推しが来た!
桂との初デートから約一週間……暦は二〇一八年へと変わり、僕はこのアパートで久し振りに「独りではない正月」を迎えた。
思えば一年前……まだ元カノ・渋谷さんの死を受け入れられない僕は、年中行事の度に彼女を思い出していた。なのでその思い出が「彼女の居ない行事」に上書きされたくない僕は年中行事というものを一切せず、やっても簡略的な形で済ませていた。要するに正月は特に何もせず、バイトに精を出す……という普段通りの生活を送っていたのだ。
だが今年は違う。僕は昨年出会った「鮎川桂」という女性と付き合い始め、成り行きで同棲まで始めてしまった。出会いはマッチングアプリでセフレという、世間一般の倫理感では受け入れ難い状況かも知れない。だが彼女とは傷ついた過去を共有する様になり、お互い前を向いて歩こう……という気持ちが一致し、恋人として付き合い始めるようになった。ただ、彼女・鮎川桂の正体……いや、世間的には桂の方が正体なのだが彼女は……
国民的アイドルグループ・カントリバースのメンバー、びーなすこと「相模絵美菜」だったのだ!
アイドルと交際、更に同棲……当然周囲に公表など出来る訳が無い。僕は絶対に口外出来ない「秘密」を抱えて生活しているのだ。羨ましいと思われるかも知れないが、世間にバレないようにする毎日……正直ストレスは感じている。
ところが! そんな僕に今年は新年早々「幸運」が舞い込んできた。新年と言えば「一富士二鷹……」でお馴染みの初夢があるが、今はその初夢でも見ているかの状態だ……とても嬉しく、且つ緊張している。何故なら……
「明けましておめでとうございまーす」
カントリバースのメンバー、ぐりんちゃんこと渡良瀬碧が僕のアパートにやって来たのだ!!
※※※※※※※
鮎川桂……もとい、相模絵美菜と出会う前から僕はカンリバ(カントリバースの略称)のファンだ。所謂「箱推し」でもあるが、その中でも特に「ぐりん推し」である……もちろん現在でもそれは変わらない。
ぐりんちゃんはメンバーの中で「ツンデレ担当」だが、いつもキャラがブレている。特に「ツン」の部分が余りにも下手くそで、思う様に冷たい態度を取る事が出来ない。この生真面目過ぎる内面の良さが彼女を推したい理由だ。正直言ってツンなら桂の方が得意だろう。
相模絵美菜と知り合ったのは本当に偶然。僕は今でも「鮎川桂」として付き合っているが、あくまでも推しは「ぐりんちゃん」である。桂本人から直接聞いた訳では無いが、恐らく僕が桂の事を「アイドルの相模絵美菜」という目で見ていたら彼女も僕とこうして付き合ってくれなかったのではないか……と思う。推しは偶像であって恋人ではない。
「こうやって正月に会うの久しぶりね」
カンリバのメンバーは現在七人、その中でもこの二人は特に仲が良い。結成当初はお互い距離を置いていたらしいが、今ではこうやってプライベートで会う位親交がある。ファンの間では有名なエピソードだ。
「まぁね、いつもは紅白終わったら『はぃ解散ー!』でそのまま全員消息不明になるもんね! みんな疲れてるのがわかってるから誰も連絡取ろうとしないし」
彼女たちカンリバは紅白歌合戦に出る事が当たり前になっていた。昨年は三年連続……と思われていたがどういう訳か落選、そんな折に前事務所のゴタゴタが発生したのだ。
「そうね……紅白は残念だったけど、こうやってビナ(相模絵美菜)とゆっくり過ごせて良かったわ! おまけに彼氏さんの顔を拝む事が出来たし」
うわっ! さっきまでメンバー同士の会話だったのが、いきなり僕の話題に振られた。まさか推しが僕の事を認識してくれているとは……冷静に考えたら当たり前の事だが、僕の緊張が一気に高まった。ちなみにぐりんちゃんを始め、カンリバメンバーは相模絵美菜の本名が鮎川桂だという事を知らない。
「ねぇ、まっくんさん……でいいのかな?」
「あ……鶴見と言います」
「じゃあ鶴見さん……あれ? そういえば東京ドームでお会いしましたよね?」
「えっ、えぇ……」
覚えていてくれてたんだ……素直にうれしい! 東京ドーム公演の時、当時メンバーだった利根香澄の失言により一部のファンが騒ぎ出した。スタッフのバイトをしていた僕は、その騒動収束のために駆り出されていた。ライブ終了後、舞台裏で僕はぐりんちゃんに話し掛けられていたのだ。
「あの時はありが……」
「ねぇぐりん、お雑煮食べる?」
「あっうん、いただきまーす!」
ぐりんちゃんが僕にお礼を言おうとした瞬間、桂は話の腰を折ると席を立ち台所へ向かった……とはいえここはダイニングキッチン、目と鼻の先だ。
「あっ、この煮物美味しい」
「でしょー!? メッチャ頑張ったんだから」
いつもこの場所はダイニングテーブルが置かれているが、今年は正月らしく……という事で急遽コタツを用意した。天板の上にはおせち料理が置かれている。煮物などは桂の手作りだ。
桂が台所に居る事で、コタツには「推し」と二人きり……いやもう、これで今年の運は全て使い果たした気がする。
「まっくんはねーカンリ人(カントリバースのファンクラブ会員)なんだよ」
「えっ駄目じゃん! ファンが(スタッフ)バイトやっちゃ……」
「夏合宿でもバイトしてたんだよ」
「えっ!? あっ、もしかしてビナの親戚とか言ってた人って……ははーん、そうか! そういう事だったのね?」
「ついでに言うと、まっくんはねぇ『ぐりん推し』なんだよー」
おいおい、次から次へと僕の事を暴露するなよ……どういうつもりだ?
「えぇーっ、そうなんですか!? うれしぃー!」
「えっ、あっ、はぃ……」
この状況で何て答えたら良いんだ? かえって気まずいわ。するとぐりんちゃんは小悪魔的な目をしながら僕に言った。
「じゃあ……私と付き合ってみます?」
僕が桂と付き合っていなかったら間違いなく卒倒する所だろう。噓やドッキリだとわかっていても本気にしてしまいそうだ。だが僕は事前に「ある事」を知らされているので特に動揺することは無かった。
「でも彼氏さんいらっしゃるんですよね?」
「えっ、何でその事を!? ちょっビナ! バラしたな!?」
逆に僕から「彼氏」という言葉を聞かされたぐりんちゃんの方が動揺していた。
「私じゃないよ、チクマネ(千曲さん)だよ」
「アイツめー!」
そう、ぐりんちゃんには彼氏が居る事を元チーフマネージャーで現在は事務所社長の千曲さんから聞かされていた。しかも彼氏は複数いるカンリバマネージャーのひとりらしい。
「お待たせ―」
と、そこへ桂がお雑煮を持って来た。
「わぁ、美味しそー」
「ぐりんもさぁ、少しは料理とか作ってみたら? 松木とは食事どうしてんの?」
「うーん、外食かコンビニだね……時々彼が作ってくれるし」
松木とはぐりんちゃんの彼氏の事、そしてどうやらぐりんちゃんは料理が出来ないらしい……初耳だ。そういや外食って……そうか! 彼氏はマネージャー、つまり仕事上の間柄と思われてるから一緒に居ても怪しまれないのか?
それより! 僕の目の前でぐりんちゃんが料理出来ない事を暴露したのって……もしかして桂のマウント取りか? そりゃ確かに料理が得意な女子は一目置かれるだろうが、料理が苦手なぐりんちゃんもそれはそれで可愛い!
「いただきまーす」
「あっ、これまっくんの分ね」
「あぁ、ありがとう」
僕も桂が作ったお雑煮を頂いたが……あれ?
「まっくんは、お餅じゃなくて鼻の下伸ばしてるからいらないよね?」
僕のお雑煮だけ餅が入っていなかった……ひどい!
※※※※※※※
「ねぇぐりん、今日は遊びに来ただけなの?」
食事も終わり三人でくつろいでいると桂がぐりんちゃんに突然話しかけた。そういえばさっきからコタツの中で誰かの足が当たっているのだが……ぐりんちゃんだとしたらもう死んでもいい!
「えっ?」
「いやアンタがこうやって直接会いに来る時って、大抵ニャインでは話せない事があったりするじゃん! 今回も何かあるのかなぁって……」
するとぐりんちゃんは困ったような表情で僕の顔をチラッと見た。あ、これって僕が居たらまずい状況か? すると同じく僕の顔を見た桂が、コタツの中から腕を伸ばして僕の脚をつねってきた。
「痛っ!」
「ねぇまっくん! 悪いんだけどコンビニでお菓子買って来てくれない?」
桂が何を言いたいのかわかる。恐らく二人だけで話がしたいのだろう。残念、もうちょっとぐりんちゃんの足に触れていたかったなぁ……と思いつつ僕は後ろ髪を引かれる思いで玄関ドアを開けた。そして買い忘れの無い様、アパートを出た僕はスマホに買ってくる物をメモした。
なるほど、推しが家にやって来るってこんなに嬉しくて緊張してドキドキする行為なんだ。僕はスマホに残されていた渋谷さんの写真に「ゴメンね、今日は僕だけ良い思いしちゃって」と呟いた。
今年はずっと、こんな幸福が続いてくれれば良いのだが……。




