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心の氷が溶けるまで  作者: 海月まったり


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第二十六章 それでも

挿絵(By みてみん)

 翌朝――


 王都はいつもと変わらない朝を迎えていた。


 人々が行き交う。


 店が開く。


 子供たちが走り回る。


 そんな日常の中を――ゼロは一人で歩いていた。


「…………」


 昨夜のことを思い出す。


 ファジーに話した。


 自分の過去を。


 生きるために、人を殺してきたことを。


 何人殺したのかも覚えていないことを。


「…………」


 ゼロは足を止める。


 彼女は――どう思っただろうか。


 怖くなったか。


 嫌いになったか。


 もう、会いたくないと思ったか。


「…………」


 考えても分からない。


 今までなら。


 そんなことを考える必要すらなかった。


 だが今は――


「ゼロさん!」


「…………」


 振り返る。


 そこには、ファジーがいた。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


「…………」


「…………」


 少しだけ。


 二人の間に沈黙が流れる。


 ゼロは口を開こうとした。


 だが――


「ゼロさん」


 先に声を出したのは、ファジーだった。


「昨日のお話……」


「…………」


「まだ、全部は整理できていません」


「ああ」


「正直に言うと……怖いです」


「…………」


 ゼロは目を伏せる。


「そうだろうな」


「でも」


 ファジーは続けた。


「ゼロさんが話してくれたことを、なかったことにはしたくありません」


「…………」


「知らなかったことを知ってしまったからって、今まで一緒に過ごした時間まで、なかったことにするのは違うと思うんです」


 ゼロは何も言わなかった。


「だから……少しだけ、時間をください」


「ああ」


 ゼロは静かに頷く。


「分かった」


「ありがとうございます」


「…………」


 ファジーは少しだけ笑った。


「それと……」


「なんだ?」


「今日も、一緒に歩いてくれますか?」


「…………」


 ゼロは彼女を見る。


「……構わない」


「はい!」


 ファジーは嬉しそうに頷いた。


 その笑顔を見て――ゼロは胸の奥に、僅かな痛みを感じた。


 彼女は、まだ迷っている。


 それでも……隣にいることを選んでくれた。


「…………」


 ゼロは歩き出す。


 ファジーも、その隣を歩いた。


 昼――王都の外れ。


 月影亭。


 薄暗い店内で、一人の男が向かい合っていた。


「……それで?」


 テーブルの向こうに座る男が尋ねる。


「暗殺は失敗した」


「聞いている」


「標的のそばに、厄介な男がいる」


「その男の特徴は?」


「若い。異常なほど動きがいい。俺を殺せる場面でも、殺さなかった」


「…………」


 向かいの男は黙り込んだ。


「名前は?」


「ゼロ……らしい」


「…………」


 男の指が止まる。


「ゼロ?」


「ああ」


「…………」


 男はしばらく考え込む。


 そして――


「……調べる必要があるな」


「知っている男なのか?」


「いや」


 男は首を横に振る。


「だが、昔――そいつとよく似た暗殺者の話を聞いたことがある」


「どんな話だ?」


「名前のない暗殺者の話だ」


「…………」


「失敗を知らず、標的を必ず仕留める」


 男は声を落とした。


「裏社会では、そいつを『unknown』と呼んでいた」


「…………」


「もし、同一人物なら――」


 男は窓の外を見る。


「面倒なことになる」


 王宮――


「陛下」


 騎士が報告書を差し出す。


「ゼロという男について、調査を進めています」


「何か分かったか?」


「いえ。依然として、出自も経歴も不明です」


「…………」


 イコワは報告書に目を落とす。


「それで、昨夜の暗殺者は?」


「月影亭で依頼を受けたことまでは確認できました。しかし、依頼主は不明です」


「そうか……」


 イコワは目を細める。


 自分が進めてきたファジーの暗殺計画。


 さらに――ファジーを守る、正体不明の男。


「…………」


 偶然にしては、出来すぎている。


「引き続き調べろ」


「はっ」


 騎士が退室する。


 イコワは一人、窓の外を見つめた。


「ゼロ……」


 小さく呟く。


「お前は、何者なのだ……?」


 その頃――王宮の別室。


 マクロは椅子に座り、目を閉じていた。


 未来を見る。


 ファジー。


 ゼロ。


 王宮。


 そして――血に染まったゼロの姿。


「…………」


 マクロは目を開く。


「過去は変えられない」


「でも、未来は変わる」


 彼の予知に映る未来は、一つではない。


 ファジーがゼロを拒絶する未来。


 ゼロがファジーのもとを去る未来。


 そして――二人が、再び並んで歩く未来。


「…………」


 マクロは笑った。


「なるほど」


 指先で机を軽く叩く。


「君の過去が、彼女にどう影響するのか……」


「見せてもらおうか、ゼロ」


 夕方――王都の丘。


 ゼロとファジーは、並んで座っていた。


 遠くには、王都の明かりが見える。


「ゼロさん」


「なんだ?」


「一つ、聞いてもいいですか?」


「ああ」


 ファジーは少し迷ってから尋ねた。


「今も……人を殺すんですか?」


「…………」


 ゼロはすぐには答えなかった。


 嘘をつくことはできる。


 彼女が安心できる言葉を選ぶこともできる。


 だが――


「今は、殺すために生きてはいない」


「…………」


「だが、過去の俺が何をしたかは変わらない」


 ファジーは静かに頷いた。


「そう、ですよね……」


「ああ」


「…………」


 しばらく、二人は黙っていた。


 やがて――


「私、まだ分からないことばかりです」


「…………」


「ゼロさんの過去も」


「これから、どう向き合えばいいのかも」


 ファジーは空を見上げる。


「でも……分からないからって、目を背けたくはありません」


「…………」


「ゼロさんが話してくれたことだから」


 ゼロは彼女を見る。


「……そうか」


「はい」


 ファジーは微笑んだ。


「だから、これからもお話ししてくださいね」


「…………」


「知らないことを、少しずつ知っていきたいです」


 ゼロは目を伏せる。


 自分の過去を誰かに話す必要などなかった。


 誰かに理解してもらいたいとも思わなかった。


 だが今は――


「……分かった」


 ゼロは答えた。


「話せることなら、話す」


「約束ですよ?」


「ああ」


 ファジーは嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見ながら――ゼロは思う。


 過去の罪は消えない。


 それでも、これから先の自分は――まだ、決まっていない。


 ゼロは静かに拳を握る。


 今度は……誰かを殺すためではなく。


 誰かを守るために。


 自分の力を使いたい……そう思った。


 だが――その誓いの困難さを、ゼロ自身がすぐに感じることとなる。

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