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心の氷が溶けるまで  作者: 海月まったり


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第十八章 第二王子の思惑

挿絵(By みてみん)

 翌日。


 ファジーは自宅の庭にいた。


「…………」


 手に持っているのは、一冊の本。


 昨日の襲撃のことなど忘れたように――いつも通り、本を読んでいた。


「お嬢様」


 そこへ使用人がやってくる。


「はい?」


「王宮から、お客様がお見えです」


「王宮から……?」


 ファジーが本を閉じる。


「どなたでしょう?」


「第二王子、マクロ・ホムン様です」


「…………」


 ファジーの表情が固まった。


「マクロ様が……?」


「はい」


「どうして……」


 使用人にも分からない。


「お会いになりますか?」


「…………」


 ファジーは少し考えた。


 昨日のことがあったばかりだ。


 できれば、今日は静かに過ごしたかった。


 それでも、王族からの訪問を無下に断るわけにはいかない。


「はい」


 ファジーは本を閉じ、立ち上がった。


「お通ししてください」


 応接室。


「お久しぶりです、ファジー嬢」


「お久しぶりです、マクロ様」


 向かい合う二人。


 マクロは穏やかな笑みを浮かべていた。


「昨日は大変だったようですね」


「はい……」


「お怪我がなくて何よりです」


「ありがとうございます」


 ファジーは微笑む。


 だが――昨日、王宮で感じたものと同じだった。


 この人は――何かが怖い。


 理由は分からない。


 優しい口調。


 穏やかな笑顔。


 それなのに、どこか気を許してはいけないような気がする。


「どうかしましたか?」


「いえ……」


 ファジーは首を振った。


「少し、緊張しているだけです」


「そうですか」


 マクロは笑った。


「無理もありませんね。昨日、あんなことがあったばかりですから」


「…………」


「ところで、今日はお願いがあって来ました」


「お願い……?」


「ええ」


 マクロは持ってきた一冊の本をテーブルに置いた。


「ファジー嬢の固有魔力について、少し興味がありまして」


「私の……?」


「はい」


 ファジーの表情が少し明るくなる。


「私の固有魔力は、学習です」


「もちろん、知っていますよ」


 マクロは即答した。


「…………」


 その言葉に、ファジーはわずかな違和感を覚えた。


 まるで、最初から答えを知っていたかのような口ぶりだった。


「学習というのは、とても便利な力ですよね」


「そうですね」


「どのようなことを学べるのですか?」


「色々です」


 ファジーは少し考えた。


「本を読んだり、人から教えてもらったりすると、普通の人より覚えるのが早いんです。魔法の習得も、比較的得意だと思います」


「なるほど」


 マクロは頷いた。


「では――」


 ほんの一瞬。


 その目から笑みが消えた。


「自分が知らないことなら、どんなことでも学べるのでしょうか?」


「え?」


「例えば、普通の人には到底できないようなことでも」


 マクロはファジーの反応を窺うように、静かに続けた。


「死者を生き返らせる方法を学ぶことは、できると思いますか?」


「…………」


 ファジーは目を丸くした。


「それは……」


 少し考える。


「難しいと思います」


「そうですか」


「でも――」


 ファジーは微笑んだ。


「もし本当にそんな方法があるのなら、私は知りたいです」


「なぜですか?」


 マクロの問いは、先ほどよりもわずかに鋭かった。


「だって……」


 ファジーは本を胸に抱く。


「誰かが亡くなって悲しんでいる人がいるなら、その人を助けられるかもしれませんから」


「…………」


 マクロは黙った。


 ファジーの表情に、嘘や打算は見られない。


 ただ純粋に、誰かを助けたいと思っている。


「……もし、それが大切な人じゃないとしても?」


「もちろんです」


 ファジーは迷わず答えた。


「…………」


 マクロはしばらくファジーを見つめていた。


 そして――小さく笑った。


「なるほど」


「何か変でしたか?」


「いいえ」


 マクロは本を手に取り、立ち上がった。


「とても参考になりました」


「参考……?」


「こちらの話です」


 マクロは扉へ向かう。


 その途中で、ふと思い出したように振り返った。


「ファジー嬢」


「はい?」


「もし、ご自身の力について、今まで知らなかったことが分かったら……どうしますか?」


「自分の力について、ですか?」


「ええ」


 ファジーは少し考えてから答えた。


「もっと勉強したいです。自分に何ができるのか分かれば、誰かの役に立てるかもしれませんから」


「……そうですか」


 マクロは微笑んだ。


「その気持ちを、大切にしてください」


「ありがとうございます」


 ファジーは不思議そうに首を傾げた。


 マクロはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


「…………」


 ファジーは一人になる。


「……やっぱり」


 胸に手を当てた。


「少し、怖い……」


 理由は分からない。


 ただ――あの人と話していると、自分の知らない何かを見られているような気がした。


 まるで、自分でも知らない自分を、あの人だけが知っているかのように。



 王都。


 アノンは街の通りを歩いていた。


「…………」


 ふと、道の向こうに目を向ける。


 王家の紋章が刻まれた馬車が、数人の護衛を伴って走り去っていくところだった。


 馬車が向かっていたのは、ファジーの屋敷がある方向。


「……王宮の馬車か」


 アノンは目を細めた。


 昨日の襲撃。


 そして、その翌日に王宮からファジーの屋敷へ向かった馬車。


「……マクロか」


 第二王子が自ら動いたのか。


 それとも、別の用事があっただけなのか。


 今の段階では断定できない。


 だが、あの男がファジーに興味を持っていることは確かだった。


「何をするつもりだ……?」


 アノンは考える。


 昨日の襲撃者たち。


 王宮の動き。


 そして、マクロの存在。


 それぞれが無関係だとは思えなかった。


「…………」


 アノンは歩き出した。


 向かう先は、ファジーの屋敷。


 何が起きているのか、自分の目で確かめる必要があった。


 その頃――王宮。


「どうだった?」


 イコワが尋ねる。


 マクロは父を見ると、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「面白い少女ですよね」


「それだけか?」


「ええ」


 マクロは椅子に腰を下ろす。


「ですが――」


 その目が、わずかに細くなった。


「少なくとも、僕が知っている未来とは少し違いました」


「……何?」


 イコワの表情が変わる。


「どういう意味だ?」


「ファジー嬢は、自分の力について何も知りませんでした」


「…………」


 イコワは黙った。


 それは、彼自身が望んだことだった。


 ファジーの真の固有魔力を隠し、彼女にも周囲にも、その力が『学習』であると思わせる。


 その判断が正しかったのか。


 今でも、イコワには確信がなかった。


「それで、何を確かめた?」


「少なくとも、彼女自身に何かを企んでいる様子はありませんでした」


「そんなことは分かっている」


 イコワの声が少し低くなる。


「私が聞いているのは、彼女の力についてだ」


「……ええ」


 マクロは笑みを崩さなかった。


「だからこそ、僕が確かめます」


「何をだ?」


「彼女の固有魔力が、本当に『学習』なのかをね……父上」


「…………」


 イコワはマクロを見つめた。


 その言葉の裏に、何か別の意図があるように感じたからだ。


「マクロ。余計なことはするな」


「余計なこと、ですか?」


「ファジーの力は危険だ。未来の見えるお前なら分かっているはずだ」


「もちろんです」


 マクロは穏やかに答えた。


「だからこそ、放っておくわけにはいかないでしょう?」


「…………」


 イコワは何も答えなかった。


 同じ危険を見ているはずなのに、二人の考えは違っていた。


 イコワは、その力を恐れている。


 だが、マクロは――その力を確かめようとしている。


 そして、確かめた先に何を求めているのか。


 イコワには、まだ分からなかった。


「それから――」


 マクロが口を開く。


「アノンという男についても、少し気になっています」


 その言葉に、イコワの表情が変わった。


「…………」


「昨日、ファジー嬢が襲撃された際、彼が現場にいたそうですね」


「……ああ」


「偶然にしては、少し出来すぎていると思いませんか?」


 イコワは答えなかった。


 アノン。


 素性が分からず、行動の目的も読めない青年。


 そして、自分が命じた暗殺の行方を左右しかねない存在。


「……お前は、あの男をどう思う?」


 イコワが尋ねる。


 マクロは少し考える素振りを見せた。


「そうですね……」


 そして、笑った。


「とても興味深い男だと思います」


 その言葉の真意は、分からない。


 ただ、マクロの目には、これまでとは違う光が宿っていた。



 王宮の外。


 アノンは、ファジーの屋敷を見上げていた。


「…………」


 彼女は、何も知らない。


 自分の力のことも。


 王宮が何を企んでいるのかも。


 そして――第二王子が、何を確かめようとしているのかも。


「…………」


 アノンは視線を鋭くする。


 ファジーを狙う者がいる。


 その事実だけは、もう疑いようがなかった。


 そして今、その周囲に新たな危険が近づいている。


「……好きにはさせない」


 小さく呟く。


 アノンの目には――昨日までにはなかった、明確な警戒が宿っていた。

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