エピソード 1ー2
朝起きて、まずはランニングで町内を一周。続けて腕立てや腹筋などのトレーニングをこなす。
それがここ最近の日課。
最後に裏手の井戸で汗を流して宿に戻ると、物音に気付いた宿屋の女将さんが顔を上げた。
「今日もトレーニングかい? 毎日精が出るね」
「メイドは体が資本ですから」
力こぶを作る。
まぁ、まだ鍛え始めたばっかりだから、二の腕はぷにぷになんだけどね。
「その割に、十五歳と思えないほど身体が小さいけどね」
「あはは、これから成長しますよ」
「そうかい、じゃあしっかり食べないとね。朝食はいつも通り部屋でいいかい?」
「ありがとうございます」
愛想よく返事をして、二階の部屋に戻る。蝶番に挟んだ髪は……そのままね。扉を開けられた形跡はない。部屋の中も……うん。荷物袋の結び目も変わってないわ。
それらを確認してようやく、部屋の椅子に座って息を吐く。
――孤児院から抜け出して二週間が経つ。
古着屋で身だしなみを整えた私は、乗合馬車を使ってアルヴェイン公国へと移動。職探しでよそから流れてきたメイドと偽って宿を取った。
十五歳というのも、そのときについた嘘だ。
栄養が足りず、成長の遅い平民の子はいくらでもいる。十一歳と名乗るよりは、成長の遅い十五歳と言い張った方が怪しまれないから。
「食事を持ってきたよ」
扉を開けると、トレイを持った女将さんの姿。
トレイの上にはサンドウィッチと紅茶、それから新聞が載せられている。
「食べ終わったら食器と一緒に返しにきな」
「いつもありがとうございます」
お礼を残して扉を閉める。
部屋の隅っこにある机の上にトレイを置いて、サンドウィッチにかぶりついた。もう片方の手で新聞を広げれば、そこに待ち望んでいた記事が書かれていた。
『孤児院の闇』
……あの孤児院の記事ね。
人身売買で摘発されて、院長が逮捕されたと書かれているわ。
本人は人身売買を否定してるみたいだけど、詳しく調査されたらアウトでしょうね。子供は一人が行方不明。保護された孤児の数は……うん、合ってるわね。
あの時点で孤児院にいた、私以外の全員が保護されているわ。
こっちは……保護された子供のコメント?
……ふふっ。
友達が私を助けてくれたように、私も誰かを助けられるような人になりたい、か。
やっぱり強い子よ、貴女は。
回帰前と同じなら、アイシャは死ぬ定めだった。
でもそれは、組織の非常なやり方がアイシャに合わなかったからだ。
これからどんな人生が待っているかは誰にも分からない。けれど、自分の力で未来を勝ち取ったアイシャなら、きっと素敵な大人に成長するはずだ。
それを見られないのは少し残念ね。だけど、生きていればいつか出会うこともあるだろう。
「それにしても……私は行方不明扱いなのね」
川に落ちたと伝わっていないのかしら?
既に死んだものとして扱われると思ってたけど……まあいいわ。プロフィールを改ざんしたから、生きていると思われても見つかる可能性も低い。
いずれは死んだものとして扱われるでしょう。
そうすれば、アルナという孤児の存在はこの世界から消える。
それじゃ――そろそろ次のフェーズに移りましょう。
サンドウィッチの最後の一口にかぶりつき、机の上に一枚の手紙を用意した。まえに勤めていたお屋敷で書いてもらった紹介状――の、偽造品だ。
もちろん、素人の偽造なんてすぐにバレる。
でも、これは違う。
私が偽造した紹介状は、回帰前の知識を動員して、限りなく本物を模倣している。
それに、紹介状の署名主も、少し前に没落して行方知らずとなった貴族のものだ。偽物を疑う者がいたとしても、その真偽を確認するのはほぼ不可能だ。
「任務を遂行する」
そうして向かったのは、街にあるギルド。
そこで偽造した紹介状を使い、メイドの求人を紹介してもらった。そのリストの中に、アルヴェイン公王家の離宮が出しているメイドの募集を見つけた。
離宮の主は、亡きエレオノーラ第一公妃の娘――ヴィオラ。彼女は権勢を振るうベアトリス第二公妃によって、本宮から遠ざけられている。
落ち目の公女。
そんな政治背景から募集条件が揺るく、私は問題なく面接資格を得ることが出来た。
翌日の正午前。
身だしなみを整えた私は、アルヴェイン公王家の離宮を訪ねた。
壮麗な門の前には、二人の兵士が立っている。
「何者だ?」
「メイドの求人を見てきました。こちら、ギルドでもらった書類です」
「そうか。なら、あそこに見える裏口から入り、右の廊下の一番奥がメイド長の部屋だ」
「……え?」
内容を確認しなくていいの? というか、一人で向かえってこと? 兵士が二人いるのに、中に連絡をすることもなく、見張ることもなく、屋敷の中に好きに入れって?
……正気?
「どうした?」
「い、いえ。かしこまりました」
取り繕って敷地内に足を踏み入れる。
あぁ、びっくりした。
思わず態度に出すところだった。なにかの罠? それとも、これも試験の一環? この状況で妖しい動きをするか、こっそり監視されてる、とか?
その割に、私を見張るような気配はないけど。
でも、普通に考えて、ヴィオラに仕える兵士が無能なんてあり得ないわ。
油断は禁物。気を引き締めていきましょう。
……着いちゃった。
なにか仕掛けてくると覚悟していたのに、なんの問題もなくメイド長の部屋に着いた。扉をノックすると、三十歳くらいの落ち着いた様子のメイドが出迎えてくれる。
彼女は私の頭の上を見回して、それから足元にいる私に気付いて視線を落とした。
「貴女が求人に応募してきた娘ね。ずいぶんと幼いようだけど……」
「身長が伸びなくて。でも、歳は十五になります」
「十五ですか? とてもそうは見えませんが……」
「身長は低いですが、仕事は問題なくやれます」
胸を張れば、メイド長は「やる気はあるようですね」と頷いた。
「ひとまず中へ、そこで詳しい話を聞かせてくれますか?」
「かしこまりました」
彼女の後に続いて部屋の中へ入る。
メイド長というだけであって、部屋は一般的なメイドの部屋より広いわね。
でも……思ったよりも質素だ。
お湯を沸かす魔導具なんかはあるけれど、それ以外にはほとんどなにもないじゃない。メイド長の部屋なら、もう少し調度品なんかがあってもおかしくないのに。
これなら、院長の部屋の方がお金を掛けているわね。
ヴィオラってまさか、部下に報酬を支払わないタイプ?
「こほん」
っと、いけない。
この状況で辺りを見回すのは失礼ね。
「今日はお時間を取ってくださり、ありがとうございます。私はノクスと申します。フィルベルク子爵家で一年ほど働いていました」
アルナは死んだ。
いまの私はノクス。働いていた前の職場、フィルベルク子爵家が没落してなくなったため、新たな職を探して公国に流れてきた十五歳の娘だ。
「前の職場では、主になんの仕事をしていましたか?」
「色々です。大抵のことは出来ますから」
「……え?」
メイド長がぱちくりと瞬いた。
っと、この年でその発言は少しマズかったわね。
「失礼しました。前の職場では、メイドの仕事が細分化されていなかったものですから」
これは言い訳。
だけど信憑性のある話だ。
上位貴族なんかは、各仕事に特化した使用人を雇うのが普通だ。けど、下級貴族の家では、数人のメイドに、すべての仕事を持ち回りでさせる、なんてことも珍しくはない。
没落したフィルベルク子爵家も後者だった。
「なるほど。では、まずは紅茶を淹れてくれますか?」
あぁ、それでお茶を沸かす魔導具が部屋にあったのね。
貴族の家になら当たり前のようにあるけれど、一般的な家庭で目にする機会は少ない。これがお湯を沸かす魔導具だと分かるかどうかが最初の試験、と言ったところかしら。
「そちらの魔導具を使わせていただいても?」
私が問うと、メイド長はふっと表情を和らげた。
「使い方が分かるなら、そこにあるものはすべて使ってかまいません」
「かしこまりました」
魔導具のまえに立つ。
緊張は……とくにしないわね。工作員として、何度もメイドの振りをしたことがある。紅茶を淹れるくらいならお手の物よ。
私は手際よく紅茶を用意、メイド長の前に差し出した。
「所作は申し分ありませんね。味も……合格です」
紅茶を飲んで、ほうっと息を吐く。
メイド長は私に向き直った。
「ノクスといいましたね。いつから働けますか?」
「宿を引き払えばすぐにでも」
「では、明日から住み込みで働いてもらいます。まずは給仕見習いとして働きなさい。そこで様子見をした後、問題なければ正式に雇いましょう」
「ありがとうございます」
よし、第二関門もクリアよ。
メイド長に挨拶をして、部屋の外へ出る。
――っ。
廊下に、まだ十歳にも満たないような、小さな女の子がたたずんでいた。
細かいウェーブが掛かった銀色の髪にアメシストの瞳を持つ、可愛らしい女の子。私の記憶よりもずいぶんと幼いけれど、その容姿にはあの日に見た面影がある。
彼女は――と、驚く私の背後から、メイド長が顔を覗かせた。
「――これはヴィオラ公女殿下。このようなところにいらして、どうかなさったのですか?」
やっぱり、彼女はヴィオラだ。
私を圧倒した怪物が、まだ八歳の、あまりに幼い姿で私のまえにいる。
いまなら、彼女を手玉に取ることだって出来そうだ。
……いや、慢心はダメね。
その愛らしい外見に騙されちゃいけない。
ここは彼女の城。油断をすれば瞬く間に食われる。
でも……なぜ彼女がここにいるの? ただの偶然? あるいは、私が怪しまれるようなミスをした? それともまさか、彼女にも私と同じように回帰前の記憶があるの?
分からない。
だけど、たとえどんな理由だったとしても、彼女は決して侮っていい相手じゃない。緊張していることを悟らせる訳にはいかないわ。
逆に背筋を伸ばし、堂々と頭を下げた。
「初めて見る顔だね。新しい使用人なの?」
ヴィオラはメイド長に視線を向け、コテリと首を傾げた。
「彼女はノクス。フィルベルク子爵家にメイドとして仕えていたそうです。すべての業務を受け持っていたとのことですので、ひとまずは給仕見習いとして働いてもらうことにしました」
「そうなんだ。私はヴィオラ、よろしくね」
無邪気に笑う。
ただの可愛らしい子供にしか見えないわね。
でも、そんなことはあり得ない。偽装も完璧ということでしょうね。
だけど、偽装しているのは私も同じだ。
「もったいないお言葉です。こちらこそ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた後、「準備もありますので、これで失礼いたします」と笑ってみせた。ヴィオラがなにか答えるより早く、踵を返して一歩を踏み出す。
何事もない。大丈夫、このまま立ち去ればいい。
そうして二歩目を踏み出すが――
「――そうだ」
ヴィオラが声を上げた。
……やっぱり、このまま立ち去らせてはくれないか。
探りを入れられると分かっているけど、ここで無視するのは得策じゃないわ。
「……どうか、なさいましたか」
クルリと振り返り、軽く首を傾げて見せた。
「あのね。最近、香水に興味があるの」
「まあ、そうなのですね」
なんて、あり得ないでしょ。
私の知る限り、回帰前のヴィオラが香水を使っていたという情報はない。私の最期を見届けに来たときも、彼女はなんの香りも纏っていなかった。
興味があるなんて嘘をついて、なにを探ろうとしているの?
「それでね。フィルベルク子爵夫人がどんな香水を好んでいたのか教えて欲しいなって」
……なるほど。フィルベルク子爵家で働いていた人間しか知らないようなことを聞いて、私の経歴の裏を取ろうとするなんて、やっぱり貴女は油断ならない女よ。
「フィルベルク子爵領では、特産品のローズマリーを使った香水が有名でした。若い娘にも人気なので、お嬢様も好まれるかもしれませんね」
微笑みを一つ。
ただ――と付け加えた。
「夫人は強い香りを嫌っておいででしたので、香水を付けることは滅多にございませんでした。立場上、そのことをあまり口外はなさっていなかったようですが……」
「へぇ、そうだったんだ。教えてくれてありがとう」
白々しい。
どうせ知っていたんでしょう?
でもいまは、彼女の反応に合わせるのが得策よ。
「お役に立てたのならよかったです」
そつなく答え、顔に笑みを張り付かせる。
さあ、これで終わり? 終わりよね。
「それでは、これで失礼します」
「あ、ちょっと待って」
またしても呼び止められた。
「……はい、なんでしょう?」
「えっと……その、これからよろしくね!」
視線を泳がせた後、意を決したようにそんな言葉を口にした。
……可愛いわね。
あの美しい怪物が、幼少期はこんなにも無邪気だったんだ――って、危ない。演技だと分かっているはずなのに、思わずこれが素なのだと騙されそうだ。
もしかして、警戒させておいて、ただの挨拶で油断させるところまでが策略?
それに、よろしくってなに? 私を疑ってる? それともただの探り? こうして警戒することこそ、彼女の術中にはまっているのかしら?
いや……落ち着こう。
怪しまれるような行動はとってないはずよ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そつなく挨拶をして、今度こそ、彼女の前から撤退した。
……ふぅ、少し焦ったわ。
まさか、面接の日からこんなふうに仕掛けてくるとは思わなかったわ。油断ならないと言いながら、心のどこかで油断していたのね。
まだ幼い、八歳の彼女なら、それほど恐れる必要はない、と。
思い上がりもいいところよ。
彼女はアルヴェイン公国が生み出した怪物。
私を殺した最強の敵。それを思い出した。
だから、もう二度と、その愛らしい外見に騙されたりなんてしないわ。




