第二十五章 告白
夜――王都の外れ。
二人は小さな丘の上にいた。
王都の明かりが遠くに見える。
「…………」
ゼロは黙っていた。
隣には――ファジーがいる。
「ゼロさん」
「なんだ?」
「今日……少し、変でした」
「…………」
ゼロは空を見上げる。
「そうか」
「はい」
ファジーは少し迷ってから――
「昨夜のことですよね……?」
「…………」
しばらく……ゼロは答えなかった。
そして――
「……話しておきたいことがある」
「え?」
ゼロはファジーを見る。
「俺の過去だ」
「…………」
ファジーは驚いた。
だが――何も言わずに待つ。
「俺には……本当の名前がない」
「はい」
「前にも言ったな」
「はい」
「だが」
ゼロは少しだけ視線を落とす。
「名前がなかっただけじゃない」
「…………」
「俺には――なにもなかった」
ファジーは黙って聞いている。
「……物心つく前からだ」
ゼロは静かに話し始める。
「どこで生まれたのかも知らない」
「…………」
「親の顔も知らない」
「…………」
「気づいた時には、孤児だった」
風が吹き、ゼロの髪が揺れる。
「腹が減れば盗んで食べる」
「寒ければ暖かい場所を探して彷徨う」
「眠くなれば眠る」
「生きることに必死……それだけだった」
ファジーは何も言わない。
「……憐れみからか、知らない誰かが助けてくれたこともある」
「自分と似た境遇の者たちに、奪われたこともある……」
「……でも」
ゼロは少し笑う。
「そのどちらにも、特別な感情はなかった」
「…………」
「必死だったからな」
ゼロは遠くを見る。
「ある日、俺は男に攫われた」
「男は俺に言った」
「『生きていたいのなら、仕事をしろ』と」
「…………」
「それが――暗殺だった」
ファジーの表情が僅かに変わる。
だが……ゼロは続ける。
「最初は、人を殺すのが怖かった」
「…………」
「でも」
「一度やれば――」
ゼロは自分の手を見る。
「二度目は、少しだけ楽だった」
「三度目には――」
「もう、何も感じなくなっていた」
「…………」
ファジーは黙っている。
「俺は暗殺者として生きた」
「依頼された人間を殺した」
「理由なんて――」
ゼロは首を振る。
「知らないことのほうが多かった」
「金を受け取って」
「標的を探して」
「殺して」
「また次の仕事を受ける」
淡々とした言葉。
だが、その奥には――長い年月が感じられた。
「失敗したことは一度もない」
「生憎、俺には暗殺者として適性があったらしい……」
「いつからか、俺は裏で『unknown』と呼ばれるようになった」
「…………」
ファジーが小さく息を呑む。
「それが、俺の呼び名だった」
「…………」
「本当の名前がなかった俺には、ちょうどよかったのかもしれないな」
ゼロは少しだけ笑う。
「皮肉な話だ」
「…………」
「俺は名前を持たなかった」
「だから――」
「誰かに名前を呼ばれることもなかった」
ファジーは胸元で手を握る。
「……でも」
ゼロは続ける。
「それでも……生きていたかった」
「生きるために殺した」
「そこに正しさなんて無くても……」
「…………」
「言い訳をするつもりはない」
ゼロはファジーを見る。
「俺は、人殺しだ」
「何人殺ったかなんて――もう覚えていない」
「名前も」
「顔も」
「理由も」
「…………」
ゼロは目を伏せる。
「全部、忘れてしまった」
「それでも」
「殺したという事実だけは――消えない」
ファジーはしばらく黙っていた。
そして――
「……怖くなかったですか?」
「何が?」
「……変わっていく自分自身が」
「…………」
ゼロは考える。
「当時は、何も思えなかった……考えられることは余裕があるってことだ」
「今はどうです?」
「…………」
ゼロはファジーを見る。
「少しだけ……思う」
「もし……」
一瞬……言葉が止まる。
「もし、あの頃の俺が――」
「誰かに名前を呼んでもらえていたら」
「誰かを大切に思えたら」
「何か変わっていたのかもしれない」
「…………」
「でも」
ゼロは首を横に振る。
「そんなことは、もう分からない」
「過去は変えられない」
「俺が殺した人たちも――戻ってはこない」
「だから」
「俺は自分がやったことを、なかったことにはしない」
ファジーの目に――涙が浮かぶ。
「ゼロさん……」
「…………」
「私……」
ファジーは言葉を探す。
「何を言えばいいのか……分かりません」
「ああ」
「許していいのかも」
「怒っていいのかも」
「それも……分かりません」
ゼロは黙っている。
「でも」
ファジーは顔を上げる。
「今のゼロさんが――」
「私を守ってくれたことは、嘘じゃありません」
「…………」
「名前をもらって喜んでくれたことも」
「一緒にお祭りを歩いたことも」
「全部……嘘じゃないですよね?」
「…………」
ゼロは静かに答える。
「ああ」
「全部……本当だ」
「…………」
ファジーは涙を拭う。
「じゃあ……」
一歩――ゼロに近づく。
「今のゼロさんを――」
ファジーは微笑む。
「私は、ちゃんと見ます」
「…………」
「過去だけじゃなくて」
「今のゼロさんも」
「これからのゼロさんも」
ゼロは何も言わない。
ただ――胸の奥が熱くなる。
「ありがとう」
「…………」
「俺の話を聞いてくれて」
ファジーは笑う。
「話してくれて、ありがとうございます」
夜空には――星が輝いていた。
かつて――名前すら持たなかった男は。
初めて……自分の過去を誰かに話した。
そして。
その過去を知った人間が――それでも隣にいてくれる。
ゼロは空を見上げる。
「…………」
過去は消えない。
罪も消えない。
それでも――これから先の生き方は。
自分で選べる。
ゼロは――初めてそう思った。




