エピソード 1ー4
朝起きて基礎トレーニングをこなした後、メイドとしての仕事をこなす。そうして部屋に戻ると、留守中に侵入した者がいないか仕掛けを確認する。
そんな日々を続けて、そろそろ一週間が経つ。
給仕見習いになった私だけど、仕事に慣れてくると他の仕事も任されるようになった。
「ノクス、私の代わりに図書室とかの掃除もやっておきなさい!」
「はい、分かりました」
……訂正。
他の部署の、金髪ツインテールのメイドに仕事を押しつけられるようになった。
ちなみに、セレーネの同期だそうだ。
まったく、アルヴェイン公王家の使用人が聞いて呆れるわ。
言い負かすのは簡単だけど、色々な場所に出入りする口実が得られるのはありがたい。という理由で、大人しく従う振りをしている。
でも、使用人たちの勤務態度がよくないことは気に入らない。
だってそれって、ヴィオラが舐められているってことでしょ? 本宮から追いやられた前妻の娘を相手に点数を稼いでも意味がない――って感じで。
私を殺した唯一の相手が舐められるのは気に入らない。
だけどまぁ……時間の問題よね。
ヴィオラほどの怪物が、自分を侮る相手を放置する理由なんてない。
どう考えても、なんらかの理由で泳がせているだけだ。
でも、その『なんらかの理由』が分からないのよね。
そんなことを考えながら、掃除道具を持って移動する。そこでセレーネと出くわした。彼女は私が両手に抱える掃除道具を見て溜め息をつく。
「ノクス、また掃除を押しつけられたのね。私から言ってあげましょうか?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
その方が都合がいいとは言えなくて、私は曖昧に笑う。
「もう、ノクスは優しすぎるのよ。嫌なときは断らないとダメよ?」
「……そうですか? じゃあ次はそうします」
「ん、分かったならいいわ。本当は手伝ってあげたいけど……」
セレーネの両手には、テーブルクロスが抱えられている。
「気持ちだけで大丈夫です」
「そう? ごめんね。本当に困ったら相談しなさいよ?」
セレーネは何度も振り返りながら去っていった。
それを見送った後、客間やリビング、それに食堂と、順番に掃除をしていき、続けて図書室に入る。けれど、そこで掃除をしようとすると既に先客――ヴィオラがいた。
彼女は熱心に分厚い本を読んでいる。
……ページをめくる速度が尋常じゃないわね。
この歳で、もう速読を身に着けているの?
さすがはヴィオラね。なんの本を読んでいるのかしら?
表紙に視線を落とすと、ヴィオラがハッと顔を上げた。
「――誰? 貴女は……ノクスだ!」
無邪気に笑う姿は幼い女の子にしか見えない。でも、彼女が顔を上げる一瞬だけ警戒心を露わにしたのを私は見逃さなかった。
私だと知って警戒心を解いた? それとも、警戒心を隠した?
どっちもありそう。
相手の思惑が分かるまで、当たり障りのない反応を返した方がよさそうね。
「ヴィオラ公女殿下、読書の邪魔をしてしまって申し訳ございません」
「かまわないけど……もしかして掃除? 貴女は給仕見習いだったはずだよね?」
「よく覚えていますね」
「うん、一度聞いたことだからね」
ヴィオラは笑って、「それで、どうして?」と首を傾げた。
無邪気に見えるけど、追及は止めようとしないのね。
だったら――
「先輩に頼まれちゃいました」
にへらっと笑う。
押しつけられたでもなく、自主的に仕事をもらったのでもない。あえて曖昧な言葉を使ったのは、ヴィオラの反応を見たかったから。
果たして――
「そうなんだ。ノクスは優しいんだね~」
当たり障りのない反応ね。
でも、それは不自然よ、ヴィオラ。
貴女ほどの天才が、先輩メイドが後輩に仕事を押しつけた可能性に気付かないはずがない。なのに当たり障りのない反応をするなんて、あえて見逃していると言っているようなものじゃない。
やっぱり、意図的にこの状況を放置しているのね。
――なら、私もそれに付き合うとしましょう。
「ところで、ヴィオラ公女殿下はお勉強ですか?」
「うん、アルヴェイン公国の歴史について調べてたの!」
「歴史、ですか?」
「そうだよ。この本の――ここ」
分厚い本をパラパラとめくり、迷うことなく一点を指差した。
……たしかに、アルヴェイン公国の起源について書かれているわ。まさかこの子、どこになにが書かれているか、ページと行数を記憶してるの?
「……ヴィオラ公女殿下は記憶力がいいんですね」
「そうかな? 一度見たことは忘れないけど……それくらいだよ?」
なにがそうかな? よ。まるで自覚がないわね。
それって瞬間記憶能力じゃない。それの所持を、当然のことのように語るんじゃないわよ。
「ヴィオラ公女殿下は、ものすごく記憶力がいい部類だと思いますよ」
「うぅん。でも、よく先生に覚え間違えて覚えてるって、怒られるんだよね」
「……なぜですか?」
普通に考えてありえない。というか、ヴィオラが先生に怒られる、という光景が想像できない。誰かを罠に掛けて、その相手に怨まれる。ならありそうだけど。
「あのね、覚えた本の内容が間違ってたの」
「……あぁ。それはなんとも……」
お粗末な――と、喉元まで込み上げた言葉は飲み込んだ。
でも、それはヴィオラの責任じゃないわね。
むしろ、その本を用意した相手が悪い。
「その本はどこから持ってきたんですか?」
「ここの本棚だよ。お父様が用意してくれたの」
……ん?
おかしいわね。
「アルヴェイン公王陛下の用意した本の内容が、間違っていたのですか?」
「そうみたい。ナタリア――あ、家庭教師をしてくれている侍女のことだけど、そのナタリアに、その本は間違っているから、こっちを使いなさって言われたの」
ヴィオラはもう一冊の本を開き、さっきと同じように一点を指差す。
……こっちもアルヴェイン公王家の起源についての記述があるわね。
だけど、これは――
「そこのメイド、ここでなにをしているの!」
甲高い女性の声。
どうやら少し深入りしすぎたらしい。
セレーネの警告が脳裏をよぎる。
……でも大丈夫。
いまならごまかせる。ヴィオラなら、上手く合わせてくれる。
私は平然を装い、ゆっくりと顔を上げる。
それとほぼ同時に肩を掴まれ、ヴィオラの前から引き剥がされた。
乱暴ね。
でも、武術を習っている者の動きではないわね。誰かしら――と顔を上げると、ドレスで着飾った二十代後半くらいの女性が私を睨んでいた。
ヴィオラの母は亡くなっている。
とすると、第二公妃? いや……そうか、彼女が侍女のナタリアね。
身の回りの世話の他に、アクセサリーの管理なんかもおこなう役職。貴族の娘がほとんどで、主に同行しても違和感のない装いをしている。
……にしては、ヴィオラのドレスよりも豪華だけど。
「なにをしているの、と聞いたのよ?」
「失礼しました。掃除中にヴィオラ公女殿下をお見かけして、少しお話をしていました」
「……話?」
おっと、表情が険しくなった。
やっぱり、気にしているのはその内容か。
ここで歴史の話をするのは悪手ね。
「私の担当について話していました」
「担当?」
どういうことだと言いたげに、ヴィオラを睨む。
とたん、ヴィオラの肩がびくりと跳ねた。
……上手いわね。怯えているようにしか見えないわ。
「あ、あのね。メイド長からは、ノクスは厨房付きのメイド見習いだって聞いてたの。なのに掃除をしに来たって言うから、おかしいなぁ……って」
少し怯えたように、言い訳がましく説明をする。
……ヴィオラは演技まで完璧なのね。完璧すぎて、真相に気付いている私でも、実は本当に怯えてるんじゃないかって、騙されそうだ。
「たしかに、それはおかしいですね。貴女、どういうことですか?」
おぉ、怖い怖い。
すっごい睨まれてる。
「その……先輩に頼まれたんです」
ヴィオラに負けないくらい、少し怯えた演技で打ち明けた。
ナタリアも、先輩メイドが仕事を押しつけてサボっている可能性に気付いただろう。だが、彼女は、「あぁ……あの子」と呟き、言及はしてこなかった。
……こっちも、見逃すのね。
でもあの子と言うくらいだし、ヴィオラと同じ理由とは思えない。
ということは……なるほど、あのメイド、この女の手駒なのね。
「それでヴィオラ様とお話を? 他になにか話しましたか?」
「いいえ、とくには。来たばかりですから」
ナタリアは険しい顔で私とヴィオラを見比べ――やがて小さく息を吐いた。それから、思い出したように私のことを睨み付ける。
「この時間の図書室は、ヴィオラお嬢様の授業に使います。今後は近付かないように!」
「は、はい! 申し訳ありませんでした!」
逃げるように図書室から退出。
一定の速度で廊下を歩き――角を曲がったところで足を止めた。
周囲に人影はなし。尾行も……なさそうね。
ふう、久しぶりに焦ったわ。
あの教科書の内容を見たと知られたら、今夜にでも事故死させられていたところよ。
……まったく。
公王の娘に間違った歴史を教えるなんて……とんでもないわね。
二冊の歴史書。
私が目にした部分には、アルヴェイン公王家の起源が書かれていた。
初代のアルヴェイン公王は、エルディア王国の当時の第一王女だ。幼少期からその才覚を発揮して、次期国王になることが確実視されていたが、彼女は女王にならなかった。
とある商会の息子と恋に落ちたから。
結果的に、彼女は商会の息子と結ばれ、王から与えられた土地で、初代アルヴェイン公王となった。その、基本的な流れはどちらの歴史書も同じだった。
ただ、解釈が少しだけ――けれど、致命的な部分で違っていた。
アルヴェイン公王が用意した歴史書には、当時の王が、娘の才能を埋もれさせないために、土地を与えた、というふうに書かれていた。
恐らく、それは事実でしょうね。
アルヴェイン公王家のいまが、それを物語っているもの。
だけど、ナタリアが用意した歴史書は違う。
愚かな女王は封国に追いやられた――というような解釈が書かれていた。
「あれを聞いたら、アルヴェイン公王家の人間はさぞ怒るでしょうね」
父の前で、あるいは家臣の前で、ヴィオラがあの内容を口にすれば、彼女の次期公王の地位すら危うくなる。恐らく、ナタリアの狙いはそれだ。
でも、侍女が独断でそんな大掛かりなことをするとは思えない。
リスクだけあって、得をすることがないから。
――つまり、得をする人間がバックにいる。
第二公妃が怪しいわね。
第二公妃が、第一公妃の娘、ヴィオラを排除しようとしていると考えれば辻褄が合う。であるならば、ヴィオラは継母に苛められている可哀想な娘、という訳だ。
……ふふっ。
ヴィオラが可哀想な娘とか、想像の中でもあり得なさ過ぎて笑っちゃった。
でも、これでスッキリした。
ヴィオラがやる気のない使用人を放置しているのは、この件を利用するためね。
ナタリアがお膳立てした舞台で、ヴィオラが失態を犯す、振りをする。そうしてナタリアや黒幕が騒ぎ立てたところで、自分が侍女にはめられた証拠を提示する。
そうなれば、公王は徹底的に調査するだろう。
黒幕もナタリアも、怠惰な使用人たちも、一人残らず一掃される。
そうして有能さを示せば、本宮へ返り咲くことも容易だろう。
ヴィオラはそのために、無邪気な子供を演じているって訳ね。自分の幼さすら利用して敵を排除するなんて、やっぱり貴女は怪物よ。
あまりに演技が上手いから、実は本当に無邪気な子供かも、なんて疑ったりもしたけど。この流れを見た感じ、彼女は敵を一掃するために演技をしているのが正解ね。
彼女が敵を叩き潰すところを特等席で観ることが出来る貴重な機会。楽しみね――と言いたいところだけど、下手をすると私も一緒に排除されかねないわ。
なにより、ヴィオラが本宮へ返り咲くなら、私もそれに同行する必要がある。連れていってもらえる程度には、彼女の役に立っておかなくちゃね。
そのためには……そうね、少しだけ彼女の企てに協力するとしましょうか。




