エピソード 3ー3
使用人の入れ替えは順調だ。
ヴィオラへの教育も進んでいる。でも、いまの彼女には明確な弱点がある。
それは、身元も不確かな小娘――つまり私が侍女であることだ。
いや、この際、身元自体はどうとでもなる。でも、私がヴィオラの侍女という事実は、あの密室で決められたこと。離宮では通用しても、よその場所では通用しない。
だから、その問題を解決するべく奔走していると、廊下でシエルと出くわした。
「……おや、誰かと思ったら貴女でしたか」
「え? あぁ、この格好ね。少し街に出ようと思って」
闇ギルドへ向かう予定の私は、前回と同じ工作員時代の装いをしている。
それをシエルに見せるのは初めてだけど……いまさらね。
どうせ、ただのメイドとは思われていないだろう。
「そう、ですか……」
すごくなにか言いたそうな顔をしているけれど、私は素知らぬ顔で通した。
「それより、一つお願いが」
「……なんでしょう?」
「ヴィオラ公女殿下の名前で、アルヴェイン公王陛下に謁見の許可を取ってください」
「すぐに手配します」
話が早くて助かるわ。
理由を聞いてこなかったけど、たぶん分かっているんでしょうね。未来のヴィオラが従えていた側近は、この頃から優秀だったという訳だ。
今年で、たしか十七歳だっけ?
線の細い中性的な美青年なんだけど、わりとキャラが被っているのよね、私と。
もしかして、ヴィオラの好み、ということかしら?
「なんですか、人の顔をじろじろ見て」
「いや、貴方のことをあまり知らないなと思って」
「自分の過去を語らないくせに、私の過去には興味がおありですか?」
茶化すような口調。
あえてそんなふうに笑うのは、踏み込まれたくない意思表示かしら? でもごめんなさい。私のこれはただの興味本位なんかじゃないの。
「あるわ。貴方がなぜ、ヴィオラ公女殿下の執事になったのか。その理由によっては、方針でぶつかることもあるかもしれないでしょ?」
なのに、彼と私は一度も意見で対立していない。
セレーネの件など、判断が分かれる案件がいくつもあるのに。
「かと言って、やる気がないわけじゃないようだし……どうして?」
「サポートに徹するように命じられたからでは、納得いただけませんか?」
「それならそれでいいわ」
言いたくないのなら無理には聞かない。
そう仄めかすと、シエルはわずかに息を吐いた。
「ただ、子供が大人の都合で振り回されるのが嫌い、ただそれだけです」
「……そう。教えてくれてありがとう」
おそらく、過去にもそういう出来事があった、ということでしょうね。詳細が気にならないといえば嘘になるけど、彼がなぜヴィオラに手を貸すか、その理由が分かればいまは十分だ。
回帰前もヴィオラの味方だったことも合わせて、ひとまずは信用していいだろう。
「相談なのだけど、セレーネが生きていること、どこまで話すべきだと思う?」
離宮の使用人や門番などはそこまで多くない。とくに、セレーネの顔と名前を一致させる人間に絞れば十人程度。その大半が解雇となる。
でも、メイド長とミアは別だ。あの二人は屋敷に残ることが決定し、なおかつセレーネの顔を知っている。秘密を共有した上で、外に漏れないように協力してもらうのが現実的。
ただ、信用できるかどうかは別問題だ。
それを伝えると、シエルは意外そうな顔をした。
「貴女はもっと自信家だと思っていました」
「否定はしないわ。でも、あんなふうに相手を許して、忠誠を勝ち取ったことがないのよ」
セレーネの方は分かりやすい。
なぜなら、彼女には後がない。必然的にヴィオラを裏切ることが難しい。信頼関係はあくまでおまけであり、彼女が従うのはそうせざるを得ないからだ。
でも、ミアとメイド長は違う。
いま心から感謝をしていても、それが明日も続くとは限らない。
裏切ろうと思えば、いつだって裏切ることが出来る。
「貴女は、他人を信頼するのが怖いんですか?」
え? 意味が分からないわね。
「貴方のことは信用しているつもりだけど……」
「それは行動原理を理解した上で用いているだけでしょう?」
「もちろんそうよ」
だから、ノクスがなぜヴィオラの味方をするのか確認した。行動原理が分かれば、相手がなにをするかも、ある程度は予想がつくから。
「違いますよ。私が言っているのは、他人を信じて頼りにすることです」
「他人を、頼りにする?」
……なにそれ。
組織は、ヴィオラに負けた私を切り捨てた。
工作員としての、私の価値がなくなったからだ。
レイカーは自分を育ててくれたロウェンを裏切った。
自分がトップに上り詰めるために。
人がなにかをするのは、叶えたい目的があるからでしょう? 誰かを信頼するって、その人が目的を度外視で助けてくれるかもって、期待するってことよね?
そんなの、出来るわけがない。
「……貴方は、他人を信頼するの?」
「するときもありますよ」
信じられない。
未来のヴィオラの側近が、既に子供じゃない彼が、他人を信用するの?
それで、権謀術数に塗れた世界を生き抜くことが出来るの?
「ヴィオラ公女殿下は、貴女を信頼していると思いますよ」
「それは……依存でしょ?」
ナタリアに騙されて、手を差し伸べたのが私だった。
ただそれだけのことだ。
ヴィオラにはいつか、私だって裏切ることがあるのだと、理解してもらわなくちゃいけない。そんなことを考えていると、ノクスがふっと笑みを零した。
「……笑われるようなことを言ったつもりはないのだけど」
「おっと、失礼しました。ただ、貴女のことが、少しだけ分かった気がします」
知った風な口を利かないで欲しいわね。
「……まあいいわ。ひとまず、セレーネたちのことは貴方に任せる」
「いいのですか?」
「私に見えないことが、貴方には見えているみたいだからね」
それが正しければそれでよし。
もし問題になるようなら、そのときに対処すればいい。
心構えさえあれば、意外となんとかなるものだ。
「では、彼女たちのことは私が調整します。それで、ノクス、貴方は?」
「セレーネの弟を迎えに行くわ。それと、もう一件、有能そうなメイドたちの話を聞いたから、足取りを追えないか、ちょっと調べてみるわ」
そう言い残して踵を返し、私は闇ギルドに向かった。
灰鴉商会の受付で符牒を使い、前回と同じように闇ギルドへ足を踏み入れる。今回は、前回のように囲まれることもなく、問題なくロウェンの待つ個室へと案内された。
ローテーブルの上には酒瓶は一つ、黒塗りのグラスが裏返しに伏せられている。
「……喪に服してるの?」
「闇の住人に葬儀なんて上等なものはねぇよ」
彼は笑ったけれど、黒塗りのグラスは献杯に使うものだ。
……いや、グラスは裏返しね。
「裏切り者に献杯はしねぇ。だが、俺にとっては息子同然だったからな」
彼は酒瓶を掴み、伏せられたグラスに一滴のお酒を落とした。
まるで、墓石に酒を注ぐように。
……私にとっては義理も人情もない裏切り者。
だけど、彼にとっては違ったのね。
こんなに慕われていて、なにが気に入らなかったのかしら?
私には分からない。でも、彼にはそうするだけの理由があった。
世の中、ままならないことばかりね。
「――――」
ロウェンがなにか呟いた。その言葉はきっと、不義理な息子への別れの言葉なのだろう。酒瓶をローテーブルの上に戻した彼は平常通りに見えた。
「さて嬢ちゃん。クルトを受け取りに来たんだろう?」
「ええ。ただそのまえに、一つ追加で依頼があるの」
そうしてローテーブルの上に置いたのは、ミアの先輩を筆頭に、ナタリアに逆らって解雇された者たちの情報をまとめた書類。
「この人たちを探し出して欲しいの。目的は再雇用だから、身辺調査なんかもお願い」
「再雇用? 嬢ちゃんはなにをやってるんだ?」
「聞いてない? 離宮の掃除をしてるのよ」
「掃除、ねぇ。なるほど、それは大変だな」
言うまでもなく察したのだろう。
彼は苦笑した後、「ひとまず探しておいてやる」と答えた。
「それじゃ、クルトを連れてくるから、そこでちょっと待ってな」




