エピソード 2ー3
こうして、私はヴィオラの侍女でメイドで家庭教師になった。
いや、役職が多過ぎなのよ。
それについては追々整理するとして、まずはこれからの話。
私が介入したことで、ヴィオラを取り巻く環境が大きく変わった。大きな流れは変わらずとも、部分部分で回帰前とは違う展開が予想される。
それに備えなければならない。
でも、いまのヴィオラには荷が重い。しばらくは私が前面に立つ必要がある。
やることは目白押しだ。
緊急性の高い案件も少なくない。そんなことを考えながら離宮へと帰還して、ヴィオラを部屋に送り届けると、ようやくヴィオラが笑顔を見せた。
「ノクス、ありがとうね」
「……なにに対するお礼ですか?」
「お父様の提案を受けてくれたこと。それに、私を助けてくれたこと」
「お礼なんて、必要ありませんよ」
だって私は、いつか貴女を倒すつもりだもの。
後ろめたさ視線を逸らす。
なのに、ヴィオラはふわりと微笑んだ。
「ねぇ、ノクス。友達って、こんな感じなのかな?」
――私たち、もう少し早く出会えていたら、友達になれたかもしれないわね。
脳裏に浮かんだのは、回帰前にヴィオラが告げた言葉。
……まさか? いや、違う。この子が、回帰前の記憶を引き継いでいるはずがない。もし覚えているなら、ナタリアなんかに負けそうになるはずがないもの。
「公女殿下と侍女は、友達ではありませんよ」
「そうなんだ、残念」
ヴィオラはしょんぼりと俯いて、だけど次の瞬間には顔を上げた。
「じゃあいつか、友達になってくれたら嬉しいな」
まったく、無邪気なものね。
「私は、人に護られるだけの友達なんて必要ないわ」
「じゃあ……私がノクスを護れるくらい強くなる。そうしたら友達になってくれる?」
「そういうのは、実際に強くなってから言いなさい」
「――うんっ、がんばる!」
まったく、返事だけは一人前なんだから。
天才の片鱗はたしかに見せてくれた。けど、まだその使い方をまるで分かってない。いまのヴィオラはただの子供だ。まずは、自分の立場を自覚してもらわないとダメね。
「ヴィオラ公女殿下、使用人の処理についてですが、いかがいたしますか?」
「あ……そうだね」
ヴィオラはそこで可愛らしくあくびをした。
それから、少し恥ずかしそうに口を押さえる。
「えっと……今日は疲れたから、その話は明日にしよ」
……認識が甘いわね。
がんばると言ったばかりなのに。
でも……そうね。ヴィオラはまだ八歳だもの。実際に気も張り詰めていただろうし、これくらいの油断は許容範囲かしら?
成長を促すためにも、今回は私が対処することにしましょう。
「かしこまりました。では、この続きは明日の朝といたしましょう」
恭しく頭を下げて、侍女としてヴィオラの身の回りの世話をする。着替えをしたヴィオラがベッドに入ったところで、私は――そっと気配を消した。
部屋から出たわけじゃない。
部屋の片隅で気配を消して暗闇に紛れる。
余談だけれど、離宮の警備は最低限に留められている。
私が訪れたときを例に挙げるまでもなく門番はザル警備だ。ヴィオラと使用人の食事が同じ厨房で作られていて、毒に対する警戒も薄い。
さすがにヴィオラの私室へと続く廊下は騎士が護っているし、部屋の前には寝ずの番のメイドが着いている。とはいえ、それだって完璧じゃない。
たとえば――
日付が変わり、多くの者たちが寝静まった頃。ヴィオラの部屋の扉が音もなく開かれた。窓から差し込む月明かりに浮かび上がるその主は――
あぁ、貴女が選ばれたのね、セレーネ。
鈍く光る短剣を携えた彼女の顔は、薄明かりの中でも分かるくらいに青ざめている。
呼吸は浅く、極度の緊張感の中にある。
彼女はゆっくりと、ベッドで眠るヴィオラの元へと歩み寄る。
その足取りは恐ろしく遅い。物音一つ立てないように気を張っているようにも見えるし、目的地に着くことを望んでいないようにも見える。
いずれにせよ、セレーネはヴィオラの眠るベッドの前にたどり着いた。
だけど、その刃を届かせるわけにはいかない。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……っ」
セレーネが短剣を振り上げる。
その間に距離を詰めていた私は、その腕を背後から掴んだ。
「――ひっ」
セレーネが悲鳴を上げる寸前、もう片方の手で口を塞ぐ。続けて彼女が持つ短剣を奪い取り、彼女の細い首筋へと押し当てた。
「死にたくなければ口を閉じなさい」
耳元で囁くと、セレーネはぶんぶんと首を縦に振った。
――っと、危ないわね。危うく、首を切っちゃうところだったじゃない。
でも、ここで声を上げないのは優秀ね。
最悪がなにかよく分かってる。なら、貴女にはヴィオラの教材になってもらうわ。
時間は進み、窓から淡い朝陽が差し込んでくる。それがベッドに掛かったとき、ヴィオラは眩しさに身じろぎをした後、しばらくしてぼんやりと目を開けた。
彼女の前には、猿轡をされ、両手足を縛られて横たわるセレーネの姿。それを目の当たりにしたヴィオラは瞬きを一つ、続けて悲鳴を上げて飛び起きた。
「なっ、なななっ、なに!?」
「おはようございます、ヴィオラ公女殿下」
慌てふためくヴィオラに笑いかける。
「ノ、ノクス? これはなに? どういう状況!?」
「彼女は貴女を暗殺しようとしたメイドです」
「あ、暗殺!?」
「はい。もっとも、実行前に私が止めましたが」
「でも、どうして、あ、暗殺なんて……」
ヴィオラは八歳、この状況で混乱しない方がおかしい。
でも、彼女は公女だ。
この状況を招いた理由を、正しく理解してもらわなければならない。
「暗殺者を差し向けられたのは、貴女を疎ましく思う者がいるからです。でも、重要なのはそこではありません。貴女が昨日のうちに対応していれば、この襲撃は起きなかった、という事実です」
「……え?」
「よかったですね、私が居て。居なければきっと、いまごろ殺されていましたよ?」
これは嘘。扉の外にはもう一つ気配があった。おそらくはアルヴェイン公王が用意したヴィオラの護衛。介入してこなかったのは、私の出方をうかがった結果だろう。
だから、私が居なくてもヴィオラが殺されることにはならなかっただろう。
でも、そんな事実を知らないヴィオラは青ざめた。
「そんな、そんなことって……っ。待って。ノクスは、こうなると知ってたんだよね?」
「可能性の一つとして、予想はしていました」
「――っ、どうして教えてくれなかったの!?」
「聞かれなかったから」
そう答えたら、ヴィオラは酷くショックを受けた顔をした。
「聞かれなかったからって、そんな……」
「ヴィオラ公女殿下、他人に縋るのはほどほどになさってください」
「……え?」
八歳の幼女を相手に、厳しすぎる意見なのは分かってる。
でも、相手はヴィオラだ。ここで甘やかし、怪物へと至る彼女の未来を変えるわけにはいかない。
「周囲の人間の意見がいつも正しいとは限りません。それに、悪意をもって嘘を吐くこともあります。ナタリアに騙されたこと、もう忘れてしまったのですか?」
「それ、は……」
「自分で判断するために情報を集めることは必要です。でも、どうするかは自分で考えなければいけません。なぜなら、貴女の人生の責任を取れるのは、貴女だけだから」
私がヴィオラの運命を変えた。
その責任は果たそうと思ってる。
でも、本当の意味で責任を取れるのはヴィオラ自身しかいない。
「そんなこと、言われても分からないよ。どうしたら、よかったの?」
「明日にすると断じるのではなく、明日でもいいかと意見を求めるべきでした。そうしたら、明日にした場合の危険性について説明しましたから」
「意見を求める……それはいいの?」
「ええ。最終的に決めるのがヴィオラ公女殿下であるならば」
「そっか……うん、分かった」
ははっ、そこで分かったと言えちゃうんだ。
まだ八歳の女の子が、起き抜けに襲撃された事実を知りながら、その事実を受け入れ、これからどうするべきなのか、分かったと、言えちゃうんだ。
……メンタルは既に怪物ね。
「ノクス、これからどうしたらいいか教えて」
「教えるのはかまいませんが、私が正しいことを口にするとは限りませんよ?」
「ノクスは私の窮地を救ってくれた。それにお父様も認めていた。だから、ノクスを信じる」
「……まぁいいでしょう」
私が嘘を吐いたり、間違ったりする可能性もある。そう言いたかったのだけど……たしかに、なにを信じていいか分からなければ、前には進めないものね。
私を信じるなと教えるのは、もう少し先でもいいか。
「では、最初に決めるのはセレーネの処遇です」
「処遇を……私が決めるの? お父様に委ねるのはダメ?」
「それも選択の一つですが……」
そう言いつつ、セレーネの猿轡を外し、襟首を掴んで上半身を引き起こす。万が一にも暴れないように襟首を掴んだままにするけれど、セレーネは顔をしかめつつも騒がなかった。
ヴィオラが眠っている間に、余計なことをしゃべるなと言い含めたおかげね。
「ひとまず、セレーネに尋問をおこなってはいかがですか?」
今後、荒事に関わらないなら、親に任せればいい。
でも、ヴィオラの場合はそうじゃない。
「尋問? 私を殺そうとした理由ってこと?」
「そうですね。他にも黒幕とか、色々と聞くことはありますよ」
「わ、分かった。やってみる」
ヴィオラは緊張した面持ちで頷いて、セレーネに視線を向けた。




