第48話:井戸の底に見えたもの
フォルト村での、俺の奇行は、いつしか、村人たちの間で、噂になっていた。
「あの、気味の悪い旅人は、一体、何者なんだ」
「昼も夜も、休まずに、穴を掘り続けているぞ」
「魔王の手下の、呪い師なんじゃないのか」
彼らのひそひそ話が、風に乗って、俺の耳にも、届いてくる。
だが、俺は、そんな言葉に、心を動かされることはなかった。
ただ、無心に、地面を掘り進める。
穴は、すでに、俺の背丈を、遥かに超える深さにまで、達していた。
作業を始めてから、十日が過ぎた頃。
変化は、突然、訪れた。
俺が、つるはしを振り下ろした、その先端から、じわり、と、湿った土の感触が、伝わってきたのだ。
水脈に、当たったのだ。
「……!」
俺は、夢中で、土を掻き出した。
すると、乾いていた土の間から、ちょろちょろと、細く、しかし、確かな、水の流れが、染み出し始めた。
それは、やがて、小さな水たまりとなり、穴の底を、満たしていく。
「……水だ……」
俺は、泥だらけの手で、その水をすくい上げた。
ひんやりと、冷たい。
紛れもない、命の水。
俺は、その水を、渇いた喉へと、流し込んだ。
体中に、染み渡っていく、清らかな感覚。
その時、穴の上から、村人たちの、どよめきが聞こえてきた。
「お、おい! 見ろ! 水が出たぞ!」
「本当だ! あの旅人が、本当に、水脈を掘り当てやがった!」
いつの間にか、俺の周りには、村人たちが、大勢、集まっていた。
彼らは、信じられないものを見るかのように、穴の底から湧き出る水を、ただ、呆然と、見つめている。
その目には、もう、俺への不審の色はなかった。
ただ、純粋な、驚きと、そして、かすかな、希望の光が、宿っていた。
最初に、動いたのは、あの老人だった。
彼は、おもむろに、縄梯子を、穴の中へと、下ろしてくれた。
「……おい、旅人。……もう、いい。上がってこい」
その声は、ぶっきらぼうだが、どこか、温かみが、あった。
俺は、縄梯子を登り、地上へと、這い出した。
村人たちは、俺のために、道を開けている。
誰も、何も言わない。
だが、その視線は、確かに、変わっていた。
老人は、俺の前に立つと、深く、深く、頭を下げた。
「……すまなかった。……あんたのこと、疑ったりして……」
「……気にするな」
「……あんたは、この村の、恩人だ。……いや、神様が、遣わしてくださった、救いの御使い様だ」
救いの御使い。
その言葉は、まるで、鋭い棘のように、俺の胸に、突き刺さった。
違う。俺は、そんなものじゃない。
俺は、この村から、希望を奪った、張本人なのだから。
俺は、何も言わずに、その場を、立ち去ろうとした。
俺の役目は、もう、終わった。
ここに、長居する理由は、ない。
だが、その背中に、老人の、声が、かかった。
「……待ってくれ、旅人さん! ……せめて、名前だけでも、聞かせてくれんか! あんたの、その御恩を、俺たちは、末代まで、語り継ぎてえんだ!」
名前。
俺には、もう、名乗るべき、名前など、なかった。
勇者リアンは、死んだのだ。
俺は、振り返らずに、ただ、一言だけ、呟いた。
「……俺に、名前はない」
そして、今度こそ、歩き出した。
村人たちの、戸惑ったような視線を、背中に感じながら。
村はずれまで来た時、一人の、小さな女の子が、俺の前に、駆け寄ってきた。
年の頃は、六つか、七つか。
その手には、一輪の、素朴な、野の花が、握られていた。
「……おじちゃん、これ……あげる」
女の子は、少し、恥ずかしそうに、その花を、俺に、差し出した。
「……お母さんが、言ってたの。……ありがとうの、気持ちだよって」
俺は、その花を、受け取ることが、できなかった。
俺に、感謝される、資格など、ない。
俺の手は、この村を、苦しめた、汚れた手なのだから。
俺が、立ち尽くしていると、女の子は、不思議そうに、首を傾げた。
そして、俺の外套の襟に留められた、青いガラスの髪飾りに、気づいた。
「……あ、それ、お花だ。……綺麗だね」
その、無邪気な言葉。
エリアが、もし、ここにいたら。
きっと、この女の子と、一緒に、笑って、花の話を、しただろう。
そんな、あり得ない光景が、脳裏に浮かび、俺の目頭が、熱くなった。
俺は、衝動的に、その場に、膝をついた。
そして、女の子の、頭を、そっと、撫でた。
エリアの、頭を撫でてやるように、優しく。
「……強く、生きろよ」
俺は、それだけ言うと、今度こそ、本当に、村に背を向けた。
女の子の、ありがとう、という声が、いつまでも、俺の背中を、追いかけてきていた。
俺は、償うために、この村に来た。
自分に、罰を与えるために。
だが、俺が、最後に受け取ったのは、罰ではなく、一輪の花に込められた、温かい、感謝の心だった。
俺は、まだ、この温かさを、受け取る準備が、できていない。
俺の旅は、まだ、始まったばかりなのだ。
俺は、涙をこらえながら、次の、贖罪の地へと、歩みを進めた。
井戸の底から見えたのは、ただの水ではなかった。
それは、俺が、これから、向き合っていかなければならない、人間の、温かさと、そして、俺自身の、罪の、深さだった。




