第三十四章 暗殺者たち②
【前回までのあらすじ】
乙女ゲームに似た異世界のサンクロニアに転生した川野星流。皇女アンジェとして目覚めたが、破滅ルートから逃れられず、さらわれた山賊一味から助けられたものの、悪役王子のフェルゼンのいるラント国の王宮へとつれていかれる。滞在して二週間。フェルゼンの求愛と黒狼ルゥの執着に戸惑う日々を送っていたが、彼女のチートスキルのピアニストの手による演奏で、周囲の冷ややかな視線は段々と好意的になっていく。一方、アンジェ(川野)の養父であり、アンジェの生存を望まないダンテス・クレイモン伯爵は、彼女の居所を突き止めていた……
----ラント国 アンジェがラント国へやって来て20日目----
ラント国の城下では、明日から続く一週間にわたる収穫祭を祝うため、各家々には色とりどりの花が飾られ始めた。
王宮でも、いつにも増して、あちらこちらに花が飾られている。
アンジェ(川野)は以前、ピアノ演奏をして以来、週に一度はフェルゼンに連れられて、亡き妹姫の部屋でピアノ演奏をすることになったが、それ以外は自室で過ごすか、黒狼ルゥを連れ出して王宮内を散歩する程度の外出しか許されなかった。
話し相手となる友人も、スマートフォンもパソコン、テレビや漫画も何もない世界。
年配の侍女から教えてもらった刺繍をするか、読書といった退屈な空気の中に閉じ込められているせいか、アンジェ(川野)の顔色は、どこか優れないままだった。
収穫祭から二日目の朝、執務を終えたフェルゼンがアンジェの部屋を訪れた。
「アンジェ、顔色が良くないな。ずっと部屋に籠もっていては気が滅入るだろう。今、なにか欲しいものはあるかい?」
「……フェルゼン様。ご心配をおかけしまして申し訳ありません……今は……」
そう言って口ごもった。
(スマホが欲しいとは言えないし……言ったところでわからないだろうし、もしもスマホがあったとしても、サンクロニアまで電波が届くはずもない……)
作り笑いに見えるアンジェ(川野)の表情に、ラント国第二王子フェルゼンは、
「じゃあ、二人だけで、収穫祭に出向くとするか」
と、ウィンクをしてみせた。
「えっ? 二人だけで……ですか?」
「嫌かい? 」
「そんな……出来れば行ってみたいです」
「じゃあ、今晩、お忍びで出かけよう。 変装をしていけば、誰にも気づかれずに楽しめるからね」
アンジェ(川野)の顔にパッと明るい色が差す。
「この国の収穫祭はどんな感じなんですか?」
「山の恵み、海の恵み、畑で取れた野菜が一年で豊富にあるこの時期に、聖女の加護に感謝をこめて祝うのが収穫祭だよ。イノシシや鹿の肉を細かくして、ハーブやスパイスに漬け込んで串刺しにして焼いた、串肉はラントの家庭料理で、あちこちの屋台で、オリジナル串刺しが楽しめるほどだ」
(それって、焼き鳥じゃなく、焼きハンバーグよね? おいしそう……)
アンジェの瞳に、微かな輝きが灯った。
サンクロニアの世界に転生して以来、ハンバーグ料理は一度も食べたことがない。
そもそもダンテス・クレイモン伯爵の領内にある村より先に出たことがなかったから、ヴァレー国で取れる野菜や肉を使う煮込み料理程度しか知らなかった。
「屋台だけじゃない。旅芸人の一座もやってきて、収穫祭は一日中音楽も溢れている。俺は、君に少しでも笑顔を取り戻してほしいんだ」
彼女はコクリと頷いた。
フェルゼンの真摯な眼差しにアンジェ(川野)の胸は、きゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。
その一部始終のやり取りをテラスの隅に寝そべっていた黒狼ギルバートは、会話のすべて一語残らず聴き取っていた。
(収穫祭か……アンジェを連れ出せるチャンスかもしれない。散歩のときに逃げて、フェルゼンの目を盗み、アンジェを攫う手もあるか……)
フェルゼンがアンジェの額に軽くキスをした。
黒狼ギルバートは鼻を鳴らし、不機嫌そうに尻尾を床に叩きつけた。
フェルゼンへの忌々しさは募るばかりだった。
その日の午後、アンジェ(川野)はふと、黒狼ルゥを王宮に置いていくべきか迷った。
けれど以前、フェルゼンと二人で出かけた翌朝、置いていかれたことへの仕返しなのか、ルゥに顔を舐め回された挙句、口の中にまで舌を入れられたことを思い出し、身震いした。
(……今回は連れていこう。置いていったら、また何をされるかわからないもの)
そうして黒狼ルゥも、二人のお忍びの外出に同行することになった。
夕闇が降りようとする頃、アンジェ(川野)は侍女の服を着て銀髪を隠すようにフードを被り、簡素な街人の服装に着替えたフェルゼンと共に城を抜け出し、城下へと向かった。
「すごい。こんなにたくさんの人が笑っているのを、初めて見ました」
街の広場に足を踏み入れたアンジェ(川野)は、驚きに目を見開いた。
立ち並ぶ屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いや、甘い果実の香りが漂ってくる。
「はぐれないように。私の手を離さないでくれ」
フェルゼンは自然な動作で彼女の小さな手を握った。
アンジェ(川野)の顔が、祭りの火に照らされて赤く染まる。
二人の数歩後ろには、大型犬のふりをして、ふてくされ気味に付き従う黒狼の姿があった。
(……ちっ、手なんか繋ぐんじゃない。弟フェルゼンよ、おまえのにやけた顔をアンジェに近づけるな)
黒狼ギルバートは周囲の喧騒に神経を尖らせながら、自分の周囲に漂う暗殺者特有の殺意の匂いを早くから嗅ぎ取っていた。
彼はアンジェ(川野)に向けられる視線一つ一つを吟味していく。
広場の中央で旅芸人の楽団が演奏を始めると、人々は手を取り合って踊り出した。
「アンジェ、俺たちも少し踊ろうか?」
「えっ、でも私、踊りなんて……」
「大丈夫だ。俺がリードする」
フェルゼンが優しくアンジェの腰に手を回したその時――。
ギルバートの鼻が、風に混じった微かな「違和感」を捉えた。
楽しげな祭りの香りの裏側に隠れた、えぐい赤錆のような苦い殺意。
(……どこだ。一人か、いや二人か)
黄金の瞳が闇を貫くように鋭く光る。黒狼ギルバートはフェルゼンとアンジェの死角へと素早く移動し、牙を剥いた。
広場の中央では、熱狂的なリズムに乗せて踊り子たちが舞い踊る。
その中の一人、極彩色の衣装を纏った女が、ひときわ軽やかな足取りでフェルゼンとアンジェの行く手に回り込んだ。
踊り子の女は恍惚とした表情で踊りながら、すれ違いざまに袖口から一本の細い針を滑らせた。
それは、触れるだけで象をも倒す猛毒が塗られた暗殺の針。
標的はフェルゼンの隣で目を輝かせている無防備な少女、アンジェだ。
女の手がアンジェの項を狙い、閃光のような速さで突き出された――その瞬間。
「グワァっ!」
背後から飛び出した巨大な黒い影が、女の肩に牙を立てて地面に叩き伏せた。
あまりの衝撃に、女の手から毒針が弾け飛ぶ。
不運にもその針は、転倒した女自身の腕に深く突き刺さった。
「あっ……!?」
フェルゼンが驚愕に目を見開く。
女は悲鳴を上げる間もなく、全身を痙攣させ、瞬く間にこと切れた。
自らが用意した針によって。
倒れ込んだ女の口から白い泡が吹きでる。
周囲にいた客が悲鳴を上げ、祭りの音楽が乱れた。
その混乱の中で、商人風の男が煙草に火をつけるフリをして、毒針を放った。
黒狼ギルバートが毒の匂いに気づいた瞬間、針はアンジェ(川野)の腕に突き刺さり、彼女は崩れ落ちるように、フェルゼンに向かって倒れ込んだ。
「アンジェ、どうした、アンジェ……」
【あとがき】次回は10/1に投稿させて頂きますので、よろしくお願いいたしますm(*_ _)m




