第45話:海へ
騎士団長が去った後も、俺は、エリアの両親の家で、さらに数日を過ごした。
父親は、俺に、無理に村を出ていけとは言わなかった。ただ、黙って、傷ついた俺の心が、少しでも癒えるのを、待ってくれているようだった。
俺は、日中、父親の漁の手伝いをした。
網を引き、魚を捌き、船を修理する。
勇者の力など、何の役にも立たない、地道で、誠実な労働。
汗を流し、体を動かしている間だけは、辛い記憶を、少しだけ、忘れることができた。
母親は、そんな俺の姿を、いつも、優しい目で見守ってくれていた。
そして、毎食、温かい、野菜のスープを、必ず、作ってくれた。
それは、エリアが、最後に食べたがっていた、思い出の味。
俺は、そのスープを飲むたびに、胸が締め付けられそうになりながらも、決して、残すことはなかった。
穏やかな日々だった。
もし、俺に、普通の人間としての心があれば、このまま、この村で、静かに暮らしていくという選択肢も、あったのかもしれない。
だが、俺の心は、それを許さなかった。
俺には、まだ、やらなければならないことが、残っていた。
俺の体力が、完全に回復した、ある晴れた日の朝。
俺は、エリアの両親に、頭を下げた。
「……今日、この村を、発とうと思います」
二人は、何も言わなかった。
ただ、この日が来ることを、覚悟していたかのように、静かに、頷くだけだった。
「……その前に、一つだけ、お願いがあります」
俺は、続けた。
「……エリアを、彼女が、一番、行きたがっていた場所へ、連れて行ってやりたいんです」
その日の昼下がり。
俺と、エリアの両親は、小さな丘の上にいた。
村の墓地の、一番、見晴らしのいい場所。
そこからは、エリアが愛した故郷の海が、どこまでも、青く、雄大に、広がっている。
父親の腕には、小さな、白木の箱が、大切そうに、抱えられていた。
エリアの、亡骸。
俺は、その箱を、父親から、静かに、受け取った。
驚くほど、軽い。
あの、短い時間の中で、俺が背負い続けた、彼女の命の重さが、嘘のように。
俺は、その箱を抱きしめ、崖の縁まで、ゆっくりと歩いていった。
そして、眼下に広がる、きらきらと輝く海に向かって、語りかけた。
「……エリア。海だ」
その声は、震えていた。
「……お前が、見たがっていた、故郷の海だ。……約束、果たせなくて、すまなかったな……」
潮風が、俺の頬を、優しく、撫でていく。
まるで、彼女が、すぐそばで、俺の言葉に、耳を傾けているかのようだった。
「……すごく、綺麗だぞ。……空の青が、溶け込んだみたいに、どこまでも、青くて……。……潮の匂いがして……。カモメが、気持ちよさそうに、飛んでる」
俺は、彼女に、見えない景色を伝えるように、必死に、言葉を紡いだ。
手のひらに、文字を書いてやれたなら。
そう思うと、また、涙が、こみ上げてきた。
俺と父親は、丘の上に、小さな穴を掘った。
そして、白木の箱を、その中に、そっと、納めた。
母親は、その傍らに、エリアが好きだった、村の野の花を、たくさん、供えた。
小さな、名もなき墓。
だが、そこは、世界で一番、美しい場所に、思えた。
俺たちは、日が暮れるまで、三人で、そこに佇んでいた。
誰も、何も、喋らない。
ただ、愛する少女のことを、心の中で、想うだけ。
それは、とても、静かで、そして、温かい、弔いの時間だった。
夕日が、海を、茜色に染め上げる。
俺は、エリアの墓に、最後の別れを告げた。
「……また、いつか、会いに来る。……それまで、ゆっくり、休めよ」
そして、俺は、エリアの両親に、深く、深く、頭を下げた。
「……本当にお世話になりました。この御恩は、一生、忘れません」
「……リアンさん」
母親が、涙をこらえながら、言った。
「……どうか、ご自分を、責めないで。……あなた自身の、幸せを、見つけてください。……それが、あの子の、一番の願いだと思いますから」
「…………はい」
俺は、それだけ、答えるのが、精一杯だった。
俺は、二人に背を向け、丘を下り始めた。
もう、振り返らない。
俺の、新たな旅が、ここから、始まるのだから。
それは、英雄でも、勇者でもない。
ただの、リアンという、一人の男の、答えを探すための、長い、長い、旅路だった。




