ガーベラ
十二月二十四日……
誰もが楽しにしていたであろうクリスマスイブが今年もやって来た。だがケーキやチキンを抱えた買い物客やクリスマスデートにでも行く様相のカップルを車窓から眺めている僕は、花束を抱え独り静かな方向へタクシーで向かっていた。
ここは郊外にある宗派不問の霊園。この中に僕の元恋人・渋谷小春さんが眠っている。そう、この日はクリスマスイブであると同時に……
……彼女の命日でもある。
「渋谷さん……今年も来たよ」
昨年の三回忌は遺族である彼女の両親から招かれ僕も参列した。結婚を前提とした付き合いだったので当然の様に彼女の両親とも面識はあった。法要のない今年はこうやってお墓参りをしている。彼女が亡くなってもう三年が経ってしまった。
「そうだ渋谷さん、報告遅れちゃったけど……やっと教採(教員採用試験)合格したよ! 来年度からはいよいよ教諭だ」
僕が教諭、つまり正規教員になる事は渋谷さんの夢でもあった。出来れば墓前では無く生きている本人の目の前で報告したかったのだが。
そういえば……
まだお試し的な感覚ではあるが、つい先日から付き合い始めた桂も「小春さんに挨拶がしたい」とお墓参りについて行きたがっていた。でも彼女は現在雲隠れ中のアイドル……不用意に外へ出るのはマズいと僕が断った。
「あれ?」
渋谷家と書かれた真新しさが残る墓石の前に立った僕は、花や線香が供えられていない事に気付いた。まだ誰も来ていないのか……僕は花立に水を入れ、持って来た花束や線香を供えた。
野良猫が寄って来る……とかいう理由で、食べ物などのお供え物は帰る時に回収しなければならない。僕は三年前のこの日、一緒に乾杯する事が出来なかったワインを供えていると、
「あ……鶴見君」
落ち着いた色の衣装に身を包んだ老夫婦から声を掛けられた……渋谷小春さんの両親だ。
※※※※※※※
「ご無沙汰してます」
僕は手桶を置くと渋谷さんの両親に会釈した。
「まぁ、素敵なガーベラね」
花立に飾られた仏花を見て彼女の母親が微笑んだ。恐らくこの人たちも花を持って来るに違いない……そう思った僕は敢えて少なめの花束を買っていた。
蝶が好きだった渋谷さんは、この大輪の花の上で羽を休める蝶の写真をよくスマホで撮影していた。なので花束には絶対ガーベラを入れようと考えていた。
「そういえば鶴見さん、合格されたんですね? おめでとうございます」
「あ……ありがとうございます」
教員採用試験に合格した際、真っ先に渋谷さんの父親へ報告した。実は彼女の両親も元教員、特に父親は校長も経験した教員一家だ。
「やっと彼女に報告出来ました」
「おめでとう……小春も天国で喜んでいるだろう」
渋谷さんの母親は持参した花束を手際よく二つに分けると、僕の花も取り込んで初めから一つの花束であったかの様に仕立て上げていた。だがよく見るとガーベラが増えている……しまった、被ったか!? 線香を供え三人で墓前に手を合わせた後、渋谷さんの母親が僕に話し掛けてきた。
「ところで鶴見さん、最近はどう?」
「えっ? あっはい、来月から面接とかで大変ですよ」
僕は教員に採用されるまでのスケジュールを聞かれたと思っていた。ところが、
「そうじゃなくて……誰かいい人とかいらっしゃらないの?」
いい人……それが「新しい彼女」を意味すると理解するのに時間は掛からなかった。でもまさか渋谷さんの親からその様な言葉が出てくるとは思わなかった。
まぁ一応、先日から付き合い始めた「彼女」はいる。だがそんな事を渋谷さんの両親へ正直に報告する義務は無い。むしろたった三年で、正式に別れを告げていない彼女を無視して新しい恋愛を宣言するのは余りに薄情……そう思った僕は、
「いえ……まだ」
「あら? そうなの? イイ男だからもう居るかと思っちゃったわ」
後ろめたい気持ちを抑えながら、出来るだけ少ない言葉に留めて答えた。それにしても……渋谷さんの母親も薄情じゃないのか? まだ亡くなって三年しか経ってないのに、自分の娘の彼氏に「他の恋人」が居るかどうか聞いてくるとは……。
「鶴見君!」
すると、ずっと黙っていた渋谷さんの父親が信じられない言葉を口にした。
「君がもし、娘の事を気にして新しい彼女を作らない……というのなら、それは間違った考えだよ」
「……えっ?」
元恋人の両親からまさかの言葉……喧嘩別れでは無い、お互いが好きという感情のまま離れ離れになったというのに! いくら「死人に口なし」と言っても、実の両親からそんな事を言われたら彼女が可哀想じゃないか。
「君はまだ若い! 今から正規教員になっても定年まで三十年以上……君の今の年齢以上はあるんだよ」
「は……はぁ」
「君はこれから、娘と一緒に居た時間より遥かに長い時間を過ごすんだよ! ここで人生という時計の針を止めてはいかん」
「そうよ、止めていいのは私たちだけ! 残された人生を小春と共に生きていくのは私たちだけで十分よ」
「小春は二十四年の生涯……残された人生がそこまで持つかどうか」
「あら、私は三十三回忌までしっかりと見届けるつもりですわよ」
事件当日……警察署で会った渋谷さんの両親は、今でも思い出せるほど憔悴した姿だった。あれから三年……時計の針は止まっていると言っていたが、ゆっくりと二人の針は動いている様に見えた。
「あっ、そうだわ鶴見さん!」
墓参りを終え帰ろうとした時、渋谷さんの母親が信じられない行動をとった。花立に飾られた仏花からガーベラを一本抜き取ると、それを僕に渡してきたのだ。
「これは小春からあなたへクリスマスプレゼントよ!」
えっ!? 一度墓前に飾られた花を抜き取って……何て事するんだこの人は?
「鶴見さん、ガーベラの花言葉ってご存知?」
「……いえ」
花言葉なんて正直興味が無い。すると渋谷さんの母親はニコッと微笑みながら
「常に前進……よ!」
常に……前進?
「小春の事は記憶の片隅にでも置いてくれればいいわ! 流石に全部忘れられたら可哀想だし」
いや、全部忘れる事は絶対に無い!
「鶴見さん、人生って他人の物とチェンジ出来ないのよ」
「え、えぇ……」
「あなたにはあなたの人生……それを大切にして」
僕は渋谷さんの両親に深々と頭を下げると、そこからひとりで歩き出した。渋谷さんからプレゼントされた一輪のガーベラを手にして。




