第90話 縁側の昼と、春の音
昼前、陽射しが縁側いっぱいに広がっていた。
空はよく晴れている。
風はやわらかく、冷たさより明るさを運んでくる。
縁側に出る。
板が、ほんのり温かい。
冬のころは、触れるとすぐ冷えが伝わった。
でも今日は違う。
庭の草は、また少し増えていた。
緑が、昨日よりはっきりしている。
タマが陽の中で眠っている。
耳だけが、ときどき動く。
「春じゃな」
みーちゃんが言う。
「うん」
もう否定する余地もない。
部屋へ戻る。
座布団が三つ、並んでいる。
炬燵のない真ん中にも、
もう違和感はない。
台所へ行く。
窓を大きめに開ける。
風が抜ける。
火を入れる。
弱い火で十分。
味噌桶の蓋を開ける。
匂いは変わらない。
でも、その向こうに、
草と土の匂いが混ざる。
「外で飲んでもいいかも」
小さくつぶやく。
みーちゃんが目を細める。
「縁側か」
「うん」
春になったら、
部屋だけじゃなくていい。
そう思った。
坂の下で戸の音。
足音が二つ。
佐伯さんと、あの子ども。
縁側の前で止まる。
「おはようございます」
佐伯さん。
「おはよう」
子どもが縁側を見る。
陽の当たる板。
タマ。
揺れる草。
少し考える顔。
「ここ?」
ぽつりと言う。
少し笑う。
「今日は、外にする?」
子どもがすぐにうなずく。
佐伯さんも少し驚いて、それから笑う。
「いいですね」
座布団を縁側へ運ぶ。
三つ並べる。
少し間を空けて。
子どもが座る。
佐伯さんも座る。
私も座る。
いつもの並び。
でも、今日は空の下。
湯を三つ持ってくる。
湯気が、外の光に溶ける。
子どもが湯飲みを持つ。
「風」
小さく言う。
「気持ちいいね」
そう返す。
風が通るたび、
草が揺れる。
どこかで鳥の声。
冬にはなかった音。
佐伯さんが空を見上げる。
「こういうの、いいですね」
「いいね」
短く返す。
それで十分だった。
みーちゃんは縁側の端。
いつもの位置。
でも、今日は陽の中にいる。
「広がったな」
静かに言う。
「うん」
部屋から縁側へ。
冬から春へ。
場所が少し広がっている。
子どもが湯飲みを置いて、
庭を見ながら言う。
「ここ、あったかい」
その言葉に、少しだけ笑う。
冬のころ、
それは炬燵のことだった。
でも今日は違う。
陽射しのことだ。
「うん、あったかい」
そのまま返す。
同じ言葉でも、
季節が変わると意味が変わる。
それでも、
ちゃんと続いている。
やがて二人が立ち上がる。
「また来ます」
佐伯さん。
子どもは縁側を一度見渡す。
陽の当たる板。
並んだ座布団。
それでいい。
二人が坂を下りていく。
足音が二つ。
縁側に残る。
陽はまだ高い。
春の音が、
静かにこの場所へ入り込んでいた。




