エピソード 2ー5
セレーネの罪を許す代わりに、寝返らせることに成功した。八歳のヴィオラが成したことだと考えれば末恐ろしい。けれど、この決断には多くの粗がある。
その調整をするのが、いまの私の役目だ。
「さっそくですが、セレーネの処遇を決めなくてはいけません」
「……処遇? 事件を握りつぶすんじゃないの?」
「それも一つの手ではありますが、その場合、セレーネに命令をした黒幕は、すぐに裏切りに気付くでしょう。最悪、セレーネの弟を人質にして、また操ろうとするかもしれません」
セレーネが息を呑んだ。
「だから、対外的には、暗殺者が死亡したことにしてはいかがですか?」
「セレーネが死んだことにするの?」
「ええ。そうすることで、襲撃は失敗、暗殺は難しいと相手に思わせることが出来ます。しかも、自分にたどり着く手がかりは消えたと、相手に油断させることも出来るでしょう」
そうすれば、ヴィオラが襲撃される可能性は少しだけ下がり、セレーネの弟が狙われる可能性はぐっと下がる。セレーネが裏切ったと知られる可能性も低い。
問題は――
「どうやって公表するか、だね」
ヴィオラの思考が私に追いついた。昨日はナタリアの稚拙な罠に泣かされていたのに、たった一晩でずいぶんと頼もしくなったわね。
「もしかして、方法も思いつきましたか?」
「……うぅん。私じゃたぶん無理。ノクスやお父様に頼むことになっちゃうと思う」
しょんぼりと下を向く。
なんだろう、この可愛い生き物は。
そう思ったら、自然とヴィオラの頭を撫でていた。
「大丈夫ですよ。すべてを自分でおこなう必要はありません」
「そう、なの?」
「ええ。私だってそうですよ。誰に任せるのが適切か。それが分かれば大丈夫です」
そもそもヴィオラは後方で指揮をするタイプだ。
現場で命令を実行する、私のようなタイプとは違う。
「じゃあじゃあ……ノクス、お願いしてもいい?」
「お任せください」
こうして、セレーネを味方に引き入れるための偽装工作が始まった。
正直、私一人じゃ手が足りない。誰か使える人間が欲しいけど……ダメね。いまは誰を信じればいいか分からない。セレーネも、信じて用いるのは早すぎる。
まずは目先の問題を解決しましょう。という訳で、最初の目標は、セレーネの死を偽装し、弟を秘密裏に保護すること。そのために、私はセレーネを連れて部屋の外に出た。
「――話し合いは終わったようですね」
廊下の片隅に黒髪の執事がたたずんでいた。
昨夜から、部屋の外を護っている気配があったのだけど……恐らく彼だろう。十代半ばか、もう少し上くらい。中性的な顔立ちの美少年。
私は彼のことを知っている。
回帰前、ヴィオラの側に控えていた男に違いない。
でも、この人生では初対面だ。
「……貴方は?」
「私はシエル、今日よりヴィオラ公女殿下の執事に任ぜられました」
「アルヴェイン公王陛下の命令かしら?」
「はい。ですがご安心ください。執事という役職ではありますが、アルヴェイン公王陛下より、ノクス様のサポートに徹するようにと仰せつかっています」
あら、それは嬉しい誤算ね。
一般的に、執事は屋敷の運営を統括する立場にある。つまりはメイド長の上司であり、ヴィオラの直属の部下という形になる。
これは、ヴィオラのお世話や財産の管理を担当する侍女とは指揮系統が異なる。
本来ならば、私が屋敷の運営に口を出せなくなる流れだ。だけど、彼が私のサポートに徹するというのなら話は別だ。私が方針を示し、屋敷の運営をおこなうことが出来る。
「ありがたいことね。でも、それだけじゃないでしょう?」
「ええ。同時に、貴女を監視をするようにとも仰せつかっています」
思わず笑い声が零れた。
「正直ね、嫌いじゃないわ」
「それは光栄ですね。私は貴女のことを胡散臭いと思っていますが」
警戒されている、か。
まあぶっちゃけ、怪しいものね。
だけど、私はヴィオラを育てるという観点において裏切るつもりはない。
「好きなだけ監視して、私の疑いをさっさと晴らしてくれると嬉しいわね」
「そうなることを期待していますよ」
期待、か。たぶん本心ね。胡散臭くは思っているけれど、出来ればヴィオラの味方であって欲しい、と言ったところかしら?
成長したヴィオラが側に置いていたくらいだから、能力も期待できるはずよ。
「貴方、シエルと言ったわね。サポートというからには、私の手伝いをしてくれるのよね?」
「貴女が一人で出来ないというのなら手伝いますよ」
「出来ないわ。だから手伝って」
ふふっ、驚いた顔をしているわね。
私が強がるとでも思っていたのかしら?
「あいにく、こっちは人手が足りないの」
「……そのようですね。分かりました。私はなにすれば?」
「まずは、この子、セレーネの保護を」
「その娘は、ヴィオラ公女殿下の命を狙った暗殺者では?」
やっぱり気付いていたのね。
気付いた上で、私に任せてくれたということでしょうね。
「彼女は死んだことにする。そのうえで寝返らせることにしたの」
「また裏切らないという保証は?」
「彼女の動機は弟のためよ」
「ああ、そういうことですか」
シエルの顔にかすかな怒りが滲んだ。
いまのやり取りだけでおおよそを理解する、か。やっぱり、アルヴェイン公王が送り込んできただけある。貴族の手口を知っている側の人間なのね。
これなら、安心して仕事の一部を任せられそうね。
「死の偽装工作は貴方に任せるわ。それと襲撃の発表。最後に――」
襟首を開いて、服の下に隠し持っていた書類を取り出し、それをシエルに突きつけた。
「……うら若き娘のすることではないと思いますが」
なんか、嫌そうな顔をされた。
「誰が味方か分からない状態で、重要な物は持ち歩くしかなかったのよ。それより、その書類にあるリストを確認して」
「……これは、使用人のリストですか?」
「そうよ。私が調べた、使用人や警備兵の勤務態度なんかを書いてあるわ。それを元に調査をして、入れ替える者たちの候補を挙げてくれるかしら?」
「分かりました。十日ほどください」
優秀ね。
だけど――
「そんなに猶予はないわ。確認が取れた相手から順次対処をお願い」
「……人使いが荒いですね」
彼は嘆息し、すぐに踵を返した。
けれど、数歩ほど歩いたところで肩越しに振り返る。
「なにをしているのですか、セレーネ。他の人間に顔を見られたらマズいのでしょう?」
「あ、その……えっと」
セレーネが不安そうに私を見る。
無理もない。本来なら即刻切り捨てられるほどの罪を犯したんだものね。
「私はこれから、貴女の弟を確保しにいくわ。大丈夫、全部任せておきなさい」
「……ありがとう、ノクス。……いえ、ノクス様、感謝します」
深々と頭を下げ、シエルの後を追いかけていった。
◆◆◆
シエルはセレーネを一時的に匿うための部屋へ向かう。
道すがらに考えるのは、セレーネの動機について。
またそれかと、心が冷えた。
権謀術数が渦巻く世界、犠牲になるのはいつも弱い人間だ。
シエルの家もそうだった。
公国の中にある少ない子爵家の一つで、国内外への影響力も少なくない。その結果、画家になりたいと言っていた兄は、外部の人間に担ぎ上げられ、次期公王の座を目指すことになった。
そして、兄が当主を目指すのならと身を引くつもりだった姉は、別の派閥に後押しされ、次期公王の座を狙わざるを得ない状況に追い込まれた。
その争いは激化して、仲のよかった兄と姉が、いまは命の取り合いをしている。
シエルも両陣営に取り込まれそうになったが、兄の取り計らいで公王の下で働くことになり、後継者争いからは逃れることが出来た。
けれど、以前のように、兄や姉と会うことは叶わない。
犠牲になるのはいつも立場の弱い人間だ。
だから、子供を利用する者が許せない。
パーティー会場でのヴィオラ公女も見ていられなかった。アルヴェイン公王から頼まれなければ、自らヴィオラ公女の執事に名乗りを上げていただろう。
だから、ノクスのことも気になっている。
ヴィオラ公女を救った救世主か、あるいは誰かに操られた哀れなの子供なのか。彼女がヴィオラ公女をどうしようとしているのか、それを見極める必要がある。
(そのためにも、部屋でどのようなやり取りがあったか、知る必要がありますね)
「さっきの話ですが、貴女はなぜ、ノクスに礼を言っていたのですか?」
「え、あ、それは……」
セレーネが言いよどむ。シエルは肩越しに疑いの眼差しを向ける。
「なにか、言えないようなことがあるのですか?」
「いえ、違います! その……拘束された直後に言われたんです。後悔しているのなら大人しくしてなさい。そうしたら、そう悪いことにはならないと思うから、って」
「……なるほど」
(彼女が許されたのは、ノクスの口利きがあったから、という訳ですか)
自作自演という可能性が一瞬だけ脳裏をよぎる。
だが、それにしては回りくどすぎる。
(なら、ヴィオラ公女に立場を自覚させるためですかね)
そう考えると、色々と辻褄が合う。
暗殺者を拘束したまま、朝まで待ったことも、すべて。
「……意外と、甘いですね」
ぽつりと呟くと、セレーネが「うっ」と、呻いた。
「ん? あぁ、違いますよ。貴女の処遇について言及しているわけではありません。むろん、貴女がしでかしたことは許されることではありませんが……相手は貴族ですからね」
平民が貴族に逆らえば殺される。相手が悪い貴族ならばなおさらだ。
セレーネは暗殺を命じられた時点で詰んでいた。
命令に従って殺されるか、命令を拒絶して殺されるかだ。
そんな道具を憎んでも仕方ない。
少なくとも、シエルの怒りは背後にいる貴族に向いている。
「じゃあ、甘いというのは?」
「ヴィオラ公女殿下を朝まで起こさなかったことです」
「それは、朝起きたとき、目の前に暗殺者がいた方が衝撃が大きいと、言っていましたが」
「貴女はそれを信じたのですか?」
「違う、ですか?」
「ええ。そもそも、夜中にたたき起こされたって、衝撃は同じでしょう?」
「それは……たしかに?」
シエルの話を聞き、だったらどうして? と、セレーネは首を傾ける。
「ヴィオラ公女殿下がお疲れだったからでしょう。暗殺者を見張りつつの徹夜。そんな苦労を負ってまで、公女殿下の安眠を優先したのだと思います」
「……変な子」
セレーネの脳裏に浮かんだ言葉がそれだった。
一瞬でセレーネを取り押さえ、命を奪うことだって出来たのにそうしなかった。ヴィオラに厳しい課題を与えつつ、裏では体調の管理をおこなっている。
自分が徹夜をすることも厭わないで。
シエルは甘いと言ったけれど、セレーネはそうじゃないと思った。
きっと、厳しくて優しい。
だからこそ、大罪を犯したセレーネにやり直しの機会を与えてくれた。
もちろん、まだすべてを信じたわけじゃない。
弟の顔をまだ見ていないし、本当に治療してもらえるかも分からないから。
でも、本当に約束が守られたなら、そのときは――
(今度こそ、自分の意志でヴィオラ公女殿下にお仕えしよう。そして、ノクスにも恩を返す)
そんな覚悟を胸に、セレーネはシエルに視線を向けた。
「私に、なにか手伝えることはありませんか?」
「……なら、この書類の精査をしてください」
差し出されたのは使用人のリスト。
そこには、誰がどのような勤務態度だったかが、びっしりと書き込まれている。その内容を精査するということは、裁かれるはずの立場でありながら、他人を裁く側に立つ、ということだ。
だけど――
「任せてください。私の知っていることはすべてお教えします」
セレーネは迷わなかった。
それこそが、罪を背負った自分のするべきことだと思ったから。




