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心の氷が溶けるまで  作者: 海月まったり


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第十一章 交錯する疑念

挿絵(By みてみん)

 王宮。


 謁見の間。


「……アノンについて、何か分かったか?」


 王座に座るイコワが尋ねる。


「はい」


 目の前の男が、一枚の書類を差し出した。


「現在分かっているのは、王都で暮らしている二十歳前後の青年ということだけです」


「家族は?」


「確認できませんでした」


「出身地は?」


「それも不明です」


「…………」


 イコワは書類に目を通す。


 名前――アノン。


 年齢――推定二十歳前後。


 職業――不明。


 家族――不明。


 過去――不明。


「……妙だな」


「はい」


 男も頷く。


「王都で暮らしているにもかかわらず、過去の記録がほとんどありません」


「まるで――」


 イコワは言葉を止めた。


「最初から、何も残していないようだな」


「私もそう考えております」


 普通の人間なら、何かしらの記録が残る。


 出生。


 家族。


 仕事。


 住居。


 税。


 何か一つくらいは。


 だが――


 アノンには、それがない。


「…………」


 イコワは書類を机に置いた。


「ファジーとは、いつから接触している?」


「祭りの日からです」


「それ以前は?」


「確認できておりません」


「…………」


 祭り。


 ファジーがアノンと出会った日。


 そして――


 その直後から、王宮に残されていたファジーの記録を何者かが調べた形跡がある。


「偶然とは思えんな……」


 イコワが呟く。


「はい」


 男が答えた。


「ですが、アノンが王宮へ侵入したという証拠はありません」


「分かっている」


 イコワは椅子にもたれかかる。


 証拠はない。


 だが、状況は揃いすぎている。


 ファジーと接触した、過去のない青年。


 そして――


「……アノンを監視しろ」


「はい」


「ただし、まだ手を出すな」


「……よろしいのですか?」


「ああ」


 イコワは窓の外を見る。


 王都の街並み。


 人々が行き交っている。


「正体が分からない以上、こちらから動くのは危険だ」


「承知しました」


「ファジーにも近づきすぎるな」


「はい」


 男が一礼する。


「それから――」


 イコワは一瞬だけ考えた。


「……誰にもこの話は漏らすな」


 真実を知る者が増えれば、それだけ情報が漏れる危険も高まる。


 今はまだ――何も知らない者が多い方がいい。


「分かりました」


 男が部屋を出ていく。


「…………」


 一人になった謁見の間。


 イコワは、再びファジーの記録に目を落とした。


 出生時の鑑定。


 固有魔力――想像。


「…………」


 そして、その横には――


 最近作られたアノンの記録。


「想像を持つ娘に近づく、正体不明の男……か」


 偶然だと思いたい。


 だが、直感が告げていた。


 何かが始まっている。


「…………」


 イコワは書類を閉じた。


 その頃、王都の街角。


 俺は一人、街を歩いていた。


 いつもと変わらない人々と風景。


 そして――視線。


 後ろから誰かに見られている。


 気配は一つ。


 距離は一定。


「…………」


 俺は歩く速度を変えなかった。


 曲がり角を一つ。


 二つ。


 それでも気配は消えない。


「……やはりか」


 俺は小さく呟いた。


 あれから、俺は監視されている。


「…………」


 俺は店の前で足を止めた。


 振り返らず、店の窓ガラスに映る景色を見る。


 少し離れた場所に、男が一人。


 王宮にいた騎士だ。


 何気ない顔をしているが――間違いない。


 俺を見ている。


 俺が再び歩き始めると、男も動き出した。


 やはり、王宮が動き始めたらしい。


 なら――俺も動くしかない。


 だが、まだ正面からぶつかるつもりはない。


 相手が何を知っているのか。


 それを確かめる必要がある。


 俺は路地へ入った。


 少しだけ歩く。


 後ろから足音が聞こえた。


 男も路地へ入ってきたらしい。


 俺は立ち止まり、壁に背を預ける。


 それと同時に――


 足音が止まった。


「……誰だ」


 俺が声を掛ける。


 男は答えない。


「俺のことを嗅ぎ回っているんだろう?」


「…………」


 沈黙。


 やがて男は、ゆっくりと姿を現した。


 王宮の騎士。


 その胸元には――王家の紋章。


「……やはり王宮か」


 俺は剣に手を掛けた。


 男は俺の動きを見ても、剣を抜こうとはしなかった。


「アノン」


「……何だ?」


「少し、話を聞かせてもらおう」


「……何をだ?」


「お前が何者なのかを」


「…………」


 俺は男を見る。


 敵意はある。


 だが、殺気はない。


 つまり――今すぐ俺を殺すつもりはないらしい。


「質問に答えろ」


「…………」


 俺は少しだけ笑った。


「答えるなら、そっちが先だろ?」


「何?」


「なぜ俺のことを調べている?」


「…………」


 男が黙る。


 やはり、王宮は何かを疑っている。


 だが――それは俺も同じだ。


 王宮がファジーを警戒している理由。


 暗殺依頼。


 そして――俺自身を調べている王宮。


「……面白くなってきたな」


 俺は小さく呟いた。


 この時、俺はまだ知らない。


 この男の背後にいる国王が――


 俺自身にファジーの暗殺依頼を出した人物だということを。


 そして、イコワもまだ知らない。


 目の前にいる男が――


 自らがファジーに差し向けた暗殺者だということを。

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