第36話:リアリストの矜持
「……ゼノン、だと?」
ゼーリオンは、俺の首を掴んだまま、洞窟の入り口に立つ闖入者を、訝しげに見つめた。
「ほう。人間の魔法使いか。少しは、骨がありそうだな」
彼は、俺をまるでゴミのように、洞窟の壁へと投げ捨てた。
「ぐはっ……!」
背中を強打し、肺から空気がすべて絞り出される。俺は、その場に崩れ落ち、激しく咳き込んだ。
だが、ゼーリオンは、もはや俺には興味がないようだった。彼の関心は、新たなる獲物――ゼノンへと、完全に向いていた。
「何の用だ、人間。死に急ぎに来たか?」
ゼーリオンの問いに、ゼノンは、冷静沈着な態度を崩さずに、答えた。
「あなたに、いくつか質問があって来ました。……あなたが、各地で発生している、大規模凍結事象の犯人ですね?」
「……いかにも。それが、どうかしたか」
「その目的は?」
ゼノンは、まるで学者か探偵のように、淡々と問いを重ねる。
ゼーリオンは、その態度が、逆に興味を引いたらしい。彼は、面白そうに、口の端を吊り上げた。
「……目的、か。いいだろう、教えてやる。死にゆく者への、餞別だ」
ゼーリオンは、芝居がかった仕草で、両腕を広げた。
「我が目的は、世界の『浄化』だ」
「浄化?」
「そうだ。この世界は、あまりにも不完全で、無価値なもので満ち溢れている。感情、欲望、生命……。すべてが、秩序のない、混沌としたエネルギーの浪費に過ぎん。……故に、私は、この世界を、一度、完全なる『無』へと還すことにした。すべてが凍てつき、すべての動きが止まった、完璧で、美しい世界を創造するのだ」
その言葉は、狂気に満ちていた。
先代魔王の、人間への憎悪や、世界征服という欲望とは、全く次元が違う。
彼にあるのは、ただ、この世界そのものへの、絶対的な侮蔑と、それを修正しようとする、歪んだ神のような思想だった。
「……なるほど。理解しました」
ゼノンは、静かに頷いた。
「あなたの思想は、世界の秩序を重んじる私の考えとは、似ているようで、根本的に相容れない」
「ほう?」
「私は、秩序ある『発展』を望む。あなたは、秩序ある『停滞』を望む。……つまり、あなたという存在は、私が守るべき世界のシステムにとって、許容できない、致命的なバグ、ということになります」
そう言うと、ゼノンは、杖を、まっすぐにゼーリオンに向けた。
「――よって、これより、あなたを排除します」
その宣言は、揺るぎない決意に満ちていた。
彼は、俺やエリアを助けるために、ここに来たのではない。
ただ、彼自身の信じる『正義』と『秩序』のために、新たなる世界の敵を、排除しに来たのだ。
「フ……ハハハハハ!」
ゼーリオンが、腹を抱えて笑い出した。
「面白い! 実に、面白いぞ、人間! 私を、バグだと? この私を、排除すると? ……いいだろう! やってみせろ! お前のちっぽけな秩序とやらが、私の絶対的な無の前に、どこまで通用するかをな!」
ゼーリオンの全身から、漆黒の魔力が、再び噴き上がる。
対するゼノンも、杖の先端に、純白の冷気を収束させていく。
洞窟の中は、黒と白、二つの絶対的な力が衝突する、寸前の緊張感に満ちていた。
「リアン! エリアを連れて、ここから逃げなさい!」
ゼノンが、俺に向かって叫んだ。
「ここは、私が食い止めます!」
「……ゼノン……お前……」
「感傷に浸っている暇はありません! 行け!」
俺は、歯を食いしばった。
こいつは、俺を助けに来たわけではない。分かっている。
だが、結果として、こいつは、俺とエリアのために、命を懸けて、この絶望的な化け物に、立ち向かおうとしている。
俺は、壁際で震えているエリアの元へ駆け寄った。
「……エリア、行くぞ!」
「で、でも……ゼノンさんが……!」
「あいつは、大丈夫だ! あいつは、王国一の魔法使いなんだ! それに……」
俺は、言葉を続けた。
「……俺の、親友なんだ」
俺は、エリアを背負い、立ち上がった。
ゼノンは、俺に背を向けたまま、言った。
「……リアン。一つ、訂正を」
「……何だ」
「あなたの選択は、愚かではなかったのかもしれない。……世界の数十億の命より、たった一つの絆を選んだ、あなたのその『不合理』さが……あるいは、この世界を救う、最後の鍵になるのかもしれないと……。今、少しだけ、そう思いました」
「…………」
「……まあ、気の迷いでしょうがね」
ゼノンは、そう言って、フッと、昔のように、皮肉っぽく笑った。
それが、俺が彼と交わした、最後の言葉になった。
「――では、始めましょうか。世界の存亡を賭けた、秩序と混沌の論争を」
ゼノンの言葉を合図に、白と黒の閃光が、洞窟の中で、激しく衝突した。
俺は、その爆風を背に受けながら、エリアを背負い、洞窟の奥へと、必死に走っていた。
友の、決死の覚悟を、無駄にしないために。




