エピソード 1ー3
翌朝、宿を引き払った私は離宮の敷地へと足を踏み入れた。
今日から、ここが私の職場だ。
ヴィオラの暮らす離宮で、使用人として働くことになる。
油断はできない。
まずはメイドとしての仕事を続け、ヴィオラから信頼を勝ち取るのが当面の目標だ。私は昨日と同じように門を抜け、メイド長の部屋を訪ねた。
「おはようございます、メイド長」
「来ましたね、ノクス。ついてらっしゃい」
彼女の後に続き、離宮の長い廊下を歩く。
使用人の部屋がある区画。一番手前の扉の前でメイド長が足を止める。そこで彼女がノックをすると、ほどなくして若いメイドが顔を出した。
「メイド長? どうかしましたか?」
「メイドの補充です。まずは給仕見習いとして様子を見るので、貴女が面倒を見なさい」
「私が、ですか?」
メイドの髪がわずかに揺れる。厄介ごとを押しつけられた、という感じね。でも、それを態度には出さない。その辺の分別はあるのでしょうね。
門番の勤務態度が酷かったから、このメイドがまともそうで少し安心したわ。
「なにか問題はありますか?」
「いいえ、ありません」
「では、後は任せました」
メイド長は最後に私を見て、わずかに表情を曇らせた。
「ここで働く以上、辛いことにも直面するでしょう。ですが……いえ、これは私が口にすることではありませんね。今日からがんばりなさい」
そんな言葉を残して去っていった。
なんだか、すごく気になる言葉ね。
だけど、望むところだ。
ヴィオラが暮らす離宮で、平和な日々が始まるなんて思っていない。
何気ないふうを装い、私の面倒を任されたメイドの姿を確認する。
歳は二十歳くらいかしら? まだ若いけど、新人を任されたことに対する気負いはなさそうね。新人教育を任されるのはこれが初めてじゃない、と言ったところかしら。
大人しそうではあるけれど、さっきの態度を見るに、猫は被ってそうだ。
ブラウンの髪は肩に掛かる程度で綺麗に揃えられていて、身だしなみに気を遣っているのが分かる。恐らく、中堅のメイドと、いったところでしょうね。
そのメイドが、私を見て小さく息を吐いた。
「……それで、貴女は?」
「私はノクスといいます」
「そう。じゃあノクス。私はセレーネよ」
「はい、セレーネ先輩」
少しだけ親しみを込めて呼ぶと、彼女の顔に笑みが浮かんだ。
この娘――思ったよりチョロい。
「へぇ、まえはフィルベルク子爵家で働いてたんだ。いま何歳なの?」
「十五歳です」
「そうなんだ。十、十一歳くらいだと思ってた」
正解。
でも、あり得ないと言いたげに笑う。
「あはは。さすがにそんな歳から雇ってはもらえませんよ」
「それもそうね。でも、さすがに小さすぎない? ちゃんと食べてる?」
「母も小さかったので。でも、仕事でご迷惑は掛けません」
「ふぅん? ならいいけど」
自分で聞いておいて、あまり興味はなさそうね。移動中の場を持たせるための世間話、といったところかしら? やっぱり、取り繕うのは得意そうだ。
「じゃあ先輩は? ここに来て長いんですか?」
「四年ほどよ。ヴィオラ公女殿下が離宮に移るのと同時に雇われたの」
「すごい、古株じゃないですか」
「だーれーがー古株よ。私はまだ二十歳よ」
コツンと指でおでこを突かれ、「す、すみません~」と情けなく謝った。
ここまで全部演技。
それにしても、思いのほか興味深い話が聞けたわね。
セレーネの話が事実なら、ヴィオラがこの離宮に移ったのは四年前――つまり四歳の頃。ずいぶん幼少期から父と別々に暮らしていたのね。
「――それで、あっちが使用人用の大浴場。あっちは食堂ね。厨房はその奥。公女様の食事を作るのも同じ厨房だから、気を付けなさい」
「分かりました」
――って、え?
考え事をしていたせいで、思わず聞き流すところだった。
「公女様の食事を、使用人のと同じ厨房で作るのですか?」
「そっ。一応、スペースは分かれているけどね」
それは珍しいわね。
もちろん、そういう屋敷も少なくない。ただ、ヴィオラは公王家の第一公女だ。そんな彼女の食事が、使用人と同じ厨房で作られるのはかなり異例だ。
同じ厨房を使う利点より、毒殺なんかを警戒する手間の方が大変だもの。
それとも、その必要がないと思われている……?
「なにか理由が……」
それ以上は口にしなかった。
セレーネが、厳しい顔で私を見つめていたから。
「一応忠告しておくわね。あまり深入りしない方がいいわよ」
「それは――どういう?」
危ない。
考え込んでいたから、思わず過剰な反応をするところだった。
「深い意味はないわ。ただ、離宮には離宮のルールがあるの。それが分からないうちは、余計なことに首を突っ込まない方がいいよってだけ。ここで、長く働きたいのならね」
警告? いや、ただの忠告かしら?
どちらにせよ、彼女の言葉はもっともね。組織では、好奇心が旺盛な子から死んでいったもの。
「ご忠告に感謝します」
「分かればいいのよ。それじゃ、さっそく仕事をしてもらうわ」
彼女に従い、仕事を開始した。
セレーネに習いながら、食器を下げたり、テーブルクロスを交換したりする。この手の仕事は慣れている。そつなくこなしながら、さっきのセレーネのセリフについて考えた。
あの手のセリフは、諜報員として活動してたときに何度も聞いたことがある。大抵は、なんらかの不正があって、それを追及するな、という警告として聞かされた。
もしそうだとするなら、この離宮で不正が発生している、ということ?
ヴィオラが住まう、この離宮で?
あり得ない話、でもないわね。
アルヴェイン公王家は経済成長が著しく、封国でありながら、宗主国たるエルディア王国に対して大きな影響力を持っている。ゆえに、エルディア王国の王位継承者候補である第一、第二王子から、自らの陣営に加わるように迫られていた。
それでも中立、独立性を保ちたいアルヴェイン公王は、両派閥の有力貴族から一人ずつ娘を娶った。第一王子派を後ろ盾に持つ第一公妃と、第二王子派を後ろ盾に持つ第二公妃だ。
そうして中立を保っていたのだが、いまはそのバランスが崩れつつある。
第一公妃のエレオノーラが亡くなったから。
結果、残された第一公妃の娘、ヴィオラは離宮に追いやられた。
それがいまの現状。
ヴィオラが大人しくやられるなんてあり得ない。実際、回帰前の彼女は第一王子派を後ろ盾として、アルヴェイン公国の次期公王として猛威を振るっていた。
とはいえ、彼女もまだ八歳だ。いくら頭がよくても、権力や人脈は足りていないだろう。
実際、彼女が本宮に戻り、その地位を取り戻したのはもう少し先だ。
だから、この離宮の有様は、ヴィオラが手を入れる前、ということなんでしょうね。ヴィオラはきっと、この離宮を正すことで成長し、後の怪物へと至る足掛かりにする。
なら、私はそれの邪魔をしない。
私が勝利したい相手は最強の怪物。力を付ける前の彼女に勝利しても嬉しくもなんともない。
だからまぁ……彼女がかつての地位を手に入れるまでは様子見ね。
まずは、彼女が華麗に敵を排除する断罪劇を、特等席で見物させてもらいましょう。




