エピソード 2ー6
回帰前のある日。
私はとある酒場の一角でお酒を嗜んでいた。この頃は成長も著しく、異性に限らず声を掛けられることも多かった。だから、ローブで顔を隠していた。
にもかかわらず、粗野な身なりの男が向かいの席にどかっと座った。
「よう嬢ちゃん、晩酌してくれねぇか?」
「消えなさい」
素っ気なくあしらうけれど、男はどこ吹く風だ。ウェイトレスの尻に伸ばした手を叩き落とされながら、負けじと酒を注文した。
「マスターの行動予定だ。アルヴェイン公王家に接触しようとしている」
周囲の視線がないことを確認。男は私に紐で纏めた紙の筒を投げてよこした。私はそれを空中で受け取り、さっと懐の中にしまう。
彼はレイカー。
闇ギルド、闇鴉に所属する、マスターの右腕を名乗る男だ。
回帰前の私は、彼を情報屋として使っていた。でも、このときに得た情報は闇ギルドのマスターの行動予定、それにある秘密が記されている。
それらは、私が依頼した情報ではない。
「こんな物をよこして、どうしろって言うの?」
「俺がマスターになれば、今以上に情報を流してやれる。だが、マスターがこのまま第一王子派に所属したら、いままでみたいに情報を流すことは出来ないかもな?」
「だから、いまのマスターを始末しろと?」
レイカーは答えず、にやりと下卑た笑みを浮かべた。
「貴方、マスターに恩を返すんじゃなかったの?」
子供の頃、路頭に迷っていた頃に拾われた。
その恩を返すと、酔っ払ったレイカーが零していたはずだ。
なのに、いまはマスターを殺せとほのめかす。
私をはめる罠にしてはお粗末だ。だけど、事実だとするならあまりに不義理。彼の言葉が信用できるかどうか、彼の反応を慎重にうかがう。
だけど――
「質問しているのは俺だ。乗るのか乗らないか、どっちなんだ?」
彼の言葉に、マスターに対する情は感じられなかった。
後から分かったことだけど、彼は闇鴉を掌握するために、第二王子派が送り込んだ子供の工作員だったらしい。だから、彼が恩義を感じているという話も嘘だったのだろう。
闇鴉を乗っ取るために送り込まれた子供の姿をした道具。
彼は結局、闇鴉のマスターの地位を奪い、自分を送り込んだ組織をも壊滅させた。自分を育てた恩人を裏切り、自分に力を貸した後ろ盾をも裏切った卑劣な男。
でも、私が所属する組織にとっては、彼がマスターになった方が都合はよかった。
だから私は、レイカーがマスターになるように手を貸した。
――回帰前のこのときは。
◆◆◆
鏡のまえに立ち、ガラスの向こうにいる、もう一人の自分に目を向ける。自認よりもずっと幼い姿の私が、青く冷たい瞳で静かに私を見つめていた。
私が身をよじると、もう一人の私の一つに束ねた黒いロングヘアがさらりと揺れた。
白いレースアップのブラウスに、黒く細身のパンツ。上着にはフード付きの黒いロングマントを纏い、足は黒いロングブーツで覆った。
マントの下、腰にはポーチ、そして剣帯を付ける。
回帰前の私が好んだ装備。
この街に来て最初に用意した物だけど……うん、悪くないわ。惜しむらくは、身長が十一歳相応、ということかしら。少しだけ、子供が背伸びをしているように見えなくもないわね。
だけど、この小さな身体を動かすことにもずいぶんと慣れてきた。トレーニングも続けているし、少しくらいの荒事なら対処できるはずよ。
だから――
「任務を遂行する」
作戦目的はセレーネの弟の確保。
この任務は、第二公妃に知られてはならない。そうしなければ、セレーネが死亡したという情報に疑いを持たれる可能性があるからだ。
つまり、直接出向いての保護は危険。
私は離宮を後にして、街の中にある灰鴉商会を訪ねた。
表通りに面したそれは、煤けた石造りの二階建て。裏が倉庫になっていて、多くの馬車が出入りしている。主に運送業を営むその商会には裏の顔がある。
建物の中に足を踏み入れると、受付のカウンターが見える。そのほとんどが若い女性――だが、端にある一カ所だけは強面のおじさんが立っている。
当然、他と比べて並ぶ客がいない。
私は、迷わずそのカウンターの前に立った。
「なんだ、おまえ。配達の依頼なら、あっちのカウンターに並びな」
「灰鴉の倉庫から、濡羽色の樽に入った貴腐ワインを一つ」
「……あ?」
「宛先と到着日時については相談したいのだけど」
強面のおじさんの顔が険しくなる。
普通の子供なら泣いているかもしれない。でも、普通の子供じゃない私は悠然と微笑み返す。余裕の態度で反応を待っていると、彼は「ついてきな」と席を立った。
彼の後を追いながら、私は小さく息を吐く。
灰鴉商会は闇鴉の表の顔である。そして、さっきのやり取りは、闇ギルドに取り次いでもらうための符牒――なんだけど、それを私が知ったのはいまから数年後。
この時期は通じない可能性もあったのだけど……ひとまず、面会は叶いそうね。
強面のおじさんは階段を上って二階へ。そうして廊下の突き当たり、仕掛けを作動させると隠し扉が現れた。その奥には、下へと続く階段が見える。
「先に行きな」
促され、薄暗い隠し扉の向こうへ。
階段を降り始めると、後ろの隠し扉が重い音を立てて閉まった。壁に設置された小さな魔導具の光だけが、わずかに足元を照らしている。
「早く降りな」
「急かさなくてもそうするわ」
夜目は利く方だ。それに、暗いところでも動けるように訓練をしている。だから、暗闇の中で階段を降りること自体は問題ない。
問題なのは――いや、なるようにしかならないわね。
黙々と階段を降りる。
おそらくは地下一階。扉を開けて、フロアへと足を踏み入れる。
そのフロアは真っ暗でなにも見えない。
「どうして真っ暗なのかしら?」
声を発すると、声がいくらか跳ね返ってくる。記憶にあるフロアはそこそこ広い。だけど、この跳ね返り方の少なさは、いくつも障害物があることを示している。
そして、わずかに聞こえる無数の息遣い。
「ずいぶんと大げさなお出迎えね?」
「そうか、これでも気を遣ったんだがな」
次の瞬間、部屋に設置された魔導具の光源が一斉に灯った。眩しさに目を顰める――と同時、男が一人、床の上を滑るように距離を詰めてくる。
この空気――久しぶりね。
私もほぼ同時に踏み込み、同時に腰に吊した細身の剣を抜き放った。男と私、それぞれの剣の切っ先が互いの首元に突きつけられた。
互いに、相手の命を握っている。
なにかの切っ掛けで拮抗が崩れれば、お互いに死ぬことになる。
シィンと、静まり返るフロア。
私は視線だけを動かし、男の姿を確認した。
歳は四十くらい。身体はよく鍛えられている。くすんだブラウンの髪の向こうに怪しく光る黄金の瞳。野性味はあるが、整った顔立ち。
その姿には見覚えがあった。
闇鴉のマスターだ。
「ロウェン、これはなんのつもり?」
問い掛けると、ロウェンの眉がピクリと跳ねた。
「……嬢ちゃん、何者だ?」
「ただの依頼人よ」
「嘘を吐くな」
ずいぶんと警戒されているわね。この警戒の仕方は普通じゃない。どうやら、子供が依頼に来たから、というだけじゃなさそうだ。
「……符牒はあっていたわよね?」
「あぁ、あってはいる。だが、おまえがその符牒を知るはずがない」
かすかに首を傾げる。
首元に突きつけられた剣の切っ先が、零れ落ちた髪の一本を切り落とした。
「どうやら知らなかったようだな。嬢ちゃんが口にした〝濡羽色〟って言うのは、最上級の顧客だけが使う符牒だ。それを知るのは、俺が直接教えた相手だけだ」
あぁ……そういうこと。たしかに、符牒を教えてくれたのはロウェンだった。なにも言われなかったから、特別な符牒だとは思わなかったわね。
どうしたものかしら?
言い訳をするにしても、今後を考えると下手なことは言えない。
……うん、決めた。
「認めるわ。これは人伝に聞いた符牒よ」
「だろうな。で、誰から聞いた?」
「教えるのはかまわないけど、代わりに私の依頼を受けてくれない?」
「――このガキ! モノを頼める立場だと思ってやがるのか!」
部下の一人が声を荒らげた。
あれは……あぁ、レイカーね。
レイカーは扱いやすいけれど、義理や人情という面ではロウェンに遠く及ばない。どちらかを選ぶのなら、その答えは考えるまでもない。
彼を一瞥した後、私は視線をロウェンに戻した。
「……どう? 悪い話じゃないと思うんだけど」
「――てぇめ! どうやら死にてぇみたいだな!」
レイカーが声を荒らげ、その手に持った剣を振り上げる。
この男、いまことを荒立てたら、ロウェンが死ぬかもしれないって分かってないのかしら? あるいは、そうなってくれた方が都合がいいと思ってる?
厄介な状況。
だけど、その緊迫した空気が弾けることはなかった。
「――待て!」
ロウェンが制止の声を発したからだ。
「……嬢ちゃん、これが最後だ。生きてここから出たきゃ、誰から聞いたのかしゃべりな」
「言ったでしょう。依頼があるって」
ロウェンと私、無言で睨み合う。十秒か、二十秒か、ほどなくしてロウェンが小さく息を吐いた。それから、私の首に突きつけていた剣をそっと下ろす。
私もそれに併せて剣を引いた。
……どうやら、殺し合いにはならずに済んだみたいね。
そっと息を吐き、剣を鞘にしまう。
ほどなく、ロウェンは「こっちだ」とフロアの奥へと歩き出した。
「親父、どうするつもりだ!?」
「てめぇらは待機だ。念のために、他のやつがいないか外を警戒してろ」
「だが――」
「命令だ」
「わぁったよ」
レイカーは渋々と了承、他の者たちも命令に従って動き始める。
それを横目に、私はロウェンと共に奥の部屋へと足を運んだ。




