第52話:最後の報告
廃教会の村を後にしてから、さらに、季節が一つ、巡った。
俺の旅は、ついに、その終着点へと、辿り着こうとしていた。
潮の香りが、日増しに、濃くなっていく。
懐かしい、故郷の匂い。
俺の、そして、エリアの。
シオフキ村の、手前にある、なだらかな丘。
その頂上には、一本の、大きな木が、まるで、墓標のように、静かに、佇んでいる。
俺は、五年前、この場所から、旅立った。
そして今、再び、この場所に、還ってきた。
丘を登りきると、そこには、変わらない光景が、広がっていた。
木の根元に、ひっそりと佇む、エリアの、小さな墓。
その向こうには、夕日に照らされて、きらきらと輝く、雄大な海。
俺は、ゆっくりと、その墓の前に、膝をついた。
五年という歳月が、墓石を、少しだけ、苔むさせている。
だが、その周りには、誰かが、定期的に手入れをしているのだろう、美しい野の花が、絶えることなく、供えられていた。
「……ただいま、エリア」
俺は、静かに、そう語りかけた。
まるで、家に帰ってきて、当たり前の、挨拶をするかのように。
「……ずいぶん、時間が、かかってしまったな。……すまない」
潮風が、そよぎ、木の葉が、さらさらと、音を立てる。
まるで、彼女が、『おかえりなさい』と、答えてくれているかのようだった。
俺は、懐から、一枚の、古びた地図を、取り出した。
ゼノンが、遺してくれた、思い出の地図。
この五年、俺と、共にあり続けた、唯一の、道標。
「……お前に、報告があるんだ」
俺は、その地図を、墓石の前に、そっと、広げた。
「……お前と、一緒に旅した場所、全部、もう一度、見てきたぞ」
俺は、語り始めた。
この、長い、長い旅で、見てきた、すべてのことを。
それは、エリアの代わりに、俺が、その目に焼き付けてきた、世界の姿だった。
「……フォルト村の、井戸は、もう、涸れることはないそうだ。……俺が掘った、新しい井戸から、綺麗な水が、こんこんと、湧き続けている。……村には、子供たちの、笑い声が、戻っていたぞ」
「……ドワーフ・フォートの街も、少しずつ、復興している。……俺が、壊してしまった広場には、今、新しい、鐘楼が、建てられている最中だった。……平和の、鐘を鳴らすんだと、ドワーフの親方が、自慢げに、話していた」
「……それから、カサンドラにも、会った。……あいつ、生きていたんだ。……聖女の力は、失くしちまったが、今は、森の奥の、修道院で、孤児たちの、母親代わりを、やっている。……すごく、穏やかで、幸せそうな顔を、していたぞ」
俺は、一つ、一つ、丁寧に、言葉を紡いだ。
良いことも、悪いことも、すべて。
まるで、旅先から、恋人に、手紙を書くかのように。
「……ゼノンが、眠る場所は、分からなかった。……だが、あいつが守った、王都は、今も、平和だ。……人々は、もう、魔王の脅威も、世界の歪みも、忘れて、笑い合っていた。……あいつが、望んだ通りの、秩序ある、世界だ」
「……そしてな、エリア」
俺は、最後に、廃教会で見た、あの光景を、話した。
「……あの、廃教会の庭に、お前が好きだった、希望の花が、咲いていたんだ。……たくさん、たくさん、咲いていた。……まるで、青い、絨毯みたいに」
俺は、そこで、言葉を切った。
もう、報告すべきことは、何もなかった。
俺は、自分の役目を、果たしたのだ。
「……世界は、あんたが守った通り、とても、綺麗だった」
俺は、旅の途中で、摘んできた、一輪の、青い野の花を、そっと、墓石の前に、供えた。
そして、自分の外套の襟に留めていた、ガラスの髪飾りを、外した。
五年という歳月が、その輝きを、少しも、曇らせてはいない。
「……これは、あんたに、返しておく」
俺は、その髪飾りを、墓石の、一番、綺麗な場所に、置いた。
「……俺は、もう、大丈夫だから」
そうだ。
俺は、もう、大丈夫だ。
この、形見がなくても、俺は、もう、エリアのことを、忘れたりはしない。
彼女の記憶は、俺の心の中で、魂の一部となって、永遠に、生き続けるのだから。
俺は、ゆっくりと、立ち上がった。
夕日が、海と、空を、燃えるような、オレンジ色に、染め上げている。
それは、俺たちの、最後の旅が、始まった日の、夕焼けと、同じ色だった。
俺の、贖罪の旅は、終わった。
そして、ここから、俺の、新しい、人生が、始まる。
俺は、丘を、下り始めた。
エリアの墓に、背を向けて。
だが、その心は、不思議と、晴れやかだった。
だって、俺には、もう、帰る場所が、あるのだから。
エリアが、その命と引き換えに、俺に、遺してくれた、温かい、我が家が。
俺は、懐かしい、村の灯りを目指して、確かな、一歩を、踏み出した。




