第38話:ゼノンの苦悩と最後の陽動
洞窟の中で、白と黒の閃光が、未だ激しく交錯していた。
ゼノンは、王国一の魔法使いの名に恥じぬ、多彩で強力な魔法を、次々とゼーリオンに叩き込んでいた。
絶対零度の氷塊が、空間を断ち切る真空の刃が、大地を揺るがす岩の槍が、絶え間なくゼーリオンを襲う。
だが、そのすべては、ゼーリオンの周囲に展開された、薄い闇の障壁によって、いともたやすく防がれていた。
「……無駄だ、人間。お前の魔法は、私の『理』には届かん」
ゼーリオンは、指一本動かさずに、ゼノンの猛攻を受け流している。
その顔には、退屈の色すら浮かんでいた。
「……くっ……!」
ゼノンは、焦っていた。
すでに、自身の魔力の半分以上を消費している。だが、相手には、傷一つ負わせられていない。
これほどの、絶対的な力量差。
彼が、これまでの人生で、初めて味わう屈辱と、絶望だった。
(……これが、リアンが戦っていた相手か……!)
ゼノンは、初めて、リアンの苦悩を、その身をもって理解した。
こんな化け物を前に、あの少女を守りながら、彼は、たった一人で戦い続けてきたのだ。
自分は、そんな彼を、愚かだと、断じた。
なんと、傲慢だったことか。
ゼノンの脳裏に、カサンドラの、悲痛な叫びが蘇る。
『あなたの言う正義は、そんなにも、血も涙もないものなのですか!?』
そうだ。
自分は、ずっと、間違っていたのかもしれない。
世界の秩序という、巨大で、抽象的なものばかりに目を向け、目の前にある、たった一つの、かけがえのない絆の価値を、見ようとしてこなかった。
リアンは、それを選んだ。
カサンドラもまた、それを選んだ。
自分だけが、ずっと、数字と論理の世界に、閉じこもっていた。
「……そろそろ、飽きた」
ゼーリオンが、心底つまらなそうに、呟いた。
「遊びは、終わりだ。消えろ、人間」
彼が、そっと手をかざすと、ゼノンの足元から、無数の黒い棘が、槍のように突き出してきた。
「ぐっ……!〈フロート〉!」
ゼノンは、咄嗟に浮遊魔法でそれをかわすが、すでに、彼の周囲、上下左右、すべての空間が、黒い棘によって、完全に埋め尽くされていた。
逃げ場のない、死の檻。
(……ここまで、か……)
ゼノンは、死を覚悟した。
だが、彼の脳裏に、最後に浮かんだのは、世界の未来でも、王国の安泰でもなかった。
それは、リアンと、そして、まだ幼かったカサンドラと、三人で旅をしていた頃の、他愛もない記憶だった。
焚き火を囲み、くだらないことで笑い合った、あの温かい夜。
あの頃は、確かに、自分にも、血の通った心があったはずだ。
「……すまない、リアン……カサンドラ……」
彼が、そう呟き、目を閉じた、その時だった。
彼の懐で、王家から授けられていた通信用の魔水晶が、激しい光を放った。
それは、国王からの、緊急勅命を意味する光。
『――ゼノン! 聞こえるか!』
国王の、切迫した声が、ゼノンの頭の中に、直接、響き渡る。
『……陛下……!』
『……聖女カサンドラが、最後の力で、王都に真実を伝えてきた……! 真の敵は、ゼーリオンという魔族であること。そして、勇者リアンが、自らの命と引き換えに、魔王の魂を浄化しようとしていることを……!』
なんだと……!?
リアンが、自らの命を……?
ゼノンは、衝撃に目を見開いた。
『……ゼノンよ! もはや、躊躇している時ではない! 王国の、いや、世界の存亡は、勇者リアンの、その最後の儀式にかかっておる!』
『……』
『……お前に、最後の勅命を下す! 王都騎士団の全戦力を、お前に預ける! いかなる犠牲を払ってでも、ゼーリオンを足止めし、リアンが儀式を終えるまでの、時間を稼ぐのだ!』
それは、もはや討伐命令ではない。
ただ、ひたすらに耐えろという、決死の陽動命令だった。
ゼノンの心に、熱いものが、込み上げてきた。
そうだ。まだ、終われない。
自分には、まだ、やるべきことがある。
友の、最後の我儘を、命を懸けて、守り抜くという、大切な役目が。
「――承知、いたしました」
ゼノンは、力強く、応えた。
そして、黒い棘の檻が、彼を完全に飲み込もうとする、その瞬間。
彼の全身から、純白の魔力が、爆発的に、噴き上がった。
「――〈絶対凍土〉(アブソリュート・ゼロ)!!」
それは、彼の持つ、最大最強の奥義。
周囲のありとあらゆるものを、原子の運動すら停止させる、絶対零度の冷気で、完全に凍結させる禁断の魔法。
黒い棘は、一瞬にして、白い氷の彫刻へと変わり、そして、粉々に砕け散った。
「……ほう?」
ゼーリオンが、わずかに、目を見開く。
氷の中から現れたゼノンの姿は、一変していた。
髪は、魔力の代償で、真っ白に染まり、その瞳は、燃えるような、決意の青い光を宿していた。
「……ゼーリオン。あなたの相手は、この私です」
彼は、杖を構え、静かに、宣言した。
「我が友が、その大仕事を終えるまで……あなたを、この場から、一歩も動かしはしません」
リアリストの、最後の戦いが、始まろうとしていた。
それは、世界の秩序のためではない。
ただ、一人の友との、見えざる絆のために。




