エピソード 3ー4
闇鴉が用意した馬車に乗り、アルヴェインの離宮へと戻る。その道すがら、向かいの席に座る男の子、クルトがおずおずと口を開いた。
「……あの、お姉ちゃんに会わせて、くれるんですよね?」
「ええ、その通りよ」
クルトから緊張感が和らいだ。
警戒している相手の言葉で安心するなんて、やっぱりまだまだ子供ね。
私の一つ下、つまりヴィオラの二つ上。でも、ヴィオラの方がずっと大人びている。
たぶん、クルトの方が普通なんでしょうね。
「お姉ちゃんは元気ですか?」
「……まあ、元気と言えば元気ね」
今度はぱぁっと笑顔になった。
ほんっとうに分かりやすい。
「セレーネのことが好きなのね」
「うん! ……でも、お姉ちゃん、病気ばっかりしてる僕のためにいつも無理をしてて……だから、お姉ちゃんになにかあったら嫌だなぁって」
「そう……」
無理どころか、公女を殺そうとして、処刑されそうになっていた。子供に言うことじゃないんだけど……言わなきゃ、色々とマズいのよね。
セレーネが屋敷で働いていて、クルトを保護する以上、避けては通れない道だ。
でも、ヴィオラにはまだ荷が重い。
かといって、セレーネに説明させるのは……きっと、クルトが傷付くわね。
小さく息を吐き、クルトに視線を向けた。
「落ち着いて聞きなさい。先に言っておくけど、これはすべて解決したことよ」
「え、急にどうしたんですか?」
「セレーネのことよ。彼女、許されないことをして罰を受けたの」
「え、じゃあ、お姉ちゃんは!?」
驚いて立ち上がったクルトが揺れる馬車に足を取られて倒れ込んでくる。その小さな身体をさっと受け止める。クルトはコツンと、私の胸に頭をぶつけた。
そうして硬直する彼の身体を引き起こし、私の隣に座らせた。
「落ち着きなさい。解決済みだと言ったでしょう」
「じゃあ、姉ちゃんは無事なんですか?」
「無事よ。セレーネの想いを無駄にしなくなければ落ち着きなさい」
「――っ」
クルトは口を閉じ、一言もしゃべらないとばかりに息を潜めた。
年相応に幼いけれど、お姉ちゃん想いのいい子ね。
「貴方の姉はやってはいけないことをしたの。でも、それを許された。セレーネという名前を捨てて、別の名前で生きることと引き換えにね」
「もしかして、お姉ちゃんは僕のために?」
誤魔化すのは簡単だ。
でもそうすると、クルトはきっとセレーネを問い詰める。
「……そうよ」
クルトの目に涙が浮かんだ。その雫はすぐに大きくなり、ぽろぽろと溢れ始めた。
あぁもう、こういうの苦手なのよね。
「貴方が頼んだわけじゃないでしょう? 貴方が責任を感じる必要はないのよ」
「でも、僕のために無茶をしたんだよね?」
「そうね」
だけど結局のところ、セレーネは自分がそうしたいからやっただけだろう。クルトに感謝して欲しいとか、そんな気持ちで助けたわけじゃないはずだ。
だから、まぁ……そうね。
「迷惑なら迷惑って、言ってやればいいのよ」
「迷惑なんて、そんなことないよ!」
でしょうね。
「なら、ありがとうって言って、出来る範囲でお礼をすればいいのよ」
「……お礼? なにをすればいいのかな?」
「まずは病気を治しなさい。それがきっと、一番のお礼になるはずよ」
クルトの頭をぽんぽんと撫でる。それとほぼ同時、馬車が離宮の裏口の前でゆっくりと停車した。私は先に馬車から降りたって、クルトに手を伸ばす。
「ようこそ、ヴィオラ公女殿下の離宮へ。貴方の自慢の姉が待っているわ」
クルトの手を引いて、セレーネが滞在している部屋の扉を叩く。それからノクスであることを告げると、ほどなくして扉が開いた。
「ノクス様、なにかご用ですか?」
「ええ、約束を守りに来たわ」
一歩横に退く。
そうして開けたセレーネの視界。彼女は私の背後にいたクルトを見つけて息を呑んだ。
「……クルト」
「お姉ちゃん……」
二人が息を呑んで見つめ合う。
私はクルトの背中を押して、セレーネごと部屋の中へと押し込んだ。
触れ合う二人。最初に口を開いたのはセレーネだった。
「クルト、身体の調子は、大丈夫?」
「お姉ちゃんこそ、僕のために無茶をしたんだよね?」
「それ、は……」
セレーネが不安げな視線を向けてくる。大丈夫、それ以上のことは話していないから。そんな想いを込めて微笑めば、セレーネはほっと息を吐いた。
「私がやりたくてやったことだから、クルトは気にしなくていいのよ」
「でも、僕のせいで……」
クルトは言葉を濁し、そこで一瞬だけ私を見た。
私が頷き返すと、彼はセレーネに向かって笑いかける。
「ありがとう、お姉ちゃん」
その瞬間、セレーネの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「……うん! どういたしまして、だよ!」
セレーネがクルトの小さな身体を抱きしめる。
私には、家族愛とか、そういう気持ちはよく分からない。でも、セレーネは弟のために命を投げ出した。そんな彼女だから、これからも弟のために忠誠を誓ってくれるだろう。
私は二人を残し、そっと部屋をあとにする。
それからいくつかの雑務をこなし、最後にヴィオラの部屋を訪ねた。
「ヴィオラ公女殿下、そろそろお休みの時間ですよ」
「うん。じゃあ、いつものように髪を纏めてくれる?」
「かしこまりました」
鏡台の前の椅子に座るヴィオラの背後に立ち、彼女のふわふわの髪に手を伸ばした。丁寧に櫛で梳いた後、眠っているときに髪が傷まないようにリボンで結ぶのが最近の日課。
その作業を続けていると、鏡越しにヴィオラと目が合った。
「どうしました?」
「……今日、なにかあった?」
「なにか? あぁ、セレーネを弟に引き合わせました」
「そうなんだ、よかった!」
「そうですね。これで、彼女はヴィオラ公女殿下を裏切らないでしょう」
よかったですねと微笑みかける。だけど、ヴィオラはなぜか不安そうな顔をした。
「……ノクスの家族は、どうしているの?」
「さあ、どうでしょう。生きているのか、死んでいるのか……私は物心ついてほどなく、孤児院へ連れていかれましたから」
「そう、なんだ。その……ごめんなさい」
なんでヴィオラが悲しそうな顔をするのよ。
「謝る必要なんてありませんよ。すべては過去の出来事ですから」
「ノクスは、家族に会いたいって、想わないの?」
「いまは、もう、思いませんよ」
孤児院に入ったばかりの頃は、唯一の持ち物だったネックレスに縋っていた。それを持っていたら、いつか両親が見つけてくれるかもしれないと、そう思っていたから。
でも、そのネックレスは院長に取り上げられた。いつか、家族が迎えに来てくれるかもなんて幻想も、組織に売られたときに捨ててしまった。
「……と、髪を纏め終わりましたよ」
「うん、ありがとう」
鏡に映るヴィオラの元気がない。
「ヴィオラ公女殿下、どうかしました――か?」
急に振り返ったヴィオラに腕を掴まれた。
「ノクス、今日は一緒に寝よう」
「……急に、どうなさったんですか? そんな、子供みたいなことを言って」
いや、たしかにヴィオラは子供なのだけど。でも、ただの子供じゃない。次期公王がそんな甘えたことを言っては困る。そうたしなめようとした。
「子供じゃないよ。大人だから、ノクスと一緒に寝るの」
「……よく分かりません」
私は、相手に対して、理解できないというのがあまり好きじゃない。だってそれは、自分の理解力の低さを認めるようなものだから。
だけど、いまは本当に、ヴィオラの言葉が理解できない。
一人で眠りたくない子供の可愛い言い訳?
違う気がする。
でも、じゃあなんなのかが分からない。
「ノクス、分かった?」
怒っているような、拗ねているような、心配しているような顔。様々な感情を抱いたヴィオラを前に、湧き上がるのは初めて抱く感情だった。
「分かりました。一緒に寝れば、いいんですね?」
「うん、そうだよ」
ヴィオラは愛らしく微笑んだ。
そうして、ヴィオラと同じベッドに潜り込む。
「えへへ、ノクスと一緒だ」
「今日だけですよ」
私の胸に擦り寄ってくる。
未来で私を殺した公女、いまはまだ幼女でしかない。
未来の怪物の頭を撫でながら、私はゆっくりと目を閉じた。
――翌朝。
ヴィオラの温もりが残るうちに、アルヴェイン公王に謁見の許可が下りたと報告が届いた。




