16.落ち着かなくちゃ
どうにかして逃げないと。
そう思ったけど、行商の人の力はすごく強くて、ちょっと暴れたぐらいじゃ逃げられそうにありません。
どうしよう、どうしたらいいんだろう、このままどこかに連れて行かれちゃって、もう帰れないのかな。そんなのやだ。イチかバチかで大声出してみようかな――なんて考えた時。
「パニックになっては、相手の思うつぼですよ」
お師匠様の言葉を思い出しました。
「まずは身を守ることを考えなさい。落ち着いて、状況を把握するのです」
すーはー。
すーはー。
私は深呼吸をして、気持ちを落ち着けました。
怖いけど、ケガでもして、いざというときに逃げられないのはだめ。今は大人しくしているしかない。
行商の人は、かなり速く歩いている。私を担いでいるせいかな、ふぅ、ふぅ、とすごく息が上がっている。
あの導師様は後からついて来ているみたい、カツカツと足音が聞こえる。
「その先を右、突き当りです」
導師様の低い声。
右に曲がって、突き当り?
路地に入って、奥の家、てことかな。どこかの家に連れて行かれるみたい。とりあえず、王都からは出ない、てことで一安心かな。
カツカツという足音が消えた。石畳の道から裏道に入ったみたい。
そのまましばらく歩いて――扉が開いて、閉まる音。
廊下を歩く足音。廊下、けっこう長い。わりと大きな家なのかな。もしかして聖堂? だとしたら、学校の近くにある聖堂なのかも。
お師匠様の言ったとおりだ。落ち着いていれば、音だけでも色々なことがわかるんだね。
「その扉です」
また導師様の声。続いて、ギイッ、て蝶番のきしむ音がした。廊下の空気はひんやりしていたけど、部屋の中は温かくて、お日様の匂いがする。日当たりがいい部屋なのかな。
「おや、お早いお帰りで」
女の人の声が聞こえました。
ちょっとハスキーで落ち着いた声。仲間の人、かな? この二人だけじゃなかったんだ。
「ベア、連れてきたぞ。世話はお前に任せる」
「うわっ!」
どさっ、と荷物のように投げ出されました。ベッドの上みたいだから、そんなに痛くはなかったけど――うう、背中、打ったよう。
「ブルーノ、乱暴に扱うんじゃないよ! ケガでもしたらどうするんだい」
女の人の怒った声と、近づいてくる足音。それから、縛られていた口が開けられて、私はやっと袋から出ることができました。
古い家の、わりと広い部屋でした。部屋には、私をさらったあの二人と、三十歳ぐらいの女の人。部屋の扉は一つだけ。逃げるのは、ちょっと無理そう。
部屋には、ガラスがはめ込まれた大きな窓が二つ。窓からはお日様の光が差し込んでいます。
窓の外はお庭があって、背の高い生け垣が見えるけど、周りの建物はよく見えない。
あんな生垣のある建物、あったっけ? もっと王都の探検しておけばよかったな。
「大丈夫かい? ケガは?」
女の人が目の前にしゃがんで、私の顔をのぞき込みました。
鋭い目つきで、力強い声でした。くすんだ金髪を革ひもで束ねていて、革のベストを着ています。なんだかとっても強そうだけど――私を見ている灰緑色の瞳には、優しい光が宿っていました。
「まったく、袋の中のゴミぐらい、ちゃんと捨てとけっての」
私の体に着いたゴミを丁寧に払って、濡れたタオルで顔を拭いてくれました。
「これでよし、と」
「ありがとう……ございます」
お礼を言うと、女の人――ベアさんはちょっとびっくりした顔をしていました。
「礼なんて言わなくていい。私も誘拐犯の一人さ」
ベアさんは肩をすくめると、立ち上がって一歩下がりました。
入れ替わって、導師様が前に出てきます。
怖い、て思いました。
私を見る瞳には、なんだか光がありません。墨を垂らしたように真っ黒で、ただじっと私を見ているの。気味が悪い。
「ブルーノ、本当にこの子で間違いないのですね?」
「ああ」
行商の人も、私をまっすぐに見ました。何かを探るようなその目、すごく気味が悪いです。
「あのお方の面影がよく見える……間違いない、この子はあのお方の生まれ変わりだ」
あのお方? 生まれ変わり?
この人たち、種子派だよね。探しているのは大地の精霊神の子、だったよね。生まれ変わり、てどういうことだろう?
「しかし、この子から魔力を感じないのですが」
「あなたは魔力の扱いが苦手ですからな」
行商の人が小さく笑う。なんだか、バカにしているみたい。
「おそらく隠蔽されているのだろう。それに、あの小僧が言っていたではないか。この子には強力な守護がついている、と」
「しかしその守護とやらの力も感じませんが」
「……疑うのなら試してみればよい」
「そうしましょう」
導師様はうなずくと、準備をしてきます、と言って部屋を出て行きました。
「まったく、頭でっかちのハンパ者が」
行商の人が、またバカにした口調でつぶやきました。
そういえばコン兄ちゃんが、あの導師様は精霊が見えていないし魔法も気づいていない、て言ってたっけ。ハンパ者、てそういう意味かな。
「御子様の前で汚い言葉を使うのは、やめてもらいたいね」
黙っていたベアさんが、行商の人にそう言いました。
ギロリ、と行商の人がベアさんをにらみます。
「ベア、貴様立場が分かっているのか?」
「もちろん。あんたに雇われた、御子様の世話係さ。だからこそ……」
ブンッ、と。
目にもとまらぬ速さで、ベアさんが短い槍を手に取り行商の人の前に突き出しました。
「御前での無礼な言動は、許さないよ」
「貴様……」
「私の名前はベアトリス。ベアだの貴様だの、勝手な呼び方するんじゃないよ」
「乞食同然のところを助けてやったというのに……恩を忘れたか」
「ちゃーんと覚えているさ。だから、忠実に職務を果たしているんじゃないか」
チッ、と行商の人が舌打ちしました。
この人たち、仲間のはずなのに全然仲良くなさそう。特にこの行商の人――ええと、ブルーノ、て名前だったね――が、他の二人をバカにしてるみたい。この人、そんなに偉いのかな?
「ほら、あんたも出て行きな。いきなりさらわれてきたんだ、御子様も落ち着く時間が必要だよ」
ベアさんをにらんでいたブルーノさんだけど。
槍先を突き付けられて、くそったれが、と悪態をつきながら部屋を出て行きました。




