第49話:忘れられた聖域
フォルト村を後にしてから、さらに、半年という月日が流れた。
俺の旅は、続いていた。
地図に記された、エリアとの思い出の地を、一つ、また一つと、巡っていく。
星降りの高原では、満天の星空の下で、エリアの幸せそうな横顔を思い出し、一人、夜を明かした。
俺が育った廃村では、俺自身の孤独な過去と、それを癒してくれたエリアの温もりを、静かに、反芻した。
どの場所も、エリアとの、色褪せることのない記憶に、満ち溢れていた。
そして、同時に、俺たちの旅が、どれほどの傷跡を、世界に残してきたのかを、俺に、容赦なく、突きつけてきた。
その日、俺は、鬱蒼と茂る、深い森の中にいた。
かつて、エリアが熱を出した時、賢者エルミナを訪ねて、駆け抜けた森だ。
俺は、賢者の庵があったはずの場所へと、向かっていた。
彼女に、礼を言いたかった。
そして、可能ならば、聞きたかった。
俺の、この旅に、果たして、意味はあるのかを。
だが、俺が辿り着いた場所に、賢者の庵は、なかった。
そこには、焼け落ちた、丸太小屋の残骸が、無残な姿を、晒しているだけだった。
何者かに、襲撃されたのだ。
おそらく、ゼーリオンだろう。俺たちの足跡を追う過程で、ここに立ち寄り、賢者を……。
俺は、最悪の結末を想像し、歯を食いしばった。
また、俺のせいだ。
俺と関わったばかりに、あの賢者まで……。
罪悪感が、毒のように、俺の心を蝕んでいく。
俺は、失意のまま、その場を、立ち去ろうとした。
だが、その時、森の奥から、微かに、子供たちの、歌声が聞こえてきた。
賛美歌のような、素朴で、清らかなメロディ。
こんな、森の奥深くに、子供たち?
俺は、警戒しながらも、歌声のする方へと、ゆっくりと、足を向けた。
森の、開けた場所に、それは、あった。
石造りの、古い、小さな修道院。
壁には、蔦が絡まり、屋根の鐘楼は、半ば、崩れかけている。
忘れ去られた、聖域。
歌声は、その修道院の中から、聞こえてきていた。
俺は、そっと、窓から、中の様子を、窺った。
中は、簡素な礼拝堂になっていた。
祭壇の前では、十数人の、幼い孤児たちが、一人のシスターを囲んで、熱心に、歌の練習をしている。
その、シスターの姿を見て、俺は、息を呑んだ。
亜麻色の髪を、簡素な頭巾で、束ねている。
純白の、質素な修道服。
その横顔は、俺が、決して、忘れるはずのない、面影を宿していた。
「…………カサンドラ……?」
俺の口から、掠れた声が、漏れた。
そうだ。
間違いない。
聖女、カサンドラ。
あの、ドワーフ・フォートで、俺たちを救うために、その身を犠牲にしたはずの、仲間。
彼女は、生きていたのだ。
俺の心臓が、激しく、高鳴った。
会いたい。
声を、かけたい。
だが、俺の足は、その場に、縫い付けられたように、動かなかった。
俺に、彼女と、再会する資格があるのか?
彼女は、俺たちのために、聖女としての、すべてを捨てた。
その、尊い犠牲に対して、俺は、何一つ、報いることが、できていない。
こんな、罪を背負って、放浪しているだけの俺が、どの面を下げて、彼女に会えるというのか。
俺が、葛藤していると、不意に、歌の練習が、終わった。
シスター――カサンドラが、子供たちに、優しく、微笑みかける。
「はい、今日は、ここまでです。皆さん、とても、上手になりましたね」
「シスター! もっと、歌いたい!」
「ふふっ。また、明日、にしましょう。さあ、おやつの時間ですよ」
子供たちは、歓声を上げて、礼拝堂から、駆け出していった。
一人、残されたカサンドラは、祭壇の前に、静かに、膝をついた。
そして、祈りを、捧げ始めた。
その姿は、あまりにも、神聖で、清らかで。
今の、薄汚れた俺には、眩しすぎた。
俺は、踵を返し、その場を、去ろうとした。
彼女が、こうして、平和に暮らしている。
その事実を、知れただけで、十分だった。
俺が、彼女の平穏を、乱すべきではない。
だが、その背中に、静かな、声が、かかった。
「…………リアン、……なのですね?」
俺は、弾かれたように、振り返った。
いつの間にか、カサンドラが、礼拝堂の入り口に、立っていた。
彼女は、俺の、変わり果てた姿を見ても、驚いた様子はなかった。
ただ、その、慈愛に満ちた瞳を、潤ませて、俺を、まっすぐに、見つめている。
「……ずっと、待っていました」
彼女は、そう言って、ゆっくりと、こちらへ、歩み寄ってきた。
「……あなたが、いつか、ここを、訪れてくれることを。……ずっと、信じて、祈っていました」
その言葉に、俺の、最後の、心の壁が、音を立てて、崩れ落ちた。
俺は、もう、何も、言うことが、できなかった。
ただ、二年ぶりに再会した、大切な仲間の前で、子供のように、立ち尽くしているだけだった。




