17.あのお方?
バタンッ、と家中に響くような音を立てて、部屋の扉が閉まりました。
「物に当たるなんて、大人のやることじゃないねえ」
ベアさんが私を見ながら、あきれたように肩をすくめました。
「見苦しいところを見せちゃったね。怖かっただろう。今、温かい飲み物を用意するよ」
入口近くの机の上に、ポットとカップが置いてありました。ベアさんは慣れた手つきで、ポットからカップに注ぎます。
「どうぞ」
カップが乗ったお盆を差し出されました。カモミールのすごくいい香りがするけれど――私はそれをじっと見るだけ。
「ふうん……たいした子だねえ」
ベアさんは、ベッド横の小さな机にお盆を置くと、カップをもう一つ持ってきて、中身を半分移しました。
そして、私の目の前でゆっくりと飲みます。
「この通り、薬なんて入ってないよ。安心して飲みな」
「……いただきます」
迷ったけど、のどが渇いていたから、飲むことにしました。
少しぬるめで、すごくおいしかった。一口だけのつもりだったけど、思わず全部飲んじゃいました。
「いきなりさらわれてきたら、普通は泣くか、もっと怯えるものだけど」
ベアさんが目を細めました。
「なかなか落ち着いてるね。しっかり部屋の様子を見ていたし、私たちのことも観察してた。ひょっとして、こういうのは慣れているのかい?」
慣れてなんかいないけど。
お師匠様に「訓練」されたから――なんて言わない方がいいよね。うん、黙っていよう。
「だとしたら、あんた、当たりかな」
「……ここ、どこですか?」
「さて、どこだろうね。お代わりいるかい?」
「ううん、いいです」
「そう」
ひょい、と空になったカップを取り上げられました。
「こんな物でも武器になるからね。飲んだのなら返してもらうよ」
ケガでもされたら大変だしね、て笑うベアさん。
そっか、そういう手もあったのか。でも戦い方なんて習ってないから、無茶してもケガするだけだね。やっぱり大人しくしておこう。
ドスドスと、大きな足音が戻ってきて、勢いよく扉が開きました。
「準備ができました。早速始めましょう」
「ノックぐらいしなよ。御子様の御前だろう?」
導師様――ええと確か、グレゴールって名前だったよね――でした。
ベアさんの抗議なんてまるで無視して、私の前にやってきます。そのままひざまずくと、手に持っていた古い本を私に向かって差し出しました。
「ふん、写本か。まあ、てっとり早い方法ではあるがな」
少し遅れて戻ってきたブルーノさんが、あきれた感じでつぶやきました。でもグレゴールさんは気にした様子もなく、私を見て言います。
「どうぞ、こちらを御手に。あなた様の本でございます」
え、なにこれ、どうすればいいんだろう。
わけがわからなくて思わずベアさんを見たら、ベアさんが「本を持って」と小さな声で言いました。
恐る恐る、私は本を持ちます。
すごく重い。冷たくて硬くて、でもなんだかしっとりしている。これ、紙じゃない。何でできているんだろう。動物の革かな? なんだかすごく貴重そう。これ、開かない方がいいよね?
そのまましばらく、時間が過ぎました。
グレゴールさんがずっと私を見ています。ブルーノさんもそう。ベアさんだけは、やれやれ、て感じで肩をすくめました。
「ばかな……なぜ、何も起こらぬ」
いつまでこうしていればいいのかな、て思った時、ブルーノさんが口を開きました。
「貸せ!」
「わっ」
ブルーノさんは私の手から本をひったくると、何かぶつぶつ言いました。
えっ、てびっくりしました。
ブルーノさんの手の中で、本がうっすらと光り始めたからです。
「偽本ではないな……もう一度だ。持て!」
ブルーノさんに乱暴に本を突き出されました。私は恐る恐る本を持ったけど、いくら待ってもブルーノさんのように本が光ることはありませんでした。
「はずれ、だね」
「ばかな、私の目に間違いはない! この子はあのお方の生まれ変わりのはずだ!」
「……魔力を持たぬ神の乙女など、あり得ぬ」
ずっと黙っていたグレゴールさんが、低くうめくような声で言いました。
「返したまえ、これは君の物ではない」
さっきまでの丁寧な態度が嘘みたいに、すごく乱暴に本をひったくられました。
「とんだ無駄足でしたな、ブルーノ」
「待て、グレゴール。私に試させろ! 写本は精度に問題がある。天秤を使えば、ちゃんと測れるはずだ!」
「好きにしたまえ」
グレゴールさんは私をにらみつけてから。
ブルーノさんは私に舌打ちしてから。
二人は大きな足音を立てて、部屋を出て行きました。なんなのあの二人。まるで私が悪いみたい。腹立つなあ。
「とんだ災難だったね、お嬢ちゃん」
そんな二人と違って、ベアさんは親切で優しい態度のままでした。
「残念ながら……というのはこっちの都合か。幸いなことに、お嬢ちゃんははずれだったみたいだ」
はずれ、ていうのも失礼な言い方だけどね、と笑いながら、ベアさんが、じぃっ、と私の顔を見ます。
「そんなに似ているのかねえ、あのお方に」
「あのお方、て……誰ですか?」
思い切って聞いてみたら、ベアさんがニヤリと笑いました。
「おや、お嬢ちゃんは知っているんじゃないかい?」
ドキッとしました。そんな私の顔を見て、ベアさんが小さく笑います。
「こんなカマかけに引っかかるなんて。ポーカーフェイスはまだまだだね。そんなことじゃ、駆け引きはできないよ」
『魔王』を封じ込めようとして、返り討ちにあった巫女。
この人たちが「あのお方」て言ってるのは多分その人。でもその巫女のことは絶対外で言うな、てコン兄ちゃんは言っていた。
ああ、失敗しちゃった。その巫女のことを知ってる、てばれちゃったかも。うう、黙っていればよかったな。
「度胸は買うけど、まだまだ危なっかしいね」
ベアさんが私の耳元に顔を近づけました。
「ついでにアドバイスだ。もうちょっと怯えたふりをした方がいい。子供なのにあまりに落ち着いてると、かえって不審に思われるよ」
「え……と……」
「大丈夫、ちゃんと家に帰してあげるから。もうちょっと辛抱しておくれ」
ベアさんがそう囁いた直後、ブルーノさんが乱暴な足音を立てて戻ってきました。




