第97話 最初の花と、みんなで見る朝
朝、空は青かった。
雲は少なく、光が庭いっぱいに広がっている。
風も穏やかだ。
縁側に出る。
いつものように庭を見る。
草。
若葉。
そして――
「あ」
思わず声が出た。
枝先のつぼみ。
そのひとつが開いている。
小さな花。
まだ一輪だけ。
でも、確かに咲いていた。
白くて小さい。
朝の光を受けて、静かに揺れている。
「咲いたのう」
みーちゃんが言う。
「うん」
それ以上の言葉が出ない。
ただ見てしまう。
冬の間は雪を見ていた。
今は花を見ている。
同じ庭なのに、まるで違う景色だった。
◇ ◇ ◇
台所へ戻る。
窓は開いている。
風が入る。
湯を沸かす。
火の音が心地いい。
味噌桶の蓋を開ける。
変わらない匂い。
春になっても変わらないもの。
それが少し嬉しい。
湯飲みを並べる。
三つ。
そして四つ目。
もう自然だった。
◇ ◇ ◇
坂の下で戸の音。
足音が二つ。
佐伯さんと、ゆうた。
いつもの朝。
縁側の前で止まる。
「おはようございます」
「おはよう」
ゆうたも小さく手を上げる。
「おはよう」
そのまま庭を指す。
「見て」
二人が視線を向ける。
若葉の枝先。
小さな花。
ゆうたが目を丸くする。
「あ」
昨日の私と同じ声。
少し笑ってしまう。
「咲いたね」
ゆうたが木を見上げる。
しばらく何も言わない。
それから、
「ほんとだ」
ぽつりと言う。
嬉しそうな声だった。
◇ ◇ ◇
縁側に座る。
三人。
そして空いた一席。
春の光が差し込む。
湯を配る。
湯気がゆっくり流れる。
佐伯さんが花を見る。
「早かったですね」
「思ったより」
そう答える。
昨日はつぼみだった。
今日は花。
春は時々、急ぐ。
ゆうたが聞く。
「増える?」
「増えると思う」
そう言うと、嬉しそうにうなずく。
もう次を待っている。
昨日のつぼみの時と同じだ。
少し先を見るようになった。
◇ ◇ ◇
風が吹く。
花が揺れる。
若葉も揺れる。
庭全体が小さく動く。
タマは眠っている。
花より昼寝の方が大事らしい。
「さすがじゃ」
みーちゃんが言う。
「何が」
「猫は今を生きとる」
少し笑う。
確かにそうだった。
花が咲こうが、咲くまいが。
タマはタマだ。
◇ ◇ ◇
そのとき、坂の下から声がした。
「たえこちゃーん」
ツネさんだ。
みんなで振り向く。
ツネさんが手を振っている。
そして花を見つける。
「あら!」
声が少し大きくなる。
坂を上がってくる足取りまで軽い。
「咲いたのねぇ」
縁側の前まで来るなり言う。
「咲いた」
そう返す。
ツネさんが花を見る。
とても嬉しそうな顔。
まるで自分の家の花みたいだ。
でも、この村ではきっとそうなのだろう。
誰かの庭の花も、少しみんなの花だ。
◇ ◇ ◇
四つ目の座布団が埋まる。
湯飲みも四つ。
花を見ながら、お茶を飲む。
誰も大きなことは言わない。
でも、みんな同じものを見ている。
それだけで十分だった。
ゆうたが花を見ながら言う。
「きれい」
小さな声。
でも、ちゃんと聞こえた。
「うん」
私も答える。
「きれいだね」
◇ ◇ ◇
冬の始まり。
この縁側には私とみーちゃんしかいなかった。
雪を見ていた。
静かな毎日だった。
今は違う。
草が生え。
若葉が出て。
花が咲き。
人が増えた。
でも、不思議なほど静かだ。
その静けさが好きだった。
春の光の中。
小さな花が揺れている。
その花を囲むように、みんながいる。
今年最初の花は、
ちゃんとみんなで見ることができた。




