。
〈ノルディア〉までの馬車は出ているが、〈エンキュトス〉からどこも中継せずに一本で行くため途中で降りる事が出来ない。
仕方ないので歩きで行く事にした。
「ルクス、歩きたくない」
「何甘えてんだ。……しょうがねえな」
レアが未だ歩いて二十分程だというのに歩きを拒絶しやがった。
なんだかんだ言う事を聞いてしまう俺も問題ではあると思うのだが……。
最近レアを抱えて移動する事が多い気がする。
気のせいじゃないと思うが。
数十分歩いていくと何やらでかい湖が見えてきた。
これが【廃都眠湖】か。
かつて都市が存在したが、地盤沈下に加え洪水が起きたせいで湖と化した廃都。
目的地に着いたのでレアを降ろす。
「……水の精霊がいる」
「長らく不可侵の地となっていたからな。自然にとっては人の手が入らない絶好の場所だろう」
さて、ここに《怠惰》がいるはずだ。
既に《大罪》の魔力を感じ取っている。
といっても、どこにいるのかは分からないが。
とりあえず辺りをうろうろと見て回ってみる。
水底に眠る都市は虚ろな雰囲気を纏って、ただ静かに沈黙していた。
ぼんやりと、煉瓦作りの家がゆらゆらと揺れる水面越しに見える。
昔に存在したその都市を眺めていると、不意に少し遠くでゴボゴボと泡が浮かんできているのが見えた。
「おい、レア。あれ、もしかして……」
「……多分、《怠惰》」
レアも分かっていた。
段々と浮かんで来たのは一人の青年。
しとりと濡れた碧い髪にぼんやりとした虚ろな瞳。
全身から冷気のような魔力が漂っている雰囲気はまるで、水底に沈む都市のようだった。
「動いてる、けど、生気を感じない」
奇妙な様相の青年にレアが警戒し、魔力を練っている。
青年は俯きながら水の上を歩き、構わずこちらへ向かって来た。
そしてそのまま陸に上がり、掌に黒く揺らぐ渦巻いた魔力を呼び出した。
「くっ……、重いな……」
空間が身体に圧力をかけ、地面へと吸い込まれていく。
そして青年――《怠惰》の継承者がゆっくりと顔を上げ、こちらを見た。
表情には感情を感じられず、瞳には奥へと吸い込まれそうな闇がある。
「……うるさい。静かに、してくれ」
夢現とでもいうような、気だるげな声。
次の瞬間、足元が波打ち、複数の黒い影が這い出して襲い掛かって来た。
「《静影惰倦縛鎖》」
これに捕まったら負けが確定する予感がした。
《怒気解放》を発動させてレアを抱えて飛び退いた。
一瞬掠っただけでも、身体にどことない倦怠感が発生して苛立ちを覚える。
これが《怠惰》の能力か……。
空間を重くしているわけでも、毒を使用しているわけでもない。
ただただそこにあるのは、感情を削いでいく無力感だ。
「……なあ、どうしたんだ。お前は、人に恨みでもあるのか」
とりあえずは問いを投げかけてみる。
青年は少し困惑したようにまた俯き、呟いた。
「ぼくはもう、戦いたくない。傷つけたくも、傷付けられたくもない。……だから、眠っているだけで良いんだ」
その言葉はルクスに違和感を覚えさせた。
戦闘を拒むような者がこれ程の力を得るはずがないと。
青年の感情を出させる事が出来ないかと、挑発してみる。
「それは、お前の責任から逃げてるだけじゃねえのか?」
その声に、青年がぴくりと動いた。
しかし怒りも、哀しみも、何も感情を感じない。
そこにあったのは色無き否定の波。
「ぼくの苦しみは、君には分からないさ」
絶えず黒い触手で牽制してくる。
しかし、敵意は感じない。
それでも攻撃の手は止まらない。
《怒剣ラグナ・レイジ》を顕現させて触手を断ち切る。
そのままゆっくりと青年へと近づいていく。
ルクスの顔には怒りは無い。
ただ、同情に似た慈しみを持って青年の元へと歩いていく。
「……確かに、俺にはお前の苦しみは分かってやれない」
「それなら、早くぼくの前からいなくなってくれ」
「そいつは無理な相談だな。……俺も苦しい思いをした。信頼していた仲間に裏切られ、捨てられ、死の淵を垣間見た」
「それと、ぼくに何の関係があるんだ?」
「まあ待てよ。……俺には分かる。どんな形であれ、痛みも、何かに裏切られた気持ちも、その結果の絶望も。全てが、何もかもが嫌になる。そんなお前の気持ちは、少しだけ理解してやれる」
ルクスが青年のすぐ目の前まで辿り着いた。
青年は逃げる事はせず、いつの間にか攻撃の手を止めてルクスの話を聞く体勢に入っていた。
「だからな、俺は止まれねえんだ。怒りが、この燃え盛る復讐心が、俺を突き動かして、どんな時も前に進ませてくれる」
ルクスは怒剣を左手に持ち替え、右手を差し出した。
「立てよ。お前の過去に何があったかは知らないが、それでも、生きているなら歩く事を選ばなきゃならねえんだろ!」
ルクスの声が青年の心を動かした。
身体がぐらりと傾き、咳き込む。
――そして。
「……本当に、君って人は……めんどくさいな」
微かな笑みを浮かべながら青年は立ち上がった。
その顔には、どこか懐かしみを覚えているような気がした。
「確かに、怒りってやつは人を突き動かす」
黒い魔力が霧散し、重苦しい空間が晴れていく。
青年の顔も先程までの無表情とは違い、どこか晴れやかだった。
「眠ってばかりも、悪くないけどさ。たまには、こうやって目を覚ますのも良いかもね」
そう言ってルクスの手を取った。
そして微笑んで告げる。
「眠気覚ましに、ちょっと付き合ってよ」
「はは、望むところだ」
距離を取り直して再び戦闘が始まる。
今度は互いを分かりあうための、全力の試合だ。




