エピソード 2ー8
◆◆◆
ノクスを送り出した後、ロウェンは部下に彼女の尾行を命じた。もっとも、それは形式的なものでしかない。ノクスの歩き方一つ取ってみても、ただ者ではないことが分かったから。
(撒かれて終わりだろうな)
そんなことを考えながら奥の部屋に戻る。
「親父、大丈夫か?」
声を掛けてきたのはレイカーだった。
(……こいつが、スパイ?)
レイカーを拾ったのは十数年前。
そのときの彼はまだ十歳くらいの頃だ。親子ほど歳が離れていることもあり、ロウェンはレイカーを息子のように可愛がっている。
そんなレイカーが裏切り者というのは、にわかに信じがたい話である。
だけど同時に、それが事実なら腑に落ちる点がいくつもある、というのも事実だ。以前から、闇鴉では情報の漏洩が疑われるような件がいくつかあり、その犯人はいまも見つかっていない。
レイカーが犯人なら、辻褄が合ってしまう。
「――っ」
強く唇を噛んだ。
ロウェンは元貴族だ。だが、エルディア王国の貴族に逆らってすべてを奪われた。
家名だけでなく、愛する妻や息子までも。
そして、レイカーはそんな息子とよく似ていた。
だから、息子のように可愛がった。
だが、その出会いが仕組まれたものだったとしたのなら……
「……親父?」
「あぁいや、大丈夫だ」
あり得ないことだと頭を振る。
そうだ、試せばいい。
裏切りの証拠を掴むのではなく、レイカーの潔白を証明するために。
ロウェンは素早くそのための道筋を構築する。
「実は荷の輸送を頼まれた」
「荷の輸送を、わざわざ俺達に?」
「ああ、かなり重要な物らしい。なんせ、囮の馬車を用意するくらいだからな」
「……囮の馬車?」
頼むから食いつかないでくれ。そう心の中で念じながら、灰色の幌の馬車と黒い幌の馬車を用意してあると説明する。
「そのうえで、囮である灰色の幌の馬車はおまえに任せる」
「おいおい、俺が囮かよ」
「おまえは俺の息子みたいなものだからな。だからこそ、囮として機能するってもんだろ?」
「まぁ、いいけどよ。次は本命を任せてくれよ?」
「ああ、もちろんだ」
今回、何事もなければ。そのときは、レイカーにマスターの地位を譲ってもいい。
だから、何事も起きないでくれと、ロウェンは強く願った。
そうしてレイカーを見送った後、ロウェンは部下の一人を呼びつけた。
「お呼びになりましたか?」
「ああ。セバス、おまえにしか頼めないことだ」
彼は元執事、ロウェンが貴族だった頃から仕えている。
ゆえに、今回の仕事を任せられるのは彼しかいない。
「黒い幌の馬車に積んだ荷を、誰にも言わず、秘密裏に運んで欲しい。だが、それは囮だ。襲撃の可能性はあるが、そのときは荷を放棄してかまわない。俺に報告することを最優先にしてくれ」
「――かしこまりました」
翌日の早朝。
レイカーとセバスが別々に行動を開始した。それを見送り、ロウェンもまた行動を開始する。ノクスより依頼された、クルトという子供を保護するためである。
「……ここか」
ロウェンが訪れたのは、下町にある安い下宿屋。受付にいる女主人に見つからないように潜入して、ターゲットがいる部屋の扉を小さくノックした。
「……はい?」
弱々しい声を聞いて、部屋の中に滑り込む。
部屋の主――子供はベッドの上に横たわっていた。歳は十歳と聞いていたが、それよりも小さく見える。色白で痩せ細っている、病弱そうな少年がそこにいた。
「おまえがクルトか?」
「そうですけど……貴方は?」
「迎えだ。この手紙を読めば、分かるはずだ」
ノクスから受け取った手紙を手渡す。
だが、読んだクルトが不意に涙を流した。
(おいおい、なにが書いてあるんだ? 騒がれたら、秘密裏に運び出すなんて不可能だぞ)
そんな心配をするが、それは杞憂だった。
クルトは不意にその手紙を胸に掻き抱き、ロウェンを見上げた。
「手紙には、貴方に従うようにと書いてあります」
「そうか。では従ってもらおう」
彼はその言葉にコクリと頷いた。
「えらく素直だな」
「姉は、僕のためにたくさん無理をしてくれているんです。僕がいなければ、もっと自由に生きられたはずなのに。だから、せめて、これ以上は足を引っ張りたくないなって……」
「……そうか。なかなかどうして、気合いが入ってるじゃねぇか」
貧弱な見た目なのによぉと、ロウェンはクルトの頭を撫でた。
「ちなみに、運び出すものはあるか?」
「なにも。あぁでも、アンナさんには挨拶をしたいのですが」
「アンナ?」
「ここの宿の女主人で、僕の世話をしてくれていたんです」
(子供がどうやって一人で生活をしていたのかと思ったが、その女主人のおかげ、という訳か)
「事情は分かったが、直接会って話すのはダメだ」
「そう、ですか」
クルトがしょんぼりと下を向いた。
だが、それ以上のわがままは口にしない
そして、ロウェンはこういう、わがままを言えない子供に弱かった。
「……書き置きなら許可する。俺が代筆するから、書きたいことを言え」
「――はいっ!」
こうして、ロウェンは任務を遂行した。
クルトを汚れた毛布にくるみ、誰にも見られないように運び出す。彼が想定よりも小さかったこともあり、その任務は滞りなく進められた。
そしてほどなく、クルトを灰鴉商会の一室で保護する。
「まずは医者の手配をする。その後は、しばらく養生していてくれ。数日で迎えが来るはずだ」
ロウェンが用件を告げて退出しようとすると、クルトに呼び止められた。
「あの、ありがとうございます。それで、えっと……貴方の名前は?」
「ロウェンだ。だが、覚えなくていい」
名前を残し、部屋から退出した。
(これで嬢ちゃんの依頼は完了、後は手紙を出すだけだな)
闇鴉のギルドに戻る。そうして一息吐いたところに、セバスが戻ってきた。だが、彼を見たロウェンは息を呑む。腕などにいくつか傷を負っていたからだ。
「――なにがあった?」
「襲撃を、受けました」
「…………そうか」
ありもしない依頼。
囮の荷物。
その馬車に重要な物が詰まれていると思っている人間は、この世で一人しかいない。
(残念だ、レイカー。俺はおまえを、本当の息子のように思っていたんだぜ?)
「あぁ、イライラする!」
スラムにある路地裏で、通り道を塞ぐゴミ箱をドカンと蹴っ飛ばす。
レイカーは言いようのない苛立ちを覚えていた。
その理由は、レイカーが情報を流していることに起因する。
彼が情報を流すのは第二王子派の組織。
理由は、それが妹を助けるための条件だったからだ。
親が借金をして、レイカーと妹は組織に売り飛ばされた。本当なら、そこで兄妹ともども、最悪の人生を歩むはずだった。
だが、組織の者がある提案をしてくれたのだ。
『おまえがスパイとして働くなら、妹には普通の生活を送らせてやる』――と。
そうして、レイカーは闇鴉に潜り込んだ。あるときは闇鴉の情報を組織に流し、またあるときは組織の情報を使って闇鴉内で手柄を立てた。
だが、組織は一度として、妹に会わせてはくれない。
この十数年間で、ただの一度も。
ロウェンにすべてを話そうとしたこともあった。
レイカーは腰に吊った剣へと手を伸ばし、柄頭を親指でなぞる。幹部へ上がった祝いだと、ロウェンから贈られたものだ。
そんな親父なら、すべてを受け止めてくれるかもしれない、と。だが、実の父親に捨てられたという過去が、レイカーに二の足を踏ませた。
結局、レイカーは第三の選択を選んだ。組織の力を利用して、闇ギルドのマスターへと上り詰め、自分の力で妹を見つける、という選択だ。
(だが、いまはまだ、俺の計画を誰にも明かすわけにはいかねぇ)
そんなことを考えながら闇ギルドに戻ると、マスターが部屋で待っていると告げられる。その言葉に従って部屋に入ったレイカーは息を呑んだ。
部屋の中央には剣を持ったロウェンが立っており、周囲を固めるようにも武装した幹部が詰めていたからだ。
とっさに後ずさるが、既に背後にも武装した部下が控えていた。
「レイカー、裏切ったな」
ロウェンの一言で、レイカーは己の運命を悟る。
裏切り者には死を。それが闇鴉の掟。その運命に抗うために、レイカーは腰の剣に手を掛ける。彼の実力ならば、ロウェンに届いたかもしれない。
だが、その剣はロウェンから贈られた品。その事実が、レイカーの動きをわずかに鈍らせた。その一瞬の隙、彼はロウェンの一撃で斬り伏せられる。
レイカーが最期に目にしたのは、自分を育ててくれた男の悲しげな表情だった。
◆◆◆
闇ギルドを訪ねた翌日の夜。シエルが差出人のない手紙を差し出してきた。ただし、その手紙には、濡れ羽色の羽が一枚、封蝋の下に挟まれていた。
「貴女宛だそうですよ」
「ええ、心当たりはあるわ」
封を開けると二枚の手紙、一枚目は匿名――クルトの、姉に当てた手紙だった。
そして二枚目には、簡潔な文章が書かれていた。
『依頼の荷は、無事に倉に入った。保存状態はよくなかったが、こちらで対処している』
保護したクルトの容態は思わしくないみたいね。でも、対処しているということは、そこまで重い病気でもない、といったところかしら?
これなら、ヴィオラによい報告が出来そうね。
それと、追記された一文。
『掃除も終わった。おまえのおかげだ』
……そうか、レイカーは死んだのね。気に入らない男だったけど、決して無能ではなかった。もっと別の形で出会っていたら、また別の関わり方をしていただろう。
私はわずかな沈黙を捧げ、それからシエルへと視線を戻す。
「使用人や門番の素行調査は順調?」
「ええ、セレーネが手伝ってくれていますので、思ったよりも早く終わりそうです。……そうそう、貴女の報告書にもあった、職務怠慢な門番ですが、色々と余罪が出ましたよ」
私が初めて門を叩いたとき、ろくにチェックもせずに素通りさせた門番のことね。怠慢にしても酷すぎると思ったけど、やっぱり悪いことをしていたのだろう。
「なにをしていたの?」
「賄賂を受け取り、意図的に警備に穴を開けたり、そういう系統です」
「……なるほどね」
警備がザルだったのは、侵入者を招き入れるためだったのね。セレーネに指令を出した誰かも、その穴を使ったのだろう。
「お金目当てなら同情の余地はないわね」
「ええ。ヴィオラ公女殿下もそうおっしゃっていました」
ああ、既にヴィオラにも話が伝わってるんだ。
じゃあ、悩む必要はないわね。
「身分を剥奪の上、鉱山送りくらいが妥当かしら?」
「そうですね。もう少し重くてもかまいませんが、あまり重くしすぎると、他の使用人の口が重くなるかもしれません」
「じゃあ、それくらいを目安に。最終的な判断はヴィオラ公女殿下に任せるとしましょう」
「かしこまりました」
問題のある使用人や兵士の解雇は順調だ。
ただ、補充の方はとても順調とは言えない。使用人や兵士は信用できる伝手が少ないから。
それに、騎士に至っては任命権すらない。
これは別に不思議なことじゃない。エレオノーラが亡くなったとき、ヴィオラはまだ四歳の幼子だった。だから、母の持つ権限を引き継ぐことが出来なかったのだ。
いままでは、エレオノーラの代から仕えてくれていた騎士で事足りていた。それに、もしもヴィオラに任命権が与えられていたら、ナタリアがそれを悪用した可能性が高い。
そう考えれば、任命権の譲渡がおこなわれなかったのは妥当な判断だ。でも、これからはそうも言っていられない。その問題についても、なんとかする必要がある。
「急ぎましょう。第二公妃が次の策を打つ前に」
「それについて、残念なお知らせです」
シエルが封筒を差し出してくる。
封蝋にはアルヴェイン公王家の刻印、差出人には第二公妃の名前が記されていた。
「第二公妃からヴィオラ公女殿下宛てに、お茶会への招待状が届いています」




