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第92話 空いた座布団と、次を待つ昼

昼すぎ、空は淡く晴れていた。

 雲は薄く、光がやさしく庭へ落ちている。

 風は、昨日より少しあたたかい。


 縁側に出る。


 昨日のまま、座布団が四つ並んでいる。


 片づけようと思っていたのに、

 そのままにしてしまった。


 なんとなく。


 でも、その理由は分かっている。


 「待っとるな」

 みーちゃんが言う。


 「待ってない」


 そう返す。


 でも、少しだけ間が空く。


 みーちゃんが小さく笑う。


 庭の草は、また少し増えていた。

 春は、毎日ほんの少しずつ進む。


 タマは座布団のひとつを占領している。

 丸くならず、長く伸びている。


 「そこ、私のなんだけど」


 言うと、耳だけが動く。


 どかない。


 台所へ戻る。


 窓は開いている。

 風が抜ける。


 火を入れる。

 弱い音。


 味噌桶の蓋を開ける。

 変わらない匂い。


 でも、今日は少し甘い匂いが残っている。


 昨日の団子。


 縁側に残った春の名残。


 湯を沸かす。


 自然に、湯飲みを四つ出していた。


 手が止まる。


 少し考えて、そのままにする。


 「増えたままじゃな」


 みーちゃんの声。


 「うん」


 戻る。


 座布団。

 湯飲み。

 春の風。


 全部が静かに並んでいる。


 坂の下で戸の音。


 足音が二つ。


 佐伯さんと、あの子ども。


 縁側の前で止まる。


 「おはようございます」

 佐伯さん。


 「おはよう」


 子どもが座布団を見る。


 四つ。


 少し不思議そうな顔。


 「ひとつ多い」


 ぽつりと言う。


 「昨日のまま」


 そう答える。


 少し考えてから、

 子どもが言う。


 「また来る?」


 誰のことか、聞かなくても分かる。


 「来るかもね」


 それだけ返す。


 子どもが小さくうなずく。


 それで十分だった。


 「入っていいですか」


 佐伯さんが言う。


 「今日は縁側で」


 そう言うと、少し驚いた顔。


 それから笑う。


 「いいですね」


 三人が座る。


 空いた一つは、そのまま。


 誰も詰めない。


 そこにあるのが自然みたいに。


 湯を配る。


 子どもが湯飲みを持つ。


 「ひとつ、ない」


 空いた場所を見る。


 「うん」


 短く返す。


 空いている。

 でも、足りない感じではない。


 ただ、残してある。


 風が通る。


 草が揺れる。


 どこかで鳥の声。


 春の音。


 佐伯さんがぽつりと言う。


 「こういう空き方、いいですね」


 少し考える。


 「うん」


 埋めなくていい空き方。


 次のために、

 そのまま残しておける場所。


 みーちゃんが言う。


 「余白じゃな」


 「うん」


 春は、広がる季節だ。


 ぎゅうぎゅうに詰めない。


 少し空けて、

 風や人が入る場所を残す。


 子どもが空いた座布団を見ながら言う。


 「ここ」


 ぽつり。


 「うん、ここ」


 そのまま返す。


 誰かの場所。


 まだ空いているけれど、

 ちゃんとある。


 やがて二人が立ち上がる。


 「また来ます」

 佐伯さん。


 子どもは、空いた座布団を一度見る。


 それでいい。


 二人が坂を下りていく。


 足音が二つ。


 縁側に残るのは、

 四つの座布団と、春の風。


 空いたひとつは、

 静かに次を待っていた。

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