第37話:カサンドラの光
ゼノンとゼーリオンが激突した衝撃で、洞窟全体が、まるで生き物のように、激しく揺れた。
天井からは、岩盤が崩れ落ちてくる。
俺は、エリアを背負い、その落石を必死にかわしながら、洞窟のさらに奥へと続く、細い通路へと駆け込んだ。
「リアンさん……! ゼノンさんは……!」
背中で、エリアが不安そうな声を上げる。
「……大丈夫だ。あいつを信じろ」
俺は、そう答えるのが精一杯だった。
本当は、分かっている。
ゼノンが、ゼーリオンに勝てる可能性は、限りなくゼロに近い。
彼がやっているのは、ただの、絶望的な時間稼ぎに過ぎないのだ。
背後で、再び、凄まじい轟音が響き渡った。
通路が、完全に崩落し、俺たちが来た道は、完全に塞がれてしまった。
これで、もう、戻ることはできない。
俺たちは、未知の暗闇の中を、手探りで進んでいくしかなかった。
幸い、洞窟は、さらに奥へと続いていた。おそらく、山の反対側へと抜ける、古い鉱脈の跡なのだろう。
どれほどの時間、歩き続けただろうか。
やがて、前方から、微かな光が差し込んでいるのが見えた。
出口だ。
俺は、最後の力を振り絞り、光の元へと駆け寄った。
洞窟を抜けた先は、切り立った崖の中腹にある、小さな岩棚だった。
眼下には、どこまでも続く、広大な針葉樹の森が広がっている。
俺たちは、ついに、あの険しい山脈を越えたのだ。
故郷の海は、もう、この森を抜けた先にある。
「……はぁ……はぁ……」
俺は、その場に膝をつき、荒い息を整えた。
エリアの体は、氷のように冷え切っている。彼女の意識は、ほとんどないに等しい。
だが、まだ、かろうじて、息はある。
俺は、懐から、カサンドラが残してくれた、一枚の羊皮紙を取り出した。
ゼーリオンの出現を知らせてくれた、あの手紙だ。
俺は、それに縋るように、心の中で、叫んだ。
(……カサンドラ……! 聞こえるか……! 何か、何か方法はないのか……! ゼーリオンを倒し、エリアを救う方法が……!)
その、必死の祈りに応えるかのように、羊皮紙が、再び、ふわりと、温かい光を放った。
光は、洞窟の壁に、いくつかの古代文字と、一枚の絵を、幻のように映し出した。
そこに描かれていたのは、一本の、荘厳な剣。
そして、その剣を、一人の少女に振り下ろそうとする、勇者の姿だった。
俺は、その絵に、見覚えがあった。
魔王城の書庫で、一度だけ目にしたことがある、禁断の儀式を描いた、古い壁画だ。
カサンドラの、声なき声が、俺の心に、直接、響いてくる。
『……リアン……。それが、聖剣〈アルティウス〉の、真の姿……』
『聖剣は、本来、魔を滅ぼすだけの武器ではありません……。それは、歪んでしまった魂を、その呪縛から解放し、あるべき場所へと還すための、『鍵』なのです……』
鍵……?
どういうことだ。
『……エリアさんの魂は、先代魔王の、強大な負の力に、完全に囚われてしまっています……。彼女を救う唯一の方法は、聖剣の真の力で、その魂の檻を、断ち切ること……』
カサンドラの言葉は、衝撃的な事実を、俺に告げていた。
聖剣の真の力……魂の解放。
それは、つまり――。
『……はい。エリアさんの魂と、魔王の力を、完全に分離させるのです。……そうすれば、彼女は、魔王の呪縛から解放され、ただの人間の少女に戻ることができるでしょう……』
『……ですが、その儀式には、膨大な聖なる力が必要です。……今のあなたの力だけでは、足りません……』
では、どうすれば。
俺の問いに、カサンドラの光は、悲しい答えを映し出した。
『……術者の、命そのものを、聖なる力に変換し、聖剣に注ぎ込むのです……』
――自らの命と、引き換えに。
俺は、息を呑んだ。
やはり、そうだったのか。
エリアを救うには、俺の命を、捧げなければならない。
それは、究極の選択だった。
だが、俺の心に、迷いはなかった。
エリアが助かるのなら。
彼女が、魔王の苦しみから解放され、残されたわずかな時間を、ただの少女として、穏やかに過ごせるのなら。
俺の命など、安いものだ。
『……リアン……。ごめんなさい……。こんな、残酷な方法しか、見つけられなくて……』
カサンドラの光が、申し訳なさそうに、揺らめいた。
俺は、首を横に振った。
そして、手のひらに、エリアへの言葉を綴る。
『も・う・す・ぐ・う・み・だ』
俺は、意識のない彼女を、再び、優しく背負った。
その体は、羽のように軽い。
だが、俺にとっては、世界そのものよりも、重く、そして、尊い命だった。
「……行こう、エリア」
俺は、眼下に広がる広大な森を見下ろし、静かに呟いた。
俺の、最後の旅が、始まる。
エリアを救い、そして、俺自身の運命に、決着をつけるための、最後の旅路が。




